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社員が語る「Pocket Owners」#2

「Pocket Owners」は、第一次産業を中心に人と人の新たな関係づくりを目指すサービスであり、生産者と生産物は欠かせない重要な要素です。
ただ今回はオーナー体験にフォーカスし、その魅力について考えたいと思います。

丹波篠山で黒枝豆の収穫体験に立ち会ったときのこと、畑を走り回っていたお子さんがすこしだけゆるやかに下りになっているところで転び、「危ない!」と思ったところ、ゆ~っくり「ごろ~ん、ごろ…」くらいで止まり、何事もなかったように走り出し、一同大笑いということがありました。

収穫体験では収穫した生産物を持ち帰ることができます。どれだけたくさん獲れたかを競い合うゲーム性もあります。これらはサービスの提供価値として重要な要素だと思います。
ただ、それが体験価値の全てではないように考えています。

足の裏で感じる畑の感触はやわらかく、雲間から差し込む光と移ろう自然の色彩は表情豊かで、風は心地よく、参加者のみなさんがワイワイと話す声のボリュームはいつもの話し声と比べてかなり大きいはずなのに、不思議と耳ざわりが良く、みなさんの活き活きとした表情や笑い声によって運営として立ち会ったこちらもワクワクしていることにふと気付かされます。

生産者と参加者のやり取りもさまざまで、参加しているご家族のお子さんたちの言動に生産者が用意していた段取りのペースを乱されることもあれば、子どもならではの自由で奔放な発想に大人たちが驚かされることもしばしばです。収穫を終えて帰る際、帰りの観光コースを尋ねられた生産者が、「そっち方面に帰るならあそこで夕食をとるのがおすすめやで」、「ここは寄ってみるとおもろいかも」とマークをつけた地図を尋ねた人以外にもサービス精神から手渡していくなど、生産者と参加者で思い思いのやり取りがなされることもあります。

豊かな自然の中で起きることは、どれもが魅力的な発見であったりします。ほとんどのことが想定の範囲には収まりません。思いもよらないとまではいかないものの、どこか日常の感覚をはみ出る、あるいは揺さぶるものです。
また、人と人が集まり自然発生的に生まれる会話から新たな経験へと導かれることもあります。ふとした疑問を生産者に投げかけることからウェブ検索ではたどり着けない情報に出会えることもあります。
それら一つ一つの体験は、ラベルを貼り体験価値のあるものとして事前にメニューとして切りだされ前もって差し出される類のものではないでしょう。また、時間をかけ収穫体験のために現地へ足を運ぶことは、想定していたとおりに、あるいは想定していた以上に煩わしかったかもしれません。
しかし、それら全て、コントロールがきかない想定外のこと、想定していた以上に面倒な体験は、結果として、収穫して持ち帰った生産物の味を格別なものにする大切な要素ではないかと考えています。食物として成分を科学的に分析しても出てこない味わいが、人がさまざまな経験を通じたからこそ感じられるものとしてたしかにあるような気がします。

ある経験を豊かにするのは、その経験を枠どっている、場合によっては意識にすら顕在化しない、それ自体はどのような意味を持つかはっきりとしない諸々の断片的な体験ではないか、と思うことがあります。自身の記憶と重ねても強く印象に残っている記憶や経験には、そのような性質があるように思います。

収穫体験をしたことがないという人にとっても、例えば、ある映画をマイベストにあげる理由が、ストーリーなど内容そのものというより、その映画を最初に映画館で観たときの印象からきている、ということはありませんか?週末を待ちわび、前日に天気予報をチェックした記憶が張り付いていたり、映画館へ向かう途、帰りに立ち寄った場所の光景がありありと目に浮かぶ。あるいは、具体的な経験というより、その頃の置かれていた状況が映画を観るという体験の色合いに強く影響を与えていることもあるかもしれません。ともにした誰かによってその経験が彩られていることもあれば、誰かの不在がその経験を枠どっていることもあるかもしれません。1人で暇を持て余してなんとなく観ただけなのに、うまく説明はできなくとも、ただただ記憶に焼き付いているということもあるかもしれません。

ある経験をかたちづくる要素は全てが意識の上に顕在化するわけではなく、印象に残る経験はなぜ、どのような理由で自分に刻まれているのかは、案外自分でも説明がつかないことが多く、知らず知らずのうちに、人は自分にとって大切な何かを蓄積しながら生きているように思います。

ラベルの貼られていない体験をすることが難しくなっているよう感じます。映像、音楽、その他あらゆるサービスが細切れに切り出され溢れる日常生活の中で、一つ一つのサービスの提供価値と人の欲求の結びつきはクリアに説明され、生活の快適さはますます向上しているように見えます。あたかも、人は自らの欲求や欲望の対象を違えることなくいつも十分に心得ているようであり、しかし一方で、実はそのことを後追いで認めざるをえないよう急き立てられるだけの日々を送っているようにも感じます。
欲求のごく一部を満たすコンテンツをいくら積み重ねても、それだけで捉え尽くせないところに人の本性は宿っており、そこにこそ日々の生活を積み重ねていく喜びや楽しさがあるように思います。ラベルの貼られていない体験こそが実は、自らの本質をかたちづくり、自らの中でまどろんでいて、いつかどこかで自分自身を揺り動かし、あるいは誰かと引き合う強い力となる可能性を秘めているような気がしてなりません。

「Pocket Owners」の魅力の1つは、偶発性を身体や生活、人との関係に取り戻すことにあるというのが私の考えです。生産者とのやり取りや、生産物が実る豊かな自然の中で、日常の感覚が揺さぶられること。シェアオーナーになり生産者から届くレポートや生産物によって巡る季節の訪れを感じられること。そこにレポートや生産物で毎日に彩りを与える生産者に会いにいく経験が重なり、より一層かけがえのない生活の糧となると考えています。

書いたひと

田中隆伯
(EXest株式会社 経営企画部)
Pocket Ownersを事業として進める社内体制の整備をしています。
生産者とのコンテンツ作成、イベント運営、などにも関わります。


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