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「畑、はじめました。」

(畑の日記vol.1)

畑、はじめました。

それは突然に、春の訪れとともに。寒い冬、こたつの中でいつか畑を耕す日々が過ごせることを夢見てはいたが、やろうとおもえばいつからでもはじめられるものだ。

市役所と手続きをして、山の中の一区画を借りた。手続きはまだ済ましていないが、担当からは「今から使って構いません」とのことだった。

はじめ見に行って驚いたのは、用意された畑は、畑ではなく、なんの手入れもされていない藪だったことだ。

けれど目線を下げると、さまざまな出会いがある。知っている植物が元気いっぱいに生きていた。畑をするものにとっては好ましくない奴らだが、まぁ可愛いもんだ。

ヨモギ

たんぽぽと風にそよぐ綿毛。その近くには大きくなったヨモギ。群生する菜の花は茎が太くなりすぎて、木のようだ。

踊り子

可愛らしいドレス姿のこの子は、ヒメオドリコソウ。踊る姫だ。

その足元には水色の小さな花々、名をイヌノフグリという(こちらの名の由来は犬の尻穴、という下品なものだが可愛い見た目なのだ)。
この二種は僕が小学校の頃から愛でていた「雑草」のひとつだ。彼女らの逞しさはまさに「雑草」の名にふさわしく、どこにでも生えている。けれど「雑草」というにはあまりにも上品な見た目から、また雑の意味するところへの小さなひっかかりもあって、「雑草」とは呼びづらい彼女らだ。

可愛らしいイヌノフグリ
赤いと酸っぱい

幼い頃、僕が山を駆けながら噛んでいた草も見た。スイバ、だったと思う。茎が酸っぱくて、腹が減ったり喉が乾くとちぎっては噛み、噛んでは吐き捨て、そうやって山を走り回っていたけれど20を過ぎた僕はこれを見て、口にいれなかったのだから、やはり人は変わるんだと思う。

とはいえ、草むらを愛でるのは本意ではなく、この藪を畑にしたいのだ。ということで草むしりが始まった。

根っこから抜かなければまたこいつらは生えてくる。土を掘り返しては草を抜く。この単調な重労働によって不健康な身体に汗が浮かぶ。

なんでもないこうした普通の(あえて民俗学的に言えば、ケの)時間を彩るのは、やはり足元の世界だ。土を掘り返せば、巣を破壊されてあわてるオケラが出てきたり、まだおねんね中だったカブトムシだかの幼虫がお目見したりする。

またな

いろいろな草花や虫たちが必死に生きているのを見ていると、昔の人々がどうして自然に敬意を持つかがわかるような気がした。

美しいのだ。

これまで出会った農夫が聖人じみていると私は感じたが、それは畑をするからではなく、彼らの鋭い感受性と自然(nature)への自然な(natural)畏敬の念を持ち合わせているからだろう。

ということで、畑日記つづく。
次回、ようやく藪が畑になる。

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