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精神分析的に、男性は身体を持っていない


こちらの本に掲載されている斎藤氏と信田氏の対談に、以下のようなエピソードがありました。

『精神分析的には、男性は身体を持っていない』
『男性の身体は透明で、日常的に身体性をほとんど意識していない』
……。

個人的に斎藤氏はあんまり信頼していないのですが(個人の感想)、それでも「男性は日常で身体性を意識していない」というくだりは、確かにそうかもな……と感じてしまいました。

そんなとき、私のYOUTUBEに、とある二つの動画が「オススメ」として表示されました。

日常的に身体性をほとんど意識していない男性

ここに出てくる役者さんは名前くらいしか知らないので、彼ら本人のことは分かりません。

動画サムネに『全員男』と書いてあるけれど……うん、これは美麗な男性ですよねとしか。美麗な男性は男性だし、特に美しくない女性は女性です。
唯一、向かって右のゆうたろう氏は確かに中性的。
でも、真ん中の大平氏は、この写真でも容易に美形の男性だと分かるでしょう。
ゆうたろう氏も、男性骨格が顕著に出ている額(傾斜の角度が違います)を上手く隠しておられる。

そして話の内容がメチャクチャ怖い

「疲れてくると(セミロングヘアーの美男子)が女性に見える」
「男現場で(女装の役)を演じていると、共演の男性が体に触ってくる」

この「性的な意図をもって他者の体に触る」ことへのハードルの低さ、恐怖しかない……。

しかもここで男性から「女性に思える」と評されている美男子たちも、ゆうたろう氏以外は、彼らを知らない女性から見た場合「女性に見える」ことはまずないでしょう。
念のため画像・映像で確認してみたけれど、骨格から男性でした。

でも骨格がどうであれ見た目に美しく、女性的(とされている)装飾をまとった美男子の姿は、「身体性を意識しなくていい」男子たちの目には「女性に見える」のかもしれません。

他方、身体上の女性にとって、概ね戦ったら勝てない男性身体は避けないとリスクが高いため、骨格・肉付きなど様々なポイントから性差を察知しないとならない。

これとか単なる現実でしょう。
意識しようがしまいが、この肉体で生きている限り、身体から離れることはできない。


身体性から離れずにはいられない女性

こちらは身体的女性・人格男性のペガサスハイド氏による、女性身体者への注意喚起。

所々ステレオタイプな価値観に胸焼けしたり「それ言っちゃうのか……」という箇所もある。けれど、それでも、これは単純に現実世界で起こっていることだと思います。

ハイド氏の言う通り、女性身体者は、自認がどうあれ「男だと思われていない」場面が多々ある
女性の身体が狙われ、社会的に軽視されてもいる。
だから女性身体者は、身体性から離れられない。

それは現実として受け止めて、そこからどうするか考えて対処したほうが良い気がします。

「身体の性もグラデーション」と主張している人もいるんだが(注意・DSDに関しては言及しないほうが良い)、骨格や肉付きなど身体に女性要素があればあるほど加害される現実を私は見てしまった。本当に酷かった。強引にグラデーションだと仮定しても、女性要素が加害を受ける事象は現実問題として存在しています


男性中心主義がジェンダーニュートラルという普遍性を装っている

『存在しない女たち: 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』では、「女性の身体は軽視・無視されている」と主張され、男基準で作られた社会で「ジェンダーニュートラル」が男に有利に働く例が幾つも紹介されています。

昨今言われるオールジェンダートイレで女性だけ混んだ例とか、もう乾いた笑いしか出ない。

最初に例として挙げた動画二つを観ても、男性身体で生きている人びとと、自認がどうあれ女性身体で危機に晒される人びとの「立場・認識の違い」は如実に表れているのではないでしょうか。

私は凡庸なセクマイ女性ですが、セクマイ関連で言われる「シスヘテロ特権」は、社会制度や通念において「ヘテロ男性にしか付与されていないんじゃないか」と考えます。
女性と男性の権力差を無視して「ヘテロ」でまとめてしまう荒さこそ「男視点」だとしか思えない
男の下駄を履いたセクマイ男が、女に向かって「ヘテロ特権」とかふざけんな下駄穿き男がよとしか思ったことがない。
よく「セクマイで共闘を!」とか言われるけれど、男特権を棚に上げて女に物申すセクマイ男となんか共闘したくない。
私のようにセクマイ男の盾にされたくないビアンだっている!

因みに、私がTwitterでビアンゆえのヘイトリプを山ほど送られたとき、相互だった「セクマイ差別に反対」の人たちは誰も助けてくれはしませんでした(セクマイ研究の大学教授も数名相互だったんだけど。しかも、セクマイコミュの女性蔑視に言及したらブロ解された。某先生には私のツイートが見えていたんですね……)。
私を助けてくれたのはラディフェミ複数名・萌え工口絵師の男性二名(本当)でした。
一番最悪だったのが、「セクマイ差別反対」を標榜しながら表では何も言わず、私に個人的な連絡先を送ってきたアライ男ですね。女がSNS以外で知らない男と繋がる危険性を理解してないのか、理解してワザとやってたのかは私には分かりません。

正直、セクマイ関連の言説(学問・政治・社会的なものも含め)は、明らかに「男が考えたモノだろ……」と感じるような女を無視した内容が多い。
それはビアンとして「同意しない」と宣言していかなきゃあかんことだと思う。

昨今、身体の性差を個人差として軽視する風潮もあります。
が、それらは、このような「身体性を意識しなくてもいい男性社会」から出た考え方だとしか私には思えません(個人の感想)。

この事例も、共同トイレで困難を感じた女性の声が圧殺されていることを物語っています。
かくいう私自身、五年ほど肉体労働の現場に勤めていましたが、そのときも簡易トイレがひとつあるだけでした。私も含め、働いていた女性たちは、近隣の女性と男性で分れた綺麗な公衆トイレまで行っていた苦しい思い出……。

先進的で良いことのように喧伝される「ジェンダーニュートラル」の中には、「あらかじめ男性身体者に有利にできている社会」をすっ飛ばしている言説が多く含まれています
それに対峙したとき、決して「良いことであるはずだから疑ってはいけない」などと引かずに、しっかり精査して、意見すべきときには断固として発言しようと思っています。

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