死ぬ気だった私が3/31に思うこと

自殺対策強化月間の3月最終日だとふと気づき。ちょっと書いておこうと思い立ちました。

生きること、死ぬこと、不安や焦り、そういったことで頭もこころもいっぱいになってしまう状況になりかねない今、
15年前の自分を振り返りながら、今わたしができることはなんだろうと考えますが、明確な答えはありません。

ただ言えるのは、なんとかしたい、生きていてほしい、と願う人が一人でもいるんだということを、一人でも多くの人に知っていてもらいたい、その願いだけです。

ここから先は、きっと、読まないほうがいい人もいる内容です。どなたかを傷つけることになるかもしれないと思いながら書いております。

私が希死念慮に完全に囚われていた15年前の春、福知山線脱線事故が起きました。

とても理解されないのは承知の上で、あえて言葉にすると、
一瞬にしてたくさんのいのちが奪われたあの事故の報道を見ながら、あの時のおかしくなっていた自分は、
その死を羨ましくすら思い、もっと生きたかったはずの人たちが亡くなって、死にたいはずの自分が死んでいないなんて、と自分を責めて、
早く死なねばと焦るという、完全に「スポットに入った」状態でした。
生きているほうが家族に迷惑をかけると本気で思っていました。

ただただ死しか目標にない時は、そのくらい、常人には理解できない状態に陥ります。

その年の7月に、春からの計画を実行するべく、実際に死ぬことを試みましたが、"死にきれず"に、精神科病院に入院し、然るべき治療を心理カウンセリングとももに受けることができ、今にいたります。

これでも、診断によると、鬱病としては軽〜中程度だったのです。
入院したのは、軽度の人向けの、ストレスケア病棟でした。

生き残って、周りに助けられ、人生の使命に沿って生きようという意欲を得て、今に至ります。

ただ、あの時もし、私が生き残らなかったとしても、後悔はなかったのだと思います。
その時一番叶えたかったことを叶えられた、ということにおいては。

これから、経済への打撃やストレスが内に向かう状況から、より追い込まれる人が増えることは必至で、
そうした人たちがただただ死しか目標にできない状況に陥ったとしても、手をつなぎ離さない人がいることに気づけることを、ただただ願います。

そのためには、子どもの時から、家族以外に支え合う人の存在と助けを求める安心感を得ることが必要だと、私は感じています。

生きていてよかったと思える日がきっと来ると想像してもらえるように、自分の人生に、子どもたちの未来に、希望を持って生きていくくらいしか、私にはできないかもしれないけれど。

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