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村上隆は威厳を欠いた神の像を作った

村上隆の解説は再三ネット記事で挙げられている。
ハイアートとロウアートの垣根を取っ払ったことで評価されたと。そんな記事はめちゃくちゃ見てきた。

斬新奇抜な作品観で日本美術の最先端を行く村上氏の初期作品を僕なりに分析したので、みんなの意見をもらいたい。
村上隆。言わずと知れた日本現代美術の大御所。
東京藝大日本画科を卒業後、渡米しアメリカにおける美術に対する価値観に触れた。そうした中村上氏の内で、ハイアート(高級美術)とロウアート(大衆美術)の境界線を曖昧にした表現「スーパーフラット」からフィギュアを作った。というのがネットに溢れた情報だ。

僕的美術の再確認

今回分析した作品は言わずと知れた問題?話題?の2作
HIROPON
my lonesome cowboy

結論を言うとこの2作は「風神雷神像」だと分析した。
日本美術史では度々風神雷神が題材として使われるくらいに人気な題材。
村上は日本文化に強い関心を持っており、同時代的に風神雷神像を再構築したのだと考えたのでその内容を報告する。

作品名分析

HIROPON(ヒロポン)
村上氏による巨大フィギュアの2作目。97年に発表。
このHIROPONを風神だと推察した。
理由としては作品名。ヒロポンとは昭和初期に流行った覚せい剤の名称。"神風"特攻隊が出撃前に服用した(※諸説あり)とされ、風神を想起させる。
これだけではこじ付けではないかと思われるだろう。ただ村上氏は度々戦争を意識した取り組みを行っており意図的に戦中の事物を取り入れている。
・ニューヨークでの企画展「リトルボーイ展」=広島に投下された原爆の名称「リトルボーイ」
・Time Bokan=原爆のきのこ雲を想起させる絵画
・ランドセル・プロジェクト=軍国主義へのアンチテーゼ 

my lonesome cowboy(和訳:ひとりぼっちのカウボーイ)
HIROPONの次に作られた作品。98年発表。
当初は社会からの認識を意識し、HIROPONを補完するための作品として発表された。
ただ、これも実際はそれ以前から構想した作品だったと推察。村上はこの2作品を風神雷神像のように、対の作品として発表したかったができず、後出しとなった少年像をmy lonesome cowboy(ひとりぼっちのカウボーイ)としたのだと考えた。

名称に関する分析はできたが、それで全てとなるとイマイチぴんとこない。
さらに根拠を挙げてみる。

ビジュアル分析

まずは本物の風神雷神図 ※見やすさ重視で、琳派の代表格、俵屋宗達の屏風を例にとる。
雷神は手に持った桴(ばち)で、背にある太鼓を轟かせ雷を落とし、
風神は風袋を持ち、そこから雨風を起こす自然現象を神格化した存在だ。

俵屋宗達 風神雷神図屏風
左が雷神 右が風神

そして僕が分析した村上による現代の風神雷神像。
うん なんとも卑猥。なにも考えずにみると全く風神雷神じゃない。風神雷神像にある威厳も風格もない。ただ対になっているように見えるところだけが類似点かな。

村上隆 風神雷神像
左がmy lonesome cowboy(雷神) 右がHIROPON(風神)

それでは何をどう分析してこの作品が風神雷神に見えたのかを説明していく。

風神 VS HIROPON
●持ち物
風神:風袋
HIROPON:乳房(乳袋)
●立ち姿
風神:片足を上げ駆け回わるような体勢
HIROPON:片足を上げ吹き出た母乳で縄跳びする姿
●頭部
風神:中央にある角のせいで二股に分かれて見える
HIROPON:ツインテール

雷神 VS my lonesome cowboy
●持ち物
雷神:桴(ばち)
my lonesome cowboy:陰茎
●構成物
雷神:背にある太鼓
my lonesome cowboy:陰茎からでた精液
●頭部
雷神:二本の角
my lonesome cowboy:ツンツンした頭髪

シルエット、ビジュアルどちらも共通点があるようではないか。
相違点も多く見受けられるが、共通点も十分あるように見える。

また、雷神は桴で太鼓を轟かせることで雷鳴を起こすのに対し、
my lonesome cowboyは陰茎を刺激し心臓という太鼓を轟かせ絶頂に至る。
絶頂と雷鳴がイコールということにはならないがこれは寓意なのかも。

大衆芸術要素

作品ビジュアルで言えば日本の大衆芸術(アニメ、漫画)的要素がかなり含まれている。
大衆芸術ではよく使われるデフォルメ。忠実にオタク文化的デフォルメが前面にでた作品を作り上げている。
立体作品背景の屏風なのか絵画なのか不明な水色の平面作品にも大衆芸術要素が含まれている。左が稲妻、右は風の漫画表現と考えるとさらに風神雷神感が出てくる。

西洋文化要素?

これについては疑念が残る。
西洋では向かって左が男性(上位)、右が女性(下位)とされており、西洋の慣例を取り入れているように見える。
スーパーフレットは西洋文化の文脈は含まれていないと思われるし、偶然かもしれないが、アメリカでの発表を考えると西洋の慣例を取り入れることで美術として認識してもらうのに必要だったのかもしれない。

どの説も村上氏が発した内容でないため真偽は不明だが、割と整合性ある内容なのではないだろうか。

上記内容を含めて再度両者を見比べてみるとあら不思議。
うーん、やはり全然別モノなのかもしない。風神雷神像を見た時のように気持ちが高ぶらない。心模様までスーパーフラット。

あれ?今更だけど2000字にもわたって力説したけどハイアートとロウアートの垣根をぶっ壊した作品ということはすでにみんなこの認識だったのかな。

まぁでも作品の見かたについて考えられたから自己満、嬉しよ
引き続き美術に勤しも。

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