「心」の生まれた日 (1)

「心」の次の時代を考えるために、まずは「心」が生まれた日を見てみたいと思います。『論語』や『古事記』や『聖書』や、楔形文字で書かれたもの、甲骨・金文などから見ていきますね。今までブログや本で書いてきたことに、ちょっと手を加えて書いていく予定です。今回はイントロで、「四十にして惑わず」というのはちょっと違うんじゃないの、というお話です。

▼不惑とは限定しないこと

「心」が生まれたちょっとあとの時代の本として読んでいみたいものは『論語』や『聖書』、あるいはさまざまな仏典があります。また、「心」が生まれる萌芽期のものとしては楔形文字で書かれた、主にシュメール語のもの、それから甲骨・金文、そしてもう少し新しいものとしては『イーリアス』や『古事記』などがあります(以下は甲骨文。虹が龍として描かれています)。

で、まずは『論語』からいきたいのですが、『論語』を読むときに注意しなければならないのは、それを現代の文字で読んではいけないということです。なぜならば、孔子の時代にはない漢字が『論語』の中に使われているからです。

孔子は紀元前500年くらいの人(BC552年9月28日‐BC479年3月9日)です。お釈迦様(諸説あり)やソクラテス(BC469年頃 - BC399年4月27日)などと同時代人です。ところが『論語』が書かれたのは、それから400年ほど経ってからではないかと言われています。この400年間は、口承で伝えられていた。

それを文字にしようというときに、400年後の当時(漢)の文字で書いた。

それはそれで何の問題もないし、責めることなどできないのですが、しかし孔子の時代になかった文字が使われているのはちょっと変だろうと思うのです。

※ちなみに孔子の時代の文字というのは、現在発掘されている金文(青銅器に刻された文字)のことです。ですから、これから新たなものが発掘されると、以下の話も覆される可能性はあります。よかった、学者じゃなくて(笑

さて、そんな『論語』の中に使われている「孔子時代には存在しない文字」のひとつに「惑」という文字があります。「不惑」の「惑」です。

『論語』では四十を不惑といいます。「四十にして惑わず」というあれです。

が、四十歳を過ぎた人にとっては、四十が不惑(惑わず)だなんてとっても言えないということは、誰もが感じることでしょう(というか、思い知ります)。

孔子は聖人だったから、四十歳で惑わなかったんだ、とも思ったのですが、孔子はそんな自慢なんかはしない人です。ちなみに孔子は、無理なことや、できないことはいいません。そんな意地悪じゃない。

となると、この「惑わず」というのが現代の意味とはちょっと違うのかも知れない。

そう思って「惑」の漢字を見てみると、「惑」は甲骨文にも、西周の金文にも、そして孔子時代の金文にも見えないのです。現在発掘されている限りでもっとも古いのは戦国時代の金文に見ることができるだけです。

となると、ひょっとしたら孔子は「不惑(惑わず)」なんて言わなかったのかも知れない。

「じゃあ、孔子はどんな漢字を使っていたんだろうか」と思って「心」を取ると「或」になる。これならば古い字体もあります。

「或」を「口」で囲むと「國(国)」になるし、「土」をつけると「域」になります。ともに「区切られた区域」をあらわします。

この字は「戈(ほこ)」「囗(=国、域:城郭)」、そして「一(境界)」から成る漢字です。国にしろ城にしろ相手との境界によって形成されます。

「或」とは境界によって、ある区間を区切ることを意味します。「或」とは分けること、すなわち境界であり、限定です。

藤堂明保氏は「惑」とは「心が狭いわくに囲まれること」といいます。

▼自分を限定しちゃいけないよ

もし「不惑」を「不或」と考えると、それは「分けない心」「限定しない心」という意味になります。いや、孔子の時代にはまだ「心」がついていないのだから心に限る必要はないでしょう。

限定しない身体、すなわち「限りない身体」、それも「不惑(或)」です。

「惑(或)」の意味を「分ける」、「限定する」とすると、『論語』のほかの章もすっきりするのですが、それをここで書いていくと話が混乱するので省略して、四十の不惑だけに限定して話しを続けますね。

さて、四十歳くらいになると、どうも「自分はこういう人間だ」とか「自分の限界はこのくらいだ」という具合に、自分自身を限定しがちになります

いや自分だけではない。人を分けて見たがる。それまで人に対して平等に接していた人が、このくらいの年齢になると人を差別するようになります。孔子の弟子たちも「あそこの地域の人間は何を言ってもわからないから」とか「あいつらはダメだ」などと言って孔子にたしなめられています。

そんな限定しがちな四十歳の人たちに対して、まずは「自分を限定してはいけないよ」といいます。もっといろいろなことをしなさい!と。そして、「他人も差別してはいけないよ」といいます。

それが孔子の「四十にして惑わず」だったのです。

▼専門家ではいけない

孔子は「君子は器ならず」といいます。

器とは何か。当時の器は青銅器としてさまざまなものが残っています。

鼎、鬲などの食器
爵、尊などの酒器
盤、盂などの盥器
鐘、鐸などの楽器などなど。

似たような器もあるのですが、ひとつひとつ別々の用途があります。ひとつひとつの器が別々の用途をもつ、それが器の特徴です。

孔子が「君子は器ならず」という「器」は、そのようにひとつのことのみをする人、専門家をいいます。

「君子は専門家にはなるな」と孔子はいいます。

孔子は「吾は少くして賤し。故に鄙事に多能なり」と言ってます。「私は若い頃賎しかったから、つまらないことに多能なのだよ」と。

そしてこういったあと「でも、君子は多芸であるはずがないね」と自嘲するように付け加えるのですが、それでも孔子は多能でした。

「君子は多芸であるはずがないね」と自嘲はするのですがが、しかし「君子は器ならず」という孔子は実は多能を誇っています。

しかも、孔子は「儒」です。儒とは神と交信をする雨乞い師です。儒のように神に仕えるには多才多芸である必要があります(説文、「金縢(『尚書』)」)。そしてそのように多能な人を「賢=賢者」といいました。

ディドロも「賢人はかつては哲学者であり、詩人、音楽家であった。これらの才能は分離することによって退化した。・・偉大なる音楽家と偉大なる叙事詩人はすべての悪を正すでだろう」と言ってます。

いくつになっても、何でもやってやろうじゃないか!

それが「四十にして惑わず」なのかも知れません。

というわけで次回に続きます。

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「心の次」の時代

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