良い人を演じる、その時点で既に良い人なのである。

書き割りの微笑みでも笑顔に変わりはありません。

良い人を演じて疲れた…という意見がネットでしばしば散見される。
良い人を演じて疲れ切った道化は、幕間に戻って共感と同調と協調でもって仲間たちに歓迎されるのだ。
大丈夫です、私もあなたも無害で優しい誰かです。



悲劇を楽しむ人がいる、蜜の味、またはシャーデンフロイデ、あるいはローマンホリデー。
そろそろ進化しませんか人類。


新次元だの上昇志向だのにゅうじぇねれいしょんだの名前はどうでもいいんです、変容を受け入れること、良くも悪くも、すべての事はだいたい何とかなるもんです。


なんとかなるだろうと思って生きている。

でも何時もなんとかなる根拠はない。
崖っぷちすぎてやばいぜやばいぜという状況や、ぎりぎり本当に危機一髪で回避というの事がよくある。
同じことを繰り返しているのではなく、色んな「ピンチ」が代わる代わる訪れる。
よくもまあ色んな事があるものだと呆れる。
ヘーオンでフツーは私の人生に実装されて居ないらしい。
イッパンテキなジョーシキの範囲をぎりぎり脱しない程度に「よっ、来たぜ!」とピンチがやってくる。
もっとぶっ飛んだピンチなら体験談としてネタにもなるのに…と少し思う。勿論そんなピンチが起きないに越したことはないのだが。

「大変でしたね、まあ世の中広いし、そういう事もありますよねたまにはね」レベルのピンチが一番困る。
悲劇役者になるには小さすぎて、笑い事にするのが精々だ。
という訳で、今日も笑っていましょうか。




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