大森由紀子/お菓子の裏側

フランス菓子&料理研究家。フランス全土を巡り、そこから見えてくるお菓子や料理の…

大森由紀子/お菓子の裏側

フランス菓子&料理研究家。フランス全土を巡り、そこから見えてくるお菓子や料理の背景や歴史、携わる人々、文化が好き。目黒区で料理菓子教室主宰。毎年フランスツアーを開催しているが、今年はCovid-19の影響で中止。来年はポーイヤックの仔羊とアヴスノワのブーダンを食べてみたい。

マガジン

  • お菓子の裏側

    あらゆるジャンルのフランス菓子を食べて、作って、教えて、取材してかれこれ30年。それでも、まだまだ迷路に舞い込んでは、美味しいお菓子とは何ぞや?を追求する日々。しかし、ある日その秘密の一部が、ストンと胸に落ちてきた。それはお菓子の裏側に潜んでいたのだ。今は、SNSでもインスタ映えする美しいお菓子の写真が溢れているが、そのお菓子自体の裏側はどうなっているのかな?具体的には、焼き菓子だったら、こんがり焼けた美味し そうな色が付いていて欲しいし、生菓子は、土台の生地の裏までちゃんと焼いて、その存在を示して欲しい。そして、もう一つ、大切な裏側の秘密がある。それは、それ ぞれのお菓子のストーリーである。お菓子が生まれ育った背景は、その後のお菓子の行方を決めるのである。そんなお菓子の裏側を探りながら、それにまつわる日常(あ る時は非日常も)も含め、綴っていきます。

  • フランス地方菓子

    30年間、フランスの地方を歩いて、出会って、知って、作った、パリではお目にかかれない、その地方の人々の暮らしの中で育まれていった、愛すべきお菓子たちをご紹介しています。

  • ママンの味、土地の料理

最近の記事

ブルボンのヴァニラって言うけど、ブルボンて何?

アンリ4世の時代からルイ16世のフランスは、ブルボン王朝と言うが、それって、ブルボンのヴァニラと関係があるの? そもそも、ブルボンって言葉、どこから来た? ブルボンとはですね、ブルボン王朝を築いた最初の王、アンリ4世(1553-1610)の縁の土地であるオーヴェルニュ地方にあるBourbon-l’Archambaultという村の名前から来ています。ここがブルボン家の発祥の地。 アンリ4世は、ナバル王(当時バスクを含むスペインの一部はフランス人が王だった)を父に持つ人で、1

    • アニョーパスカル。アルザスの復活祭のお菓子について

      アニョー・パスカル。アルザス地方で復活祭に作られるお菓子です。信者数22億5000万人。世界最大と言われるキリスト教が普及した国では、1年に一度、キリストの復活を祝う復活祭(フランス語でパークPâques 、英語でイースター Easter)の日が定められています。 ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ったイエス・キリストは、やがて使徒と呼ばれる弟子たちを伴い、各地を周って自らの教えを広めました。そんなイエスに反感を持つようになったユダヤ教徒たちは、イエスを十字架にかけ死刑にしてし

      • 歴史的視点で観る映画デュ•バリー夫人。観どころと検証点。

        やっとマリー・アントワネットがデュ・バリー夫人に向かって言葉をかけた!Il y a bien de monde aujourd‘hui à Versailles! と。ここがデュ・バリーの宮廷生活の絶頂期だ。 映画Jeanne du Barryを観た。ルイ15世(1710-1774)の2番目の寵姫として宮廷に上がった元高級娼婦の話である。新たな発見があったり、確認できたり、これはちょっと違うんじゃない?というのがあり、観どころ満載! 発見その1:デュ・バリーがその存在を疎

        • 花の水

          お菓子作りややスキンケアに使う、花の水の原産地は、チュニジアを中心とする北アフリカあたりです。 朝早く花を大量に摘んで、それを煮て蒸留させたものがその水になります。 オレンジの花の水は、フランスでは最初にお菓子の香りづけとして使われました。もちろん今でも使います。主に南のお菓子に多いですね。そのほか、スキンケアとしても利用されているし(お菓子材料として探す場合は、スキンケア用なNG)、原産地では、胃腸薬、風邪薬、などなど体調が悪いときの飲み薬として。 18世紀には、バラ

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        • 素材の力
          67本
        • お菓子の裏側
          158本
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          126本
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          94本
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          28本

        記事

          映画、ポトフ。道具が触れ合う音、素材の香り、湯気を感じながらずっと観ていたい。

          映画「ポトフ」を観た。いきなり巨大な銅鍋を使っていくつもの料理を淡々と作る中年の女性が出てくる。なにやらブルジョワの匂いがするキッチン。と思っていたら田舎の小さなシャトーの台所。時は19世紀末。19世紀といえば、鉄道が発達したのが半ば。ブルジョワ家庭には、レシピ本やグルメ情報などがすでに伝えられていたのだろうか。シャトーの持ち主でグルメなドダンと地元の名士たちとの会話では、アントナン・カレームの生い立ちや、エスコフィエとリッツのエピソードなどを語るシーンがあるが、バルザックと

          映画、ポトフ。道具が触れ合う音、素材の香り、湯気を感じながらずっと観ていたい。

          君の食べているものを言ってごらん。君を当てます!

          まさか料理人と結婚するとは思わなったから、私もけっこう料理関係の本を持っていて、いざ結婚したら、相手もけっこうな数の本を持っていた!ということで、当初本棚には、同じ本が2冊並ぶ、という光景が。この本もそう。 フランス地方菓子料理クラスでは、毎回復習テストをする。いずれもカンタン。だって3つから選ぶんだもん。無記名、提出なし。自分で理解できていればよい。 ということで、今回の問題1は、サヴァランというお菓子の名前は、どこから来ているか、次のうちどれ?という問題。 1、 人

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          クリスマスがクリスマスになった理由

          フランスのクリスマスは、どんなに遠くに住んでいても日本のお正月のように、みんなが集まる日。ブルゴーニュの友人の家のクリスマスに招待されたことがありますが、すごかったです~。20人くらい集まったかな。たくさん、そして延々と食べます~。こっちは、フランス語もしゃべらなきゃならないし、食べなきゃってんで疲れました~(笑)。 メインは、七面鳥の栗詰め。フランス語で七面鳥をダンドと言い、Dindeと書くんですが、これ、もともとはアメリカ大陸で食べられていたものがヨーロッパに伝わったと

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          タルト・タタンを作ろう!

          タルト・タタンは、フランスのサントル・ヴァル・ド・ロワール地方のラモット・ブーヴロンという町の駅前ホテル「ホテル・タタン」で20世紀終わりにこのホテルを営む二人の姉妹の失敗によって作られました。 リンゴのタルトを作ろうとしたら、レストランがあまりにも混雑していたので、一人がタルト型にりんごだけを詰めて焼いてしまいました。その後もう一人が焼き具合を見にくると生地がないことを発見。あわてて生地をかぶせて、裏返しにし てみたら!これが絶妙な美味しさだったと。 りんごが美味しい季

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          Babaババ。生地はしっかり焼きます。このまま食べても美味しくない。シロップという息を吹き込まれて一つの作品となります。今回は、70℃に落としたシロップをしっかり染み込ませ、食べる直前にラム酒をかけます。シロップで2倍に膨れます。

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          カヌレとミルフィーユ

          ボルドーってそんなにフランス人に人気な町だって知らなかった。4人に1人が住みたいと!概にコロナ禍で移り住んだパリっ子が増加。 元々三角貿易(奴隷貿易ですな、要するに。町をよく見ると奴隷の彫刻などが)でリッチだった町だったんですけど、町はイケテなかった。そこで、16世紀に、とある公爵が自腹で町を美しく建て直した。  その後はナポレオン3世下で、パリ大改造をやってのけたオスマンが手を入れて、今のような美しい町になっただとかです。で、有名なものは、、もちろんワイン。そしてなんと

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          軽いくるみのケーキ。ケルシーノワ

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          サロンのお菓子、フリアンて?

          サロンということばがありますが、サロンはもともと女性が主催していた会で、芸術家や作家、当時の流行職業の人たちが集まって議論を交わしたり、朗読したり、演奏したり多岐に渡っていろいろ披露されていた場所です。 有名なところでは、17世紀サブレ公爵夫人のサロンというのがあり、そこで出されていた焼き菓子が美味しかったとかでそのクッキーをサブレと呼ぶようになったという説があります。これとは別にノルマンディーの海辺の砂(sableサーブル)からその名前がついたという説も。実際ノルマンディ

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          シュー生地はもともと鍋で焼いていた。

          シュー生地は、16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスのお抱え料理人がその前身を作ったと言われている。それはポプリーニと呼ばれ、その後ププランと呼ばれるようになる。そのレシピを、2世紀後の18世紀の料理人、ジョゼフ・ムノンの「ブルジョワの女料理人」という本の中で見つけた。 生地の作り方は今と同様。しかし、焼いたら中に溶かしたバターを塗って、上に粉糖とレモンの皮のすりおろしを散らして、さらに焼きごてでキャラメリゼするというもの。しかもしかも、焼くときは、鍋ごとオーブンに!!だから

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          ヴェルサイユ宮殿、ギリシャ神話の神々の部屋

          ヴェルサイユ宮殿を建てたのは、ルイ14世と言われていますが、もともとはルイ13世の狩りの宿でした。なにもない沼地にぽつんと。 子供のときにパリに住んでいたルイ14世は、フロンドの乱という貴族の反乱の記憶があまりにも怖くて、「よし、ぼくが王になったら、この貴族たちにはいうことを聞いてもらうしかな い!」というので、パリから離れたこの館に目をつけて膨大なお金を投資し、建築家ルイ・ル・ヴォー、画家シャルル・ル・ブラン、造園家アンドレ・ル・ノートルというエキスパートの指 揮のもと、

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          人生初めての本は、フランス一周から始まった!

          休みで色々整理していたら、なんと懐かしいノートが。1994年4月から5月とある。 この本の目的は、日本でまだ知られていないフランス地方のお菓子とその背景について書くことだったので、もう一度現状のフランスを見たいと思い、旅を計画。フランス人の友人Isabelleや、今は三ツ星シェフになっているクリスチャン・レスケール、他パティシエたちに資料や本を沢山送ってもらって研究。もうみんなそんなことは覚えていないかもしれないが、改めてメルシー!!   トーマスクックを買って、一か月間

          人生初めての本は、フランス一周から始まった!

          スイカとルバーブ塩煮、ヨーグルト、フロマージュブランのムースです。クリームチーズでも試してみましたが、フロマージュブランの方が洗練された味でこちらが好き❤️生地には、浮き粉を使用してみました。その名の通り軽く仕上がりますね! 今週末のベーシッククラスで作ります。

          スイカとルバーブ塩煮、ヨーグルト、フロマージュブランのムースです。クリームチーズでも試してみましたが、フロマージュブランの方が洗練された味でこちらが好き❤️生地には、浮き粉を使用してみました。その名の通り軽く仕上がりますね! 今週末のベーシッククラスで作ります。