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在野研究者を支援するにはベーシックインカム

医療人類学者の磯野真穂氏のブログ記事が話題になってました。

今は、アカデミアに所属しない在野研究者として身を立てている磯野氏がその金銭事情を説明された内容です。

磯野氏は、江草も『急に具合が悪くなる』や『ダイエット幻想』などの好著で知ってからずっとフォローさせていただいてる方です。


で、今回、ブログ記事の中で、大学の非常勤講師の低待遇さや、研究者に対する書籍や記事、講演依頼の相場の低さを指摘されており、その点が議論を呼んでいたわけです。

磯野氏は慎重に言葉を選び、各方面をフォローしながら書いてらっしゃるものの、「研究者が大学に常勤職を得られないとこんな低報酬にあえぐことになるのはおかしい」という怒りのメッセージを明確に出されてると言えます。アカデミア出身者が大学外でも生きていける社会の方が健全であろうと。

実際、(特に日本社会では)常勤職というのが「身分」として機能していて、常勤職という身分を持っていないカースト下位の者は低待遇でも仕方がないという雰囲気になっているところがあるので、理不尽に思うのは当然だし、江草も共感するところです。過度の「清貧思想」もほんと根深くあるなとも思います。

ただ、この状況を、提言されている「個別の強気の交渉」で打破できるかというと難しいとも思うんですね。

まず、大企業でもなんでも労働争議をするのに労働組合を組織してわざわざ団結してるのは、交渉事に個別で当たっても全然効かないことが分かってるからですよね。だから「個別の場で矜持をもって強気に交渉しましょう」と言っても、結局、抜け駆けする者も出て来ますし、生きるために金を稼がないとと言って折れる人も出てくるので、個々の精神論だけでは難しいというのが実情でしょう。

また、はびこる「清貧思想」も、低報酬になる原因というよりも、低報酬を心理的に抵抗なく受け入れさせやすくするための方便という性格の方が強く、「清貧思想」を改めたらどうにかなるという問題ではないかと思われます。つまり、「清貧思想」は言って見れば「病気の原因」ではなく「病気の症状」でしかないので、それを無理やり押さえ込んだところで対症療法に過ぎず根本治療には至らないというイメージです。

また、磯野氏自身も「クリエーター」という言葉を用いてますけれど、一億総クリエーター時代とも言われるぐらいには、各自が発信や創作をこぞって行ってる時代なので、市場原理的には自然と低報酬になるのは仕方ないところがあります。これは創作物の価値が低いと言ってるのではなくって、いかに肉体を持つ個々の人間目線では創作物の価値が高かろうとも、これだけ創作物が溢れる世の中にあっては機械的な市場原理的には価格は勝手に低くなるというメカニズムを述べているだけです。実のところ「市場価格」はかなりの要因を「希少性」に依っていて「個々の商品に内在する絶対的価値」を測っているわけではないので、「価格」と「価値」が乖離することは全然普通にあるんですね。

だから、そもそも「報酬をもらうための交渉の場」すなわち「市場原理」によってこの問題を解決するのは難しいと思われます。無理やり「商品の絶対的価値」と「市場価格」を一致させようとすること自体がすでに市場原理を歪めてしまってますし、そうでなくとも「私(あるいは私の創作物)には価値がありますよアピール競争」が激化して、すなわち、各々が「自分にばかり都合がいい市場原理の歪み」を生み出そうとして、みんなが辟易し始めてるのが今という時代なので。

だから、江草もまさしくこないだこの話題を取り扱った通り、これを解消する策としては「ベーシックインカム」ぐらいしかないんじゃないかなと考えています。

ベーシックインカムは、仕事の依頼料とか賃金の論理の外部にある給金なので、それ自体市場外の存在であり、個々の市場での交渉そのものに介入しないわけですね。つまり、市場原理の歪みを生み出さずに個々の市場参加者を支える発想なわけです。(だからこそ市場原理大好きな経済右派にもベーシックインカム支持者が居るのです)

ぶっちゃけ、常勤職以外の低身分の人々が低報酬にあえぐ羽目になるのは「仕事が得られないと生活が苦しくなってしまう恐れ」からであって、「低報酬だから生活苦になる」という因果ではないんですね。つまり、磯野氏は後者に依った「低報酬だと生活苦になるので報酬を上げるべき」という理路ですけれど、江草はこの逆で「生活不安があるから足元を見られて交渉力を失い低報酬となるから生活不安を先に解消すべき」という理路を採る立場なわけです。

だから、磯野氏も

大学の常勤職を得られなければ、途端に生活が苦しくなってしまう状況を改善するには、例で挙げたような仕事の依頼はおかしいという常識が成立する必要がある。

と、常識の変容の必要性を訴えられてますけれど、江草の場合はさらにラディカルに「仕事がないと生活が苦しくなってしまう」とか「仕事の対価で生活を成り立たせるべき」という常識自体を変えていきましょうと踏み込んでる感じです。

人類学者の方にはもう釈迦に説法すぎると思うのですが、常識というのは案外、個々の時代や場所でたまたま成り立ってるに過ぎないものですから、「仕事で金銭を得るべき」という常識自体もメタ視点で俯瞰して見て、必要があれば変容させていくというのは、あながち変な発想ではないと思います。

まあ、ベーシックインカムも個々の努力だけでは実現が難しく、実現のためには大きな社会のうねりにまで昇華させていかないといけない、なかなかハードルが高いプロジェクトではあるのですが、一応、「ハチドリの一滴」的に江草もこうして細々と発信させてもらってる感じです。

で、同じ「ハチドリの一滴」を注ぐにしても、対症療法にしちゃうよりは病気の原因に直接アクセスした方がいいよねということで、ターゲット修正を促す本稿を書かせてもらいました。


なお、アカデミアの研究者待遇の問題とベーシックインカムについては、過去にもこうした記事を書いてますので、ご参考まで。


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