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実はまた、マニラに居たりする。

ご無沙汰です。いよいよ作品をつくろうという段にあります、マニラに。なんだかんだでもう20日と少しいますが、しかしボンヤリしています、前回もそうだったけれども。受け入れてくれるスラムがなかなか見つからない! ああ、これ12月も来ないといけないパターンだ。12月は日本でじっくり寒さを体感しようと思っていたのに。。マニラのなにがキツイって気候的寒さがひとかけらもないのと(人工的寒さは室内に溢れている)、イミグレーションの腹立たしさと、犬に噛まれることですね。

そもそも、なにをやっている僕か。名前すら書いていなかった。とある大学の講座からマニラの現状をレポートして欲しいと言われたので、以下はそのために書き起こした文章です。

こんにちは、武田力といいます。肩書きは「アーティスト、俳優」です。 実際につくっている作品は演劇で、本来は「演出家、俳優」となるのですが、「僕は演出家で、演劇としてこういう作品をつくっています」というと、(特に日本では、また日本人には)誤解を伴った固定観念で迎えられることが多いので「アーティスト、俳優」としています。という前提を以って、いただいた質問にお応えしていきたいと思います。

・武田さんがスラムに滞在してる経緯をざっと

フィリピンに’Karnabal’という国際演劇祭があります。その演劇祭は3年のタームで回り、制作のアイディアから観客と共有し、彼らとともに思考し発表まで至る。いろんな意味で「育成型」のこの演劇祭から招請をいただいてマニラに滞在しています。来年2017年に3年目/制作最終年度/発表を迎えます。それは「たこ焼き」を用いた作品です。

急進的な経済発展を続けるマニラにおいて、Takoyakiは中流以上の市民層で人気の食となりつつありますが、そこにタコはまず入っていません。日本ではよく食されるタコも‘Devil Fish’といった言葉が示すとおり、世界では畏怖の対象とされる土地もあります。実際にタコは様々な意味合いを有し、ひとつには「大陸侵略の象徴」としてアイロニーをもって世界中で描かれてきました。

マニラ湾には先の大戦によって沈没した日本船がいまも数多く眠っています。その沿岸にはスラム街が形成されており、住まう彼らは国家システムから離れた前近代的な「付き合い」によって今も生きています。僕はそのスラムに住まい、彼らとタコを獲ります。そして彼らにたこ焼きを振る舞い、一緒に食べようと思っています。

多くの国の捕虜含め、たくさんの人間が今も沈んでいるその海で、遺体を食し(タコは遺体も食べられます)、その遺構を住まいとして(彼らは蛸壺のように隠れられる場所を好みます)生きてきたと思われるタコを、「日本の食」として人気のTakoyakiの具材に加える。タコを介してその遺体を共に食すことで、過去を引き継いだ上での「和解」と「更新」に結びたいと考えています。当然、それには住まうにはじまり食すに至るまで、わたしと彼らとの信頼が肝となるでしょう。

現代社会において蔑みの対象でもあるスラムとの協働は、近代戦争の是である経済資本主義の問い直しにも繋がると考えます。先述のとおり、フィリピンはいま経済成長著しい。ゆえに「市民層」と「大衆層」の二極化は深刻化しています。平等を求める「民主主義」と、格差を生み出す「資本主義」を巡ってそれぞれが別個の道徳を強めているのです。ちなみに僕は、スラムに住まう彼らは確かに「資本」には貢献しませんが、「民主」という意味では現代社会のそれよりもよっぽど先進的だと考えています。

戦争にせよ、スラムにせよ、時代の進展による忘却/排除を安易に選択するのではなく、国家の志向を離れ、個々人として思考し未来へ繋ぐ高次の和解と更新が、タコを暗喩に用いる演劇によって対外に示せると考えています。

・一番知りたいのは:武田さんが会ったり聞いたりした、現地の人の具体的なできごと、エピソード。です。

〈フィリピンはいま経済成長著しい。ゆえに「市民層」と「大衆層」との二極化は深刻化しています。平等を求める「民主主義」と、格差を生み出す「資本主義」を巡ってそれぞれが別個の道徳を強めているのです〉。このズレはいまのフィリピンを知る上で前提となる、重要な点だと思っています。エピソードは語り尽せませんが、いまの日本の現状と親和性をもって捉えていただけそうなことを、ひとつお伝えしたいと思います。

沖縄・高江で大阪府警による「土人・シナ人」発言があった翌日の19日。フィリピンでもアメリカに端を発すコロニアリズムと民主主義を問う、ある事件が起こりました。‘National Minority’とも呼ばれるミンダナオ原住民はスペイン/アメリカによる統治時代に、また今なおアメリカの帝国主義的な環境下で文化的/金銭的搾取に喘いでいます。独自のアイデンティティを奪われていき、変わらずに貧しく、フィリピン国内でも学校の設置など後回しにされがちな彼らは、フィリピンの首都であるマニラへ。バスで3日かけてやってきました。そしてその19日に’US Embassy’前においてデモを行いました。苛立ったマニラ警察は彼らを警察車両で轢いて回りました。

https://www.youtube.com/watch?v=O32l5jlHY-s#action=share

ここからその動画は見られます。

ただ、問題に共通項は見出せても、日本とそれが語られる「俎上」は異なります。まず、フィリピン大学(総称’UP’。日本でいうところの東大)が受け入れ先となり、彼らに住居と食事を手配し、今月28日までUP構内にとどまることを許可しています。また、少なくとも大学内における「表現の自由」をUPは保障しています。自分たちの現状を知ってもらうために彼らはミュージアムを仮設し、さらには毎夜毎夜、様々なアクティビストやアーティストを招き、その窮状を訴え、現状を放置する政府と戦うことを観客と表現を通してシュプレヒコールを起こし、意識を共有していきます。警察からクレームが入ったことを理由に、展示変更した愛知のどこかの美術館とは随分と違いますね。また、日本よりもアートが政治とより近い位置関係にあります。

それと、彼らは表現として自身の窮状を訴えるときに、自分たちの民俗芸能で以って伝えます。日本でも同じくアイデンティティ足る芸能を残そうという動きはありますが、その多くは保存のために国がお金を助成している。いわば「貨幣的価値を前提とした芸能」であり、「国の文化としての芸能」になりつつある。でも彼らは国に対する異議申し立てに芸能を用いている。そしてそれが2016年の現在においても他者とのコミュニケーションツールとして成立している。日本における民俗芸能とは全く逆のベクトルに(つまりは「中央集権に対する」という民俗芸能が元々内包している志向に適う形で)今なお保持し、伝え、継承している。

彼らの愛国心は総じて強いです。たとえばイベント時には国旗掲揚と国家斉唱があり、みな嫌嫌ではなく自発的にそれを行っています(それはチェルフィッチュのツアーでマニラを訪れた際もそうでした。全員が起立しての国歌斉唱が終わったら、暗転もなく、おずおずと『三月の5日間』は始まる)。その愛国心ゆえに「ときの政府をしっかりと監視すべき」といった共通意識が貧富問わず感じられます。ドゥテルテは昨夜中国から帰ってきて、明々後日25日から日本かな。まだこの事件に対する彼からのコメントはないようですが、注目されるところですね。

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