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コラムvol.2 絶対的中心に頼らない/頼れない、フィリピンの多面的空間性

どうでも良い話を、なんだかすごい話にするのは難しい。「なんだかすごい」というのはいろんな意味に取れるが、ここでは「可能性」の意味合い。フィリピンで生活しはじめて3ヶ月が過ぎた。場のつくりかたとその寛容度、個の自立とその所以でもある強い政治不信、にもかかわらず強い集団性。カトリック信者が8割以上を占め、中絶、離婚はもとより、3年前まで避妊も認められていなかったこの国。と同時に「あの国」として日本を見つめ直す良い機会ともなっている。それは同時代的な横軸だけでなく歴史的垂直軸を含めて。日本と対置することでいくつも見出せる観点から、できるだけ下らなく、でもこれからのアジアを見つめる上で重要だと思えることを書く。そもそもこの国にはどうでも良いことが多過ぎるのだ。誰もその価値を認めようとはしない、わたしたちも彼ら自身も。

Cubaoという街がある。かつてはフィリピン屈指のビジネス街だったらしいが、いまは空き店舗が多く見受けられる。とはいえバスや電車といった公共交通機関のターミナルともなっていて、行き交う人はいまも多い。東京ディズニーランドのアトラクション「スペースワールド」のような街並み。まさにあんな宇宙都市を夢見た時代にこの街はつくられたのだろう。ひっそりと映画館がある。ピンク映画という言葉が適切なのか、わからない。SEXをただ見せたほうがマシと思えるほど内容は無く、芸術性は欠片もない。平日の昼下りからそこに集う男たち。2階席まである古い映画館。1000人はゆうに収容できる。シンプルな木製座席は腰掛けると軋むどころか右へ左へ傾くシーソー。館内は蒸し暑く、男たちの大半は半裸。そして一様にタバコを吸う。大映しに露わになる女の裸体を前に、暗がりを舞うホタルのように館内を回遊し続ける男たちのタバコの火炎は動き、喘ぎ声と扇風機の音とが混ざり合う。

上映は2部構成。入れ替えはなく、朝から夜まで居られる。それはたまたま最後半で、まもなくで休憩時間を迎える。男たちは眩しそうに顔をしかめながらロビーへと出てくる。誰も口をきかない。淡々と質素な売店で飲み物を買うなり、汗を拭うなり、トイレで用を足す。珍しいようで、じろじろと執拗に視線を浴びせられる。ただ見つめられる。それでも変わらず誰も口を開かない。視線を交わらせれば、とたんに躱される。

休憩を機に2階席へ上がる。さらに蒸し暑い。同じく半裸の男たちは皆タバコを吸っている。1階ほどは広くないここの密度は高い。暑さと、空気の悪さもあるのかもしれない。手探りで中ほどの席に座る。映画はすでに始まっている。まもなく男が隣に座る。これだけ空いているのに、わざわざ隣を。そして肘を密着させてくる。圧が徐々に、かかってくる。男はわたしの股間へ手を伸ばす。開かれていくチャック。と同時に場に居合わせた男たちは暗がりを右後方へと集まる。決して急ぐことなく、しかし速やかに。背後を無数の火炎が動く。まるでチャックを開かせることによって生まれた空間を彼らが仕上げるように。

1階へと下る。館内を回遊し続ける男たちはいずれも相手を探していた。タバコの火は所在を示すサインだった。並び合いしばらくの時間を共有したふたつの影は、いずれひとつになる。重なり合っているわけではない。ひとつが股間に沈めば、互い違いにもうひとつもいずれ沈んだ。顔もみえない暗がりで淡々と相手を見つけ、淡々と行為に及ぶ。それを邪魔する者はいなかった。それどころか映画館という公的空間は相互扶助によって、無数の私的空間として場を改めていく。そして、誰ひとり興味を示していないかにみえたその映画を、男たちは的確に把握していた。私的につくりあげられた空間の盛り上がりはその映画の盛り上がりと同化していた。さらに再び休憩という名の現実の光を浴びるまでに、どれほどの時間が「わたしたち」に残されているかを彼らは知っていた。存在意義もないと思えた映画はきちんと空間全体を包み、決して強要することなく、惹きつけも焚きつけもせず、統括しつつも共存するように存在していた。そのとき、ここに足を踏み入れた時点とは異なる不思議な空間性をわたしは覚えた。

どうですか? 下衆の極みな男たちのくだらない話だと思われるでしょうか? でもこの男たちに限らず、高い空間認識能力をフィリピンの人たちは普通に持っている。それはこの国の足である「ジプニー」というアメリカ軍から払い下げられた小型バス内でも、土地土地の祭りに行っても感じられる。彼らに公か私かの概念は薄い。無いと言い切っても良いのかもしれない。しかし彼らは公私の認識、さらにいえばその固定観念以前に、彼ら自身で瞬間瞬間になにがこの場に必要なのか、なにに価値を置くべきか判断を下している。一点に意識を集中させず、広く浅く、ときに深く空間の重要度を移して回る関係性。それはこの地で生きるに不可欠な能力のひとつなのだろう。そして、これは彼らが歩んできたスペイン、アメリカ、そして日本からの統治、その後の独裁政治の歴史とも不可分だ。ここで生活するにデフォルトとされたこの能力は立派な、ひとつの民俗的芸術だとわたしは思う。さて、ここから彼らとわたしたちはなにを志向できるのでしょう? そのことをずっと考えている。

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