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8/6。

皆さんこんにちは。あまりにもストーリーに花火が上がりすぎていて、言葉にできない気持ちになっているしんちゃんです。
#小一時間くらい言語化してみようとしてみた
#多分嫉妬
#言葉にできたわ

さて、今日は、この時期に毎年あげている8/6についてのブログを書いていきます。

広島で生まれ育った僕にとって、やっぱり8/6の文字を目にすると、特別な思いになります。その1日を少し前から意識して過ごしているような、そんな感覚です。


広島の小学生は夏休みであっても、8/6は学校に集まり、8時15分にはどんなにやんちゃなあいつも、学校が大嫌いなあの子も、1分間目を閉じました。



中学の部活中でも、高校の部活中でも、「お、8時15分になったわ、みんな目瞑るど」と誰かが言えば、みんなで黙祷をしました。そして今日。僕は一人でNHKをつけ、あの日と変わらず、テレビの前で黙祷をしました。



それがどれだけ悲惨だったか、恐ろしいことだったか、幼き頃のトラウマのような形で今も確実に残っています。実際に経験したわけではないのに、あたかも経験したかのような感覚。この感覚があるのは、祖先の方々が「若い人に受け継ぐんだ」という思いの結晶なのかもしれません。



僅か78年という月日で、修復不可能と言われた広島の地は、こんなにも素晴らしいものに生まれ変わっています。改めて広島に残った祖先の方々の力、そして日本中から集まった力の偉大さに気づかされます。

幼き頃からの疑問。そして今。

「戦争をなくそう」

小さい頃からよく耳にした言葉です。「戦争は残酷だ。二度と起こしてはならない。」しかし、今日も学校でイザコザは起きているし、いじめも起きています。「戦争なんてなくなるわけない。」そう思ってました。


戦争はなくなるんでしょうか。
僕は、無くならないと思います。実は今も、そう思っています。人が人である以上、人と争ってしまうものだと思います。 


しかし、その終末が誰かを殺すことであってはならない。


例え相手がどれだけ憎かろうとも。


小さな戦争は起こります。しかし、二度と人が亡くなるような悲惨な戦争は起こしてはならないと思います。


常々僕はいっていますが、「正義」を信じすぎると、これは戦争につながります。誰かの正義は誰かの悪だから。正義にすがりたい気持ちは分かるけれども、固執しすぎたり、強要してはならないと思います。それは今でも昔でも変わらず同じです。


今起きている戦争。

2023年、夏。今日本で起きている戦争とはなんでしょうか。

僕が思うには、目に見えない戦争です。

人と人との距離が縮まり、縮まりすぎたことによって、遠いどこかの存在へ気軽にアプローチできる時代です。自分に直接関係してこない誰かの人生に、干渉できてしまう時代です。

これまでの人類の歴史では到達できなかったその初体験が、良くも悪くも影響を与えています。

今日もどこかで誰かが挑戦し、それに失敗した時、袋叩きにされています。「ほら言っただろう」「失敗するに決まってるだろう」そんな言葉を容易に投げかけることができる環境です。


最近も自殺者が急増してしまっています。いろんな原因があるとはいえ、ここまで来た文明の中で、自ら命を断つことは異常なことです。

人が人を殺してはならない。


如何なる理由があっても。


例え、それが意図したものでなくても。


戦争は、これからも起こるはずです。無くなることのないものです。しかし、「人が人を殺すこと」を少しでも抑えることができれば、もっと生きやすい世の中になるはずです。


78年前、未来の日本に期待して亡くなられた祖先達に、本当の意味で「平和になったよ」と言えるように。


「偽善でもいいじゃないか。その思いを、言葉を、未来に残しなさい。それが生かしてもらった者の使命です。」

8/6、小学生の頃、先生が言っていた言葉を思い出します。


僕たち若者はまた新しい平和を、作っていかなければなりません。

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