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【読書レビュー】新海誠『秒速5センチメートル』

新海誠は、数々の大ヒット作品を世に送り出している大人気アニメ作家である。スタジオジブリの傑作『千と千尋の神隠し』の興行収入記録を破った『君の名は。』や、昨年公開された『天気の子』に代表されるように、彼の作品は絶対的な映像美でスクリーンを観る者を圧倒する一方で、10代の若者の感性を上手に刺激した恋愛を描き、多くのファンを魅了し続けている。

『君の名は。』のインパクトが非常に大きいので、それ以前の新海作品はあまり世間で注目されていないように思える。また、新海誠は映画とその小説を必ずセットで発表しているのだが、後者がいち文学作品としてではなく「マニア向け」のコンテンツとして消費されている感がある。この点は残念だ。(ただ、『君の名は。』のアナザーストーリーとしての文庫本にはひどくがっかりした)

『秒速5センチメートル』は、もちろん映像作品としても非常に優れているのだが、この作品は小説としての魅力の方が強いと思っている。活字にした場合、素直に登場人物が置かれている精神状態が伝わってくる気がするのだ。この時、視覚的な映像は必要ないと思っている。

ネタバレしないように書かなくてはならない。ストーリーは、主人公の貴樹と彼の初恋の相手、明里の関係性を描くものであり、全3章構成である。第1章では貴樹と明里の小学校での出会いと、それぞれ離れ離れになった中学時代を描いたもの。その後、貴樹は遠く種子島に引っ越すことになり、第2章では貴樹のその高校時代を描いている。最後の第3章は、貴樹も明里も大人になった時代を取り上げている。

貴樹は中学で離ればなれになっても、種子島に移住しても、大人になってもずっと明里を思い続けている。高校時代と社会人時代でそれぞれ貴樹に好意を抱く相手が現れるのだが、彼女たちは過去の恋愛を大切なものとして持ち続ける貴樹と、次第に心の距離が離れていくことを実感することになる。一方で貴樹は、今その瞬間の恋愛に目を向けることはなく、無意識に彼女たちを傷付けていることに気付くことができない。

ストーリーの多くは貴樹目線で語られているので、明里がどんな心境で遠くにいる貴樹を見ているのかは明らかではない。だが貴樹が過去に執着している一方で、明里は別の結婚相手を見つたことが分かる描写がある。彼女は貴樹と異なり、過去にとらわれ続けることはなかったのだ。

ずっと昔の恋愛感情を貫き通すことは、非常に強い意志があって初めてできることだ。「ずっと一人を好きなままでいた」という一途な思いは、世間で好意的に受け取れられることが多い。だが、貴樹の場合は意思を貫くことにより周囲の女性のみならず、自分自身をも傷つけてしまう。よく女性の恋愛は上書き保存、男性は過去の女性ごとにフォルダ分けして保存すると言われることがあるが、まさしく貴樹は明里というデータのみを保存しており、他の女性に対しては別のフォルダさえ設けられていなかったのだ。一方の明里は新しい相手を見つけ、貴樹のデータを上書きした結果となった。

この作品は、見る人によって感じ方が変わってくるだろう。長い年月一人の女性を思い続けた貴樹をポジティブに捉えるか、過去に執着し続けた彼に対してネガティブな印象を抱くか、一方の新しい相手を選択した明里をどう思うか、読者それぞれの感受性によるところが大きいだろう。

おわり

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