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ドライフラワー

昨日、まだ『花束みたいな恋をした』が劇場でやっていると知り、朝8時に渋谷へ行って観てきた。

その結果、久々に感想をしっかり書きたくなった。

この映画は、せめて10年前、あわよくば10代後半のときに出会いたかった作品だった。この作品を10代後半に見ることができる今の10代後半以下の人たちが本当に羨ましいくらいに。

なんというか、人を好きになれなくなってだいぶ久しいけれども、人を好きになるっていいなと、こんな人間にも思わせてくれる映画ともいうべきか。なんというか。

人を好きになることの豊かさを感じられたこと。そのことがすごく大きい気がする。

あんまり書くと本当にネタバレになるんだけれども、なんか、最終的にはドライフラワー的な映画だったような気がする。

瑞々しい時期はいつか必ず過ぎ去るけれども、思い出としてその形をきれいなまま残すことはできる。そしてその残し方はきっと人それぞれであるということ。そのまま一緒に過ごすことを選んでいた人もいれば、別々の道を歩むことを選んでいた人もいる。どっちも間違いではない。

あと、麦(菅田将暉)に男性は共感する率が高いというのを何かで読んだけど、俺は絹(有村架純)の感覚の方がわかる気がした。

きっとこれは、男性と女性の違いではなくて、社会に適応できるかどうか、もしくは自分のやりたいことにどこまでこだわりを持つかどうかの問題のような気がした。

でも、やっぱり向き合ったら、すれ違った瞬間に離れていく一方なんだよね。同じ方向を見ていたら、多少斜めに進んで離れても、観てる景色がだいたい一緒なら、また近づける気がする。

麦は次第に向き合っていくような生き方になって、絹は変わらずに同じ方向を見続けていたような気がした。どっちも間違ってないんだけれども。

と、まあ、いろいろ考えちゃう映画です。い本当に10代後半で出会いたかった。

ちょうど、大豆田とわ子と3人の元夫だったり、コントがはじまるだったりも、さらには深夜に再放送中のいつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうだったり、その辺りをしっかり観ていたので、最初はいろんな関連作品が頭をよぎったけど、気づけばしっかり麦と絹を眺めていました。

いろんなキラキラした瞬間がたくさんあったから、きっと花束って表現にしたのかなぁと思ったり。一つひとつ大切で、束ねたらよりまた愛おしくて。

なんだろうな、多分、今、人生で初めてドライフラワーって素敵だなってめちゃくちゃ思ってます。

色褪せても、素敵な思い出には変わらないんだよね。しかも残せるっていう。いいなぁ。そういうの、素直に良いなと思いました。

#花束みたいな恋をした
#映画
#感想

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