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キャリアに迷いて軌跡を振り返る

乳がんに罹患してからずっと、そしてここ1年ほど本格的に、キャリアに迷っている。
34歳で若年性乳がんを宣告され、一瞬、死が脳裏を過ぎり。
人間の命には限りがあり、心身共に健やかで思うがままに生きられる時間は意外に短いのだと悟って。
辛くも命拾いした幸運を抱きしめて、自分が乳がんと戦った日々と改めて与えられた生きるチャンスに、恥じない生き方をしたい。
ここ2年ほど、ずっと考えていること。

未来のことを考える時、思考は自然に現在と過去に向かう。
私は何者になりたいのかな。私は何者になりたかったのかな。
ということで、思考の壁打ち兼ねて、今の道に辿り着くまでを振り返る。

生まれて抱いた将来の夢は5歳の時の”お花屋さん”だったことを今でも覚えているけれど、リアリティを持って将来を考えたのは、多分大学受験の時。
臨床心理士を志して心理学の学べる大学に進学しました。
が、実際にかじってみて「ちょっと違う」と思った19歳の私は、教育学に方向転換。
生涯教育や教育心理学を中心に、がっつりフィールドワーク漬けのゼミ生活を送りました。
ちなみに、教育学を専攻しておきながら教員になる気はさらさら無かった私は、教員免許取ってません。
(教員免許取得しなくても卒業できるレアな教育学専攻だった)
将来どうしようと思ってたんだ当時の私よ。。。

で、大学3年の時に就職活動を迎えるわけですが。
いやー、苦戦した苦戦した。
そこそこ売り手市場だったのですが、全然内定取れませんでした。
なぜなのか、今ならわかる。
経済基盤を確立して自立するために就職すべきだということは重々承知していたけれど、本心では就職にあまり興味がなかった。
民間企業はどこも同じように見えた。
公務員が向いてるかなと思ったけれど、配属先が読めないのがイヤだった。
ワガママーーーーーwww
まぁ、学ぶことそのものや学術的な探求がとても好きだったので、アカデミア志向の方が色濃かったのでしょうね。
ぜーんぜん内定取れなくて、どうしたもんかなあ・・・と行き止まりにぶつかった娘を見るに見かねた両親が「大学院に進学してもいいんだよ・・・」という助け舟を出し、あっさりそれに乗った22歳の春。
修士進学を決心した時にはもう大学4年生、そこから突貫工事の院試対策を経て、内部進学&外部の院の合格通知を無事入手。
外部の院の博士前期課程に進学しました。

大学院でも引き続き教育学を専攻しつつ、保育学、博物館学、国際開発学、ジェンダー学、他大学院に乗り込んで建築学など、、、己の欲望の赴くままゼミを取りまくる。
で、すぐにまた就活が巡ってくるわけです。院は短いからね。。。
私の中に就職に関する部分は、正直なところ学部時代から中身あんまり変わってなかったので、二度目の就活も振るわないw
wとか付けてふざけてますけど、当時はまっっったく笑えなかった。
しかもたった数年の間にリーマンショックとかいう出来事がありまして、学部の頃あんなに売り手市場だったのに、気づいたら氷河期w
ただでさえシビアな就活戦線だったのに、会社によっては文系院生女性への当たりが強いところもあったことは、当時の私には想定外だった。
それでも学部の頃よりは善戦して、概ね最終面接一歩手前くらいまでいくのですが、でも結局落ちるw
自分はもう社会不適合者なのかもしれない、、、とまで思ったりもして、最終的に私、M2(=修士2年)の1年間休学しました

ここまでくるともう、やりたい放題だなw

両親はさぞかし心配したであろうと思うのですが、「納得のいく道を探しなさい」と、私の意志を尊重してくれました。
親って偉大。。。

休学中も指導教官の御厚意で無料でゼミに参加させてもらい、バイトしながら適度に好きなこともして、人生の迷子になっていたわりには恵まれた生活を送らせてもらいました。
かといって将来のことから目を背けられるわけでもなく、人知れず考えて考えて、たどり着いた結論としては、
「やっぱり経済的には自立せねば。就職するしかない」

自らの志向を踏まえて、博士後期課程進学についても真剣に考えました。
が、文系博士は”足の裏の米粒”(取れない、取っても食えない)と言われていた折、更に両親のすねをかじってその茨の道を歩むまでの勇気は、残念ながら(?)持てませんでした。
となれば、さあどこに就職する。さすがにもうモラトリアムは許されない。
民間企業の就活で悉く散った身としては公務員の方がまだ親和性があるのではないか、と思い、公務員試験を目指して勉強開始することに。
我ながら何という紆余曲折。。。
大学4年で院試に転向した頃から進歩が無い気がする、、、と思いつつ、これまた突貫工事で公務員試験の勉強をしまくる休学期間。
そして、試験本番&復学まで1ヶ月を切った・・・頃に、東日本大震災が起きたのです。

当時大学生の弟と2人で暮らしていた横浜で地震に遭い。
身近な人含めて物的・人的被害はほぼありませんでしたが、東北生まれ東北育ちの私に、東日本大震災が与えた影響は甚大でした。
主旨がズレていくのでその詳細はここでは割愛しますが、一瞬のうちにキャリア観、人生観までが激変していく中、1通のメールが届きます。
それは、就活を公務員試験に絞った私が例外的にたった1社だけエントリーシートを出していた民間企業からのエントリー通過通知でした。

そうです、東日本大震災直後に私にエントリー通過通知を送ってきたのが、現在私が働いている会社です。
人生って本当に摩訶不思議。。。

東日本大震災の余波が全く収まる気配のない中、怖いほど順調に面接をクリアしていき、まさかまさかの内定通知を手にします。
どう考えても40~50倍くらいの倍率はあったと思うのですが、ほんとに受かったよ・・・っていう・・・
そして迷いに迷った末に、この会社に入社すると決め、公務員試験を途中で取り止め、今の私に繋がる道がスタートしたのでした。

今の会社に入るまでの私の軌跡、約2,400文字。
書きながら、ああそうだったこんなこともあったと思ったり、そんなこともあったかなぁと思ったり。
多少は、都合のよい方向に記憶が書き換えられている部分もあるのでしょう。

キャリアの選択肢は無限大で、キャリアの未来は常に未知だけれど、大抵の場合ファーストキャリアは生涯に1つだけ。
私にとってのファーストキャリアが、今の会社なんだな。
私が生きるのはこの道と決心して飛び込んた会社で十数年を過ごし、今再び次のステップを決めかねて岐路に立っている。
その時の流れに感慨を覚えます。
これから私はどんな決断をして、どこへ向かうんだろう。

過去と今を見つめながら、もう少し考えてみたいと思います。



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