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日本の歴史を考え直す その1  

 ここ数日、ひたすら日本古代史の本を読み漁っていた。

 歴史というと、インテリにとって最も鬼門となる分野だ。なぜなら大学で教えられていたり研究されていたりする歴史のほとんどがマルクス主義に毒されているからで、いわゆる良い大学を出て、高い学歴を持っている人ほどそれに深くハマってしまっている。もちろん、史学会も最近はようやくマルクス史観を批判する方向に動いており、大学に所属する研究者が書いたもののなかにもはっきりと「マルクス主義の悪影響を脱却しなければならない」という趣旨のことが書かれていることさえある。 

 しかしすでに大学を卒業し、最新の研究成果や動向から疎遠になっている人は、自分が教育を受けたときのマルクス史観の影響のもとの歴史観を持ったままということになってしまう。しかも多くの場合、マルクス史観で教えられている内容があまりにも常識と化してしまっているために、それがマルクス主義に基づく内容だということに気づきさえしないことがほとんどである。 

 たとえば、日本史における重要なテーマの一つとして「武士の誕生」がある。武士は、かつては「農民が自分たちの土地を守るために、武装して武士となった」というふうに教えられていた。私も小学校などではそのように習った記憶がおぼろげにある。ところが、これがまさにマルクス史観なのである。どういうことかといえば、マルクスの著作に書かれている「すべての人類の歴史は階級闘争の歴史である」というテーゼをあてはめて歴史を解釈していくのがマルクス史観である。だから、あらゆる歴史上の出来事は、「支配階級VS被支配階級」あるいは「ブルジョワVSプロレタリア」という図式の闘争として解釈され、しかも被支配階級が支配階級を打倒し、よりよい社会をつくってきた、という進歩主義の物語にされてしまう。 

 実際には、源氏や平氏をはじめとする武士のほとんどが皇族の血を引いている。たとえば源氏は、天皇の一族だったのが、臣籍降下をして皇族ではなくなったものの、天皇とは「みなもとを同じくする」という意味で「源」という氏を下賜されたのである。平氏も「桓武平氏」と言われるように桓武天皇の一族から出ているし、平清盛の父は武士で初めて昇殿を許された平忠盛だとされているが、実際には白河院の落胤だと言われている。朝廷に反乱を起こした平将門でさえ、桓武平氏の一族だったのである。 

 しかしそれでは、被支配階級(プロレタリア)がブルジョワを打倒する歴史にならない。だから、農民が武装して武士になったなどというテーゼがまかり通っていたのである。武士はそもそも日々武術の鍛錬をする必要があるし、馬だって飼わなければならない。鍛錬はいち農民が、農作業のあいまにできるようなものではないし、馬を飼う資力もないものがほとんどだったろう。武士はもともと皇族だから、資力があるし、食糧生産は自分たちで行う必要がなくてヒマだったので、武芸を磨くことがたしなみとして推奨されたのである。農民が自発的に武士になることなど、現実的に無理なはずなのだ。ほかにも、日本史をあまり真面目に勉強しなかった人でも、やたら「一揆」が起こる、ということは印象として持っているはずで、これもプロレタリア史観だから、ということになるのである。

 そしてマルクス史観の特徴のその2が、「宗教・神話の軽視」である。「宗教は人民のアヘンである」というマルクスの言葉に基づいて、近代的な合理主義を過去にも投影して歴史を解釈する。だからたとえば古代の神話などはまったく等閑に付される。とくに戦後は、明治期の国家神道の反動もあり、日本古代の神話がまったく教えられなくなってしまったし、学会でも神話の内容は非合理としてまともな研究の対象とはされなかった。 

 しかし『日本書紀』や『続日本紀』をはじめとする古代の歴史書に書かれている神話は、実際の出来事をベースにして書かれているということが、遺跡の発掘やそこでの出土品の研究を通じて明らかになってきつつある。大学の学問は分野ごとに細分化されてしまっていて、考古学と文献学は別々に研究されているから、日本書紀の記述とそれを裏付ける遺構や出土品とが結びつけて考えられることがない。しかも神話は神話としてまじめに取り扱われてこなかったから、あらためて考古学の知見とともに古代の史書に書かれていることを読み解き、日本の真の歴史を考え直していく必要がある。

 以上のことを踏まえて、では改めて日本の歴史を考えてみるに、「いつ、日本ははじまったのか?」ということが問題となるだろう。(つづく)

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