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掌編小説 『嫁入り人形』 (アンソロジー収録作品)

 仲のよい姉妹がおりました。二人には、末子すえこの妹のように可愛がっている、市松人形がありました。
 家は貧しく、姉妹は着物もお菓子もおもちゃも、分けあって使います。人形も、姉が髪をいてやれば、妹がおべべを着替えさす。妹が歌を歌ってやれば、姉が絵本を読んでやる。そうやって、仲良く世話をしておりました。二人には、人形が笑ったり泣いたりする声が、ちゃんと聞こえていたのです。

 あるとき、母親が二人を呼んで、市松人形を売らねばならなくなったと告げました。古いものですが、たいそう値打ちがあったのです。
 その晩、姉妹はいつものように、間に人形を挟んで布団に入りました。しかし暗闇の中で、六つの目はぱっちりと開いたままです。

「この子、本当に売られてしまうの」
 妹が、かすれた声で言いました。
「我慢おし。しかたないのだから」
 姉が、こたえます。
「でも」
「売りに行くのは明後日あさってだそうだから、明日は一日、たっぷり可愛がってあげましょう」
「お姉ちゃん」
「なあに」
「この子を壊してしまいましょう」
「なぜ」
「壊れた人形は、売れないでしょう」
「なんてひどいことを考えるの」
「だって、知らないところへ売られていくなんて、かわいそうだもの。ほら、泣いている」

 人形のしくしく泣く声が、姉にも聞こえておりました。しかしそれが、見知らぬところへ売られていくことを悲しんでのことなのか、手足をもがれることを怖がってのことなのかは、わからないのでした。
 姉は、妹の湿った手のひらを、強く握りしめて言いました。

「明日は、この子をこれまでで一番綺麗にしてあげましょう。一等赤いおべべを着せて、髪には椿の油をつけて」
「どうして」
「なるべく良い人に買ってもらって、いつまでも可愛がってもらえるように」
「どんなに綺麗な人形だって、乱暴な男の子や、何でも口に入れてしまう赤ん坊がいる家だったら、きっとかわいそうな目にあいます」
「お前だって、同じことをしようというのじゃないか」
「違う、違う。いや、いや、いや」

 泣き出した妹の頭にほっぺたを押しあてながら、姉は、母親から人形をもらった日のことを、思い出しておりました。


 あれはまだ、妹が生まれる前のこと。
 真っ黒なおかっぱ頭の市松人形は、居間の硝子がらす扉がついた戸棚に、大切に飾られておりました。いくら欲しいとねだっても、母親は触らせてもくれません。

「お祖母ばあちゃんがお嫁入りのときに、お揃いの白無垢むくを着せて抱いて持ってきたほど可愛がっていた、大事な大事なお人形よ。それを亡くなるとき、わたしにくれたの」

 母親からそう聞かされると、姉は密かに期待するようになりました。
 お母さんが死ぬときに、あのお人形は、わたしのものになるのじゃないかしら。
 そして、そんなことを考えてしまった自分が恐ろしくなり、ドキドキして眠れぬ夜を過ごすと、決まって翌日に熱を出しました。

 やがて妹が生まれ、大きくなると、姉と同じように人形を欲しがるようになりました。しかし母親はやはり、硝子戸棚から出してはくれません。
 妹はだだをこねました。抱かせてくれなければご飯も食べないし、お風呂にも入らないと言うのです。母親はとうとう根負けして、人形を妹に抱かせてやりました。
 それを見たとき、姉は胸にちくんと、針を刺されたような痛みを感じました。

「お姉ちゃん、ほら、この子が嬉しいって」

 妹が無邪気に差し出してきた人形を抱くと、確かに転がるような笑い声がして、姉は、妹に命を吹き込まれたこの人形が、胸の焦がれるほど愛しいような、でもどこか憎らしいような、おかしな気持ちになりました。

 人形は、妹に独り占めされたわけではありません。他のものと同じように、二人仲良く可愛がりました。それでも人形を抱きしめるたびに、姉の胸には、あの痛みがよみがえりました。それはいつしか、母親が死んだとき、人形が妹のものになってしまうのではないかという不安に変わり、姉の心の中に、黒い雲となって立ちこめるようになったのです。

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