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アラフォー/HSP/内向型/独身/実家暮らし/現在無職→2022年から社会復帰。 …

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アラフォー/HSP/内向型/独身/実家暮らし/現在無職→2022年から社会復帰。 どう生きていきたいのか。 どう生きていくのか。 生きるとは。働くとは。人生とは… 正解のない、答えがあるのかわからない問いを求めて模索中。 そんな日々の思ったことをただ書く日記です。

最近の記事

わたしさんへ

わたしさん、気づいていますか? 「ありのままの自分は愛されない」を体験したくないために、 ありのままの自分自身を隠す。 愛されるような自分を演出する。 だから、そのとき愛してもらっても、 愛されていないになってしまう。 ありのままの自分を愛されたい。 ありのままの自分を愛されたいから、 愛されていないを体験したくなくて、 ありのままの自分を出さない。 大事に隠している。 そして、どうせありのままの自分なんて愛してくれないんでしょ! っという前提でいること

    • なーんだ、そうだったのか

      なーんだ、愛されたかっただけなんだ。 なーんだ、ただただありのままの自分で愛されたかっただけなんだ。 だから やりたいことも、なりたいものも、目指すところも よくわからないんだ。 ただただ、ありのままの自分で愛されたかっただけなんだから。 ただただ、ありのままの自分を愛したいだけなんだから。 ただただ、ありのままのその人を愛したいだけなんだから。 これが私がこの世界に生まれてきた理由。 ただ、ありのままの自分で愛されること。 ただただ、ありのままの自分を愛

      • 自分を煽る、焦らせる

        夜遅くにお風呂に入るとき、 なぜか髪の毛を洗うのを明日にした方がよいと思うときが多々ある。 もう遅いしなって思いがわく。 夜遅くといっても22時台。 長風呂でもないから、30分もあれば出てくるのに。 お風呂からあがってからも、 別に早く寝るわけでもなく、眠いわけでも、眠くなるわけでもない。 早くお風呂から出て、何かやりたいことがあるわけでもないのに、 なぜか夜遅くに髪の毛を洗うとなんか「遅い」って感覚だった。 先日、ふと疑問に思った。 22時台に髪の毛洗って、ドラ

        • うまくいくの定義

          うまくいくの定義を変える。 というか、変わっている途中かな。 今までは外側の人とうまくいくことだった。 相手を不快にしないこと。 期待以上に応えること。 そうすれば、 敵対視されることもないし、 仲間外れにされることもないし、 なんとか安定した繋がりを保てる。 と思ってきた。 けれども、 結局は、私は望む安心した関係にはならず、 軽く扱われるような、そんな感じになってしまってきた。 今の私のうまくいくとは 私の内側の調和。 自分のなかの調和がなにより大切

        わたしさんへ

          波があって当たり前

          人生に浮き沈みがあるのは、きっと当たり前なんだろうな。 気分の浮き沈みがある。 自分の思い込みに気づいたり、 自分のパワーに繋がれたときとか、力強さや自信みたいなものが出てくる。 これは浮いている状態かな。 上がっている感じ。 でも、日が経つにつれて、 そのパワー、自信は少なくなっていき、 不安だったり恐れだったりがむくむくと出てくる。 うじうじ考えたり、落ち込んだり。 頭の中だけだけど、自暴自棄になっていたり。 これは沈んでいる状態。 下がっている。 以前は

          波があって当たり前

          虚しさ

          「虚しさ」を結構ひんぱんに感じることがある。 何がむなしいのか… とても抽象的だが、 「生きている虚しさ」 って感じかな。 この虚しさはあってはいけないものだと思っていた。 自分の生き方が間違っているから。 だから感じるものなんだって。 結婚して子供がいて、そんな普通の人たちはきっとそんな虚しさなんて感じないんじゃないかって。 そんなふうに思いもあったりして。 自分の生き方が間違っているから。 だから虚しさを感じるんだって。 でも、虚しさを感じないように、

          虚しさ

          自分の内側を全てゆるす

          自分の内側に感じることを、 全てゆるす。 何があってもいいよ。 何を感じてもいいよ。 そう自分に伝えながら。 何かに反応して、不快をいだいている自分をゆるす。 不快感を何とかしたい自分がいて、 何とか解消しようとしている自分がいるのだけれども。 そんな自分にも、 解消しなくていいよ。 そのまま感じたままでいいよ。 そうやって頭の中で伝えて、 ただただひたすらに体の感覚に意識を向ける。 頭の中でいろんな解釈が発生するけれど、 一旦それは置いておいて。 自分にあ

          自分の内側を全てゆるす

          私の命が私に伝えてくれているのなら

          何かを学んでも、快適な世界にはならなくて。 抵抗感は出てくるし、不快感もたくさんたくさん出てくる。 人の言葉や態度に反応しては、悶絶する日々である(^^;) その一方で、人の優しさも受け取る機会が増えており、 その優しさに嬉しさと感動で、いちいちウルウル涙が溢れ出す。 私自身の何かが変わったのかもしれないが、自覚はない。 仕事で置かれている環境が変わり、関わる人自体が変わった。 自分がそうしようと動いたわけでもなく、そうなったという感じ。 関わる人たちへの、優し

          私の命が私に伝えてくれているのなら

          いのちの時間は有限

          突然の訃報。 人間はいつかしぬ。 それを頭では当たり前だと理解はしてるのだけれども、 日々の生活のなかでは、 その「いつか」は永遠に先のように感じている。 いつか来るいつかは、まだまだ先だと常に思っているから、 いつかは来ないとも思っているふしがあるなぁって思う。 突然の訃報に、そのいつかが目の前に現れた。 私にも親にも、そのいつかは必ず来るのだと。 いのちの時間は有限だということを実感する。 命は必ずいつか死ぬ。 どうせいつか死ぬのなら、今をどう過ごそうか。

          いのちの時間は有限

          2023年の振り返り

          今日の夕方、2023年の振り返りをしました。 やってくる毎日をただただ過ごしている感覚だったので、 あまり変化も成長もないように感じてたんだけれども。 手帳や出来事をしっかりと振り返ってみると、 なかなかの怒涛な激動の一年間のようでした(^^;) 自分の痛みをみにいくと決めて2022年から受講して来た講座が、 2023年にコンプリート。 2022年から受け始めて、 受ける度にどんどん自分の痛み、パターンの解像度があがり、 最後にはドンピシャの、ど真ん中をつかれる。

          2023年の振り返り

          年末に本を整理

          本棚に入っているものを ただ段の入れ替えだけをしようとしたのだけれども、 結局今年も15冊くらい手放すことになった。 (昨年は30冊手放してました) よく目を通す本があり、 それがどうしても本棚の外に置いてしまう。 本棚には扉がついていることも理由の一つだけれども、 使い勝手のよい段に変えようと思って。 そしたら、使い勝手のよいスペースが狭くて。 広げても置けるけど、使い勝手をよくするには、本を置くスペースはここが良い!というのが狭くなってしまった。 だから、

          年末に本を整理

          私を阻んでいたものも、ちからを育てたものも同じ

          私を阻んでいたものも、 私にちからをつけた、ちからを育ててきたものも、 同じものだった。 「このままの私じゃだめだ」 これが私を阻みつつ、 これが私にちからをつけさせた。 これに気づいたとき、 あぁーほんとそうだなーって、とっても納得。 とってもすっきりした気持ちだ^ ^

          私を阻んでいたものも、ちからを育てたものも同じ

          人と比べて焦るとき

          人と比べて焦りがある。 昔はその焦りをエネルギーにして、 克服行動につなげていた。 でも、これ、劣等感から優越感に移動するだけで。 優越感なんていっときのこと。 また人と比べて、自分が勘違いしていたことに気づいて。 優越感からまた劣等感へ。 この繰り返しになるから、とりあえず人と比べて焦りが出たら、 ただそれがあるなぁっと受け取る。 そして、そこにはやはりこれがあるのだ。 「このままの自分じゃだめだ」 ダメだから、 ダメじゃなくなるために、頑張る。 そして

          人と比べて焦るとき

          私に求めないで!とは

          「私に求めないでよ💢」 「私にやらせるな💢」 という気持ちが前はよく湧きました^_^; 実は先日もちょっとした打診があって。 私には全く関係のないことなのに、 私に依頼がまわってきて。 怒り狂っている自分がいたよ😅 もちろん一瞬の迷いもなく断ったけど。 今は大っ嫌いな部類なので。 でもね、ちゃんと断ったのに、 打診されたこと自体に、ものすっごい怒りがあって。 まぁ、依頼自体が理不尽だったんだけどね。 言いたいことを言えてないってことも一つあると思うのだけれど

          私に求めないで!とは

          人の期待に応えようとしてしまう癖

          気がつけば、人の期待に応えようとしてしまう癖が発動している… 細かく言えば、 「人の期待以上」を無意識に目指してしまうらしい。 でも、わかりやすい反応やわかりやすい評価?がないと感じると、 不安が発動し始める。 これがダメだったかな。 こうしなきゃダメだったかなって。 思考がぐるぐるして、不安が炎上🔥 もちろん期待に応えることが悪いことじゃない。 じゃないんだけど、 時には体調不良でちからをだせなかったり、 やる気が起きなくて、モチベーションがただ下がりでサボりな

          人の期待に応えようとしてしまう癖

          私の思考の癖

          運転中、自分の思考の癖にふっと気づくタイミングがあった。 「なんでこんなところに駐車してるの💢あり得ない💢」 こんなイラッとした反応が起きた後、ふと気づきが降りてきた。 「あぁ、これ、私の思考の癖だ。 ありのままを見ない、受け止めない」 そう感じた瞬間だった。 あるものをあると認めない。 ないものをないと認めない。 こうあるべきがあり、 そうあらないことへの抵抗が起きる。 あるもの=あり得ない場所に駐車していること。 こうあるべき=こんなところに

          私の思考の癖