自己肯定感って上げなきゃいけないのでしょうか
自己肯定感という言葉をよく聞きます。自己肯定感が高いとか低いとか、上げたいとか、どうやったら上がるのかとか。そういうお話がいつまでも腑に落ちない自分がいるので、この腑に落ちなさから noteを始めてみます。
まずは意味を確認する
自己肯定感って何?
じゃあ肯定って何?
しつこいけど認めるって何?
意味を知って考えてみる
意味を調べて少し腹落ちの気配がしました。自己肯定とは 自分に対して「あぁ自分はこうなんだ」と気づくこと、それで正しい・構わないとして受け入れることという説明ができそうです。多くの場面では、自分に対して能力があると判断していることという意味で使われているかもしれません。
自己肯定感は、自分の受容かもしれないし傍観かもしれないし、人によっていろんな形がありそうだなとも感じます。
それから、この概念に対して高いか低いかで考えていくのは個人的に少し違和感がありした。「感」なので高低ではなく有無のほうがしっくりくる気がします。違和感が高いです、とは言わないし。
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タイトルの「自己肯定感は上げなきゃいけないのか」に今自分で答えるとすると「上げるものではなさそうで、あるかないかの話かも。」となり、問いが変わって「自己肯定感はなければいけないのか」になりました。
個人的に「○○感」と付くもの(安心感、親近感、悲壮感、違和感、達成感…)は、必ずなければならないものではなく、感じているかどうかのお話だと思っています。かつ、○○感は常にあるものではなく、状況により感じたり感じなかったりします。
この勝手な理論に当てはめると、自己肯定感はあってもなくてもどちらでもいいのではないかというのが今のところの結論です。
それでもまだ気になる
仮の結論に至りましたが、自己肯定感を「高いか低いか」で考える印象が強いのはやっぱり気になるところで、いわゆる高い状態、上げていく方向性がいいとされる場面が多いんだと思います。
その良し悪しはさておき、それについて自己肯定感を上げられない時に考えるのってちょっと辛くないですか。上げるのは後回しとして、下げないこと・維持することに注目してみたら何か変わるでしょうか。
そんなことをまだ考えています。
学術的根拠もなにもない話ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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