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歴史的視点で観る映画デュ•バリー夫人。観どころと検証点。

やっとマリー・アントワネットがデュ・バリー夫人に向かって言葉をかけた!Il y a bien de monde aujourd‘hui à Versailles! と。ここがデュ・バリーの宮廷生活の絶頂期だ。

映画Jeanne du Barryを観た。ルイ15世(1710-1774)の2番目の寵姫として宮廷に上がった元高級娼婦の話である。新たな発見があったり、確認できたり、これはちょっと違うんじゃない?というのがあり、観どころ満載!

発見その1:デュ・バリーがその存在を疎ましく思っていたということは、「鹿の園」を宮廷外の人も知っていたということが驚きだった。鹿の園は、最初の寵姫(愛人だが、普通の愛人と異なり、公に王妃と一緒に公式の場所に出ることができる。寵姫の条件は、すでに誰かと結婚していること=なぜならば、未婚だったら王に結婚をせまり、後継ぎなどの問題が複雑化するからだ)だったポンパドール夫人が身体上の問題で、夜の生活が困難になったので、町に出て女性を見つけ、鹿の園に連れてきて王の相手をさせる場所だった。

発見その2:宮殿エチケットの複雑さ。宮殿でのしきたりや決まり(をエチケットと言う)があまりにばからしい。起床時や食事時には常に貴族たちに見られている、王に背中を見せてはいけないので小刻みに後ろに下がる。食事時に着席の貴族、立ち見の貴族はどうやって決めるかなど謎だったが、この映画では、爵位順になっていたのが興味深い。公爵と伯爵は明らかに差が付けられている。

発見その3:ルイ15世が死に際にヴィシーの水を欲しがったが、ヴィシーの水って昔からパリに運ばれて飲まれていたんだ~!源泉のものは少ししょっぱいです。

発見その4:ルイ15世の正妻、マリー・レクザンスカはほとんど話題にならなかったが、一瞬映ったお菓子にその存在を感じた。それは、ブッシェ・ア・ラ・レイヌというパイ生地仕立てのお菓子(料理にもなる)。マリー・レクザンスカが好きだった(もしくは考案したと伝えられている)です。お父さんは、ババのきっかけを作ったスタニスラス・レクチンスキー公。

そして、以下は検証項目である。

当時、お風呂にはリネンを敷いて、布をまとって入っていた、ということを確認。しかし、ルイ15世の時代は、水は不潔と思われていたからデュ・バリー夫人が全身浴をしていたのはどうか?そして、マリー・アントワネットには、オーストリアからずっとついてきたメルシー伯爵というお付きがいたが、アントワネットと28も離れているはずなので、映画の中の彼は若すぎのような気もする。

デュ・バリー夫人は、寵姫として宮廷に入ることになって、映画では、あわててデュ・バリー子爵と結婚することになったが、今まで伝えられていた話だと、デュ・バリー子爵は結婚していたので、弟と結婚させたとのことだったが、この点はどうなの?

しかし、どんなに王から愛されていても、王太子妃には、自分からは声がかけられないという身分。差別する王の娘たちに洗脳されたアントワネットは、母マリア・テレジアからどうか、ルイ15世のためにも声をかけるように言われ、新年祝賀会でやっとデュ・バリー夫人に言った一言、「ヴェルサイユは今日、大変な人ですこと!」で、晴れてデュ・バリーは宮廷で認められたと思ったのもつかの間、王は天然痘で亡くなってしまう。デュ・バリーは、修道院に幽閉されてそこで映画は終わるが、実はその後も彼女の愛人としての人生は、逃亡先で別の人とともに、そして最後は断頭台と続くのであ〜る。

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