写真に感性を求めるか?
25年くらい前は、写真家になりたいというおぼろげな夢というか憧れみたいなものがありました。
何かを感じて写真を撮るのだから、その感性を理解してもらいたい。
自分の感性(世界)に共感してもらいたい。
そのような気持ちで、ホームページを作って写真活動をしていました。
被写体に関して、何を撮りたいとかいうのは、とくにありませんでした。
好きなものといえば「街が好きで自然が好き」という、相反するような嗜好があり、その時点で自分のなかにジレンマを抱えていたのです。
街を撮る人 → ストリートスナッパー
自然を撮る人 → 風景写真家
のように、ハッキリと写真世界が分かれていたから。
信州に住んで地元の風景を撮るだけで、風景写真愛好家の注目を浴びているような人がいました。庭先の花を撮るようなものです。
でも、自分の興味対象は何かに限定されないのです。
いろいろなものが撮りたいと思っていました。
撮った写真は紛れもなく自分のもので、自分の感性や、考えていることや、性格みたいなものは反映するはずだから、それを見てほしいと思っていました。
写真作家
写真家で有名な人は沢山いますが、方向性はまちまちです。
しかし大きく分けると、商業写真家と写真作家の2つに分けられるような気がします。
顧客がイメージする写真を撮って提供する人と、自分の感性やメッセージに共感してファンが付く人。
僕の志向は後者だと悟りました。
でも実際は、それほどまでの強烈な個性もなく、ただ少し景色の捉え方が他人と違うかもな?と思う程度のカヨワイ個性です。
最終的な到達点は写真作家であったとしても、それで最初からメシが食えるわけでもないと確信していました。
でも今から考えると、最初から写真作家を目指すべきだったのだろうと思います。儲からないと思い込んで諦めるのは、ちょっと違いました。
SNS
そんな風に考え方が変わってきたのも、InstagramのようなSNSで自由に発信する人々を目にしたからだと思います。
そんなすごい有名人にならなくても、好きなものを好きに捉えて、それでメシを食うぐらいはできるんじゃないかという気持ちです。
結局、食えるか食えないかは、写真そのものとは関係がないのですね。
どんな風にマネタイズするか、考えて工夫すれば、ある程度そのような方向に行くのだと思います。
だからマネタイズの上手な人は、僕みたいな悩みは抱えない。
写真に感性を求めるか?
テーマに戻るのですが、写真に感性を求めるか?ということに関しては、僕は求めるし、他人の写真を見るときも感性に惹かれます。
同じように街写真を撮っていても、単なる物体に見える人と、そこに精神的なものが見える人と、空間を感じさせてくれる人がいます。
撮った人の感性が、カッコよかったり、ナイーブだったり、情感があったりすることに感心したり、面白く感じたりします。
メシを食うとか食わないとか、そういうレベルとは別に、僕は写真に感性を求めていると、今は言えるかもしれません。
だから相変わらず、撮るものはなんでもいい。
インスタでフォローしている人も、街や、自然や、ポートレートや、鉄道など、いろんな人がいます。
でもその人たちの写真は、他の写真家とは何かが違っていて、それが被写体の価値とは別の魅力を持っている。
そこに僕は共感するのですね。
自分も、そんな写真が撮れたらいいなと、今でも思います。
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