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拙作漫画『ホビロビ』の作品解説再録(1)


ご存知ですか?榎木ともひで唯一の漫画作品を

プロフィールには、もともと漫画家を目指していたと書かれていますが、実はプロ漫画家デビューをしているのです!しかも比較的近年です。
それが『ホビロビ』(2019年トイズプレス刊)。薄い本ですが、同人誌ではありません。ちゃんとアマゾンでも販売されてます。買ってくれた人には、ワンフェスなどで見かけたら、言ってくれればサインでもなんでもしますので、どーぞよろしく。

「ホビロビ」は各模型誌の海洋堂広告ページの一角で、2002年6月号から連載を開始、2014年海洋堂広告ページ廃止とともに連載を終了。実に12年にも及ぶ長期連載でした。
連載終了の5年後(2019年)、12年の連載を一冊にまとめて単行本『ホビロビ』が刊行されたのです。

2002年6月号「ホビロビ」第1回 時はまさに食玩ブーム

「作品解説」の紹介

「クソつまんねぇ自家中毒の楽屋落ち漫画を誰が読むねん!漫画と呼ぶのもおこがましい!」と連載中も悪口雑言を一番浴びせたのが、この漫画を掲載していた広告を担当する、白井武志という人でした。酷い話です。彼はもと造形家で、その頃は海洋堂で企画全般、制品プロデュース、広告や文章のライティングなどを行う「何でも屋」でした。
彼は一応「榎木の相棒」という立場で仕事をずっと一緒にやっていましたから、この漫画の最後に詳しい「作品解説」を書いています。
この作品解説が、榎木やホビロビについてのみならず、連載12年の間のホビー界のざっとした変遷や、フィギュア業界批判、海洋堂批判まで含んだ、珍しいテキストになっています。
模型業界はモノを作るーーしかも個々の作家の力を「表現」する分野にもかかわらず、誰も他者の批評も批判も分析もしないし、してはいけない、不思議な不文律を持つ異常な世界なので、こういう文章はまれなのです。

作品解説 1.作品成立までの背景

まずはこの作品の成り立ちの紹介から・・・・。

『ホビロビ』解説    白井武志


1.作品成立までの背景

 『ホビロビ』は2002年より、海洋堂の雑誌広告ページの一角で始まった連載漫画である。
~(中略)~
 1話で「HLTのマスコットを拝命した」と自己紹介をする東京ロビー嬢だが、HLTとは何か?『ホビーロビー東京』の略である。90年代、秋葉原駅前のランドマークであるラジオ会館に場違いにも出店し、一大電気街の象徴を汚したと罵倒され、アキバをオタクタウンへと変貌させる嚆矢となったと著名な学者にも指摘された、海洋堂のアンテナショップである。今もあるからご存知の方も多いだろう。
 一方、2話で登場する、大阪ホビー嬢がマスコットを務める「HLO」は、もちろん『ホビーロビー大阪』である。もともと門真にあった海洋堂の店舗を、西の電気街日本橋に移したものであった。東のHLT、西のHLOという図式ができあがったわけだが、HLOは結構早い時期になくなってしまったため、初めて聞いた方もいらっしゃるかもしれない(31話でネタになっている)。
 そう。もともとこのキャラクターは、ふたつのホビーロビーの看板キャラとして、作られたものであった。当初は、雑誌広告のホビーロビー告知コーナーに添えられるカットとして登場した。
 それが連載漫画になったきっかけについては、実は記憶が曖昧である。僕は入社以前の学生時代から、海洋堂の広告を担当していた。だから『ホビロビ』掲載を決めたのは僕だったはずだが、さっぱりそのへんの事情を覚えていないのである。
~(中略)~
 零細なくせに、商品数だけはやたら出していた海洋堂にとって、広告ページは、ほんの僅かなスペースでさえ、貴重なものだった。1ページに商品情報をぎっちり詰め込んで、まるで町のスーパーの大安売りチラシのような広告を作っていた。質実剛健といえば聞こえはいいが、スマートなデザインのイメージ広告など作る余裕はなかった。
 それなのにページの1/4を、何ら商品宣伝に寄与しない漫画に割くというのは、不思議なことである。
 当時、チョコエッグの大ヒットで、食玩バブルが起きていた(これも第一話に手がかりが残っている)。これまでディープなホビーユーザーに向けて、100個単位でリリースしていた我々の製作物が、いきなり全国のコンビニで何億個も販売されるという、世界が変わるような経験をしており、手がける仕事の内容が、劇的に変化していた時期であった。
 仕事の軸足が移ったことにより、ホビー誌における広告の役割も、変わりはじめた時期だったのだろう。マニア向け商品が減り、雑誌広告の重要度が薄れ、余裕ができた。『ホビロビ』は、そんな転換期だからこそ生まれた徒花だったのかもしれない。

『ホビロビ』作品解説

ここまでは、漫画成立までの簡単な説明。長くなるので途中略しているところもあります。あと細かいところも少し刈り込んであります。以後も同様です。全文読みたい人は、ぜひ『ホビロビ』を参照してくださいね♥

作品解説  2.作者榎木ともひで

ここから、僕自身のことに触れられていきます。海洋堂における立場や、連載開始時点の状況などです。

2.作者榎木ともひで

 ここで 作者について少し語っておこう。
 榎木ともひでは、フリーの造形家であり、海洋堂の社員ではない。とはいえ、実質的には海洋堂専属と言っていいし、本人もそれを否定しないだろう。
 2002年の彼は、海洋堂で仕事を初めて3~4年。これまでのアングラなキャラクターフィギュアビジネスから、食玩バブルへと移行した激動の時期であった。
 当初、海洋堂の食玩は、あえてキャラクターものを避けていたこともあって、キャラクター造形家としてデビューした榎木の扱いは、半分宙に浮いていた。僕の仕事の軸足は、食玩企画に移っていたから、榎木との接触も薄かったのである。
 だが、やがて食玩で「これまでの市場では扱えなかったタイプのキャラクターもの」をとりあげたり、カプセルフィギュアの新ブランドを立ち上げたりするにあたって、榎木の才能が開花する。多くのキャラクター造形家が、自分の好きな萌えアニメの美少女キャラや、好きなロボットなどの狭い範囲のものにしか、興味がない/作らない/作れないのとは違い、彼はあらゆる題材、誰も扱おうとしなかった分野にさえ、興味を示し/理解し/表現することができた。しかも(どこで身につけたのかわからない)圧倒的な技術力とスピードを前提にして、これまでにない立体造形表現への挑戦を常に模索していた。
 榎木の造形の才能についてこれ以上詳しく語るのは、本稿の趣旨ではないので、別の機会に譲る。だが、食玩バブルを背景にして、これまでやりたくてもできなかった、題材や表現を試すことができる機会と場所を得た海洋堂にとって、榎木はそれを実現するための最も使える武器になったということを理解していただきたい。
 こうして商品企画/制作者としての僕と、造形家榎木の二人三脚のチームが形成されていった。榎木との接触は公私に渡り、おそらく他のスタッフ全員に対する時間を足したより多くを、彼と接することになった。
 そんな中、常に彼に過酷な要求をし続けた僕にとって、『ホビロビ』の連載は、造形だけではなく漫画も描きたいという榎木のワガママな欲求への、ちょっとした「ご褒美」の意味があったのかもしれない。
 ぶっちゃけて言えば、榎木の造形には期待していたが、漫画家としての才能には、別に期待はしてなかった。だから、内容がいくら内輪受けに走ろうとも、読者無視でも、気にせず放っておいた。
~(中略)~
 にもかかわらず、誰も期待しちゃいない連載を、12年も続けた榎木のモチベーションが、いったい何に起因するのか、僕にもよくわからない。しかもそれを、単行本にしようという話を聞いたときには(失礼ながら)正気の沙汰かと疑ったものだ。
 しかし、まとまった『ホビロビ』を読んで、内容ゼロだと思っていたこの漫画に、僕と榎木が延々と語ったり、愚痴ったり、議論した、造形家のプライド、作り手と受け取る側の意識の差、版権ものを作る葛藤、オタク意識の変遷への嘆き、造形物の地位向上への絶望感などの、ドロドロとした思いが、あちこちに表出しているのが見えて驚いた。
 榎木のことを知らない読者が、この舌っ足らずな漫画を一読して、それを汲み取ることは困難だろうし、手がかりもそう多くはない。だが、この漫画を味わって、なにかザラザラした澱が舌に残ったとしたら、おそらくその毒の苦味を感じたのだと思う。
 漫画に現れた毒成分のすべてを説明していたら、分厚い本が一冊できてしまう。以下に作品解説の名を借りて、ほんの少しだけ、そのさわりに触れてみたい。

『ホビロビ』解説

結構酷いこと書かれてます。実際「狂気の沙汰」という言葉は、何度も発せられましたし、トイズプレスさんにも散々言っていたようです。解説する漫画の作者をこんなにボロクソに書いた例など聞いたことありますか?
下げるだけ下げられてますが、どうか、ちょっとだけ上げられた部分にだけ注目してください。

そのちょっと上げられた部分を補足しましょう。
チョコエッグを始めとする食玩で、キャラクターものをあえて扱わないというのは、当初海洋堂の絶対的ルールでした(後年なし崩しになりますが)。
当時は既に、キャラものを作って売るためには、版権元への隷属的な関係が求められるようになっており、もともと自由な造形表現を求めていた海洋堂は、それにうんざりし始めていたのです。かといって、恐竜や動物などの無版権の製品は絶望的に売れなかった。人気アニメにおぶさらねば、身動きがとれなかったのです。
でも、チョコエッグの動物による爆発的な食玩ブームではじめて「自分たちが自由に表現でき、これまで売れずに作れなかった『面白い』ものを多くの人に提供できる」条件がいきなり訪れたのです。
それまで「人気アニメに寄生して食わせてもらっている」と蔑まれていたところに訪れたチャンスを活かすために、あえてそれまで得意としていたキャラものを封印し、それ以外のものを「これ面白いだろ」と提供していったんですね。

キャラもの制作でデビューした僕が、最初持て余されたのはそういう時期だったからでした。
しかし、その後アニメイトと組んでK&Mというカプセルフィギュアブランドが作られました。こちらは、もちろんキャラクターものを扱うブランドでした。
そして、当時流行っていたyujinやバンダイのフィギュアとは明らかに違うタイプの、題材や表現を伴ったもの「だけ」を作ろうというルールがこのシリーズにはあったのです。
ヴィネット、胸像、美少女ウォーターライン、可動や変形フィギュアーー、これまでの画一化されたカプセルフィギュアになかった、誰も見たことのない商品が、次々と生みだされました。
特にヴィネットや胸像などは、実はそれまではカプセルに限らず、通常のフィギュアでも、ほぼ市場には存在しなかったものなのです。
それらは、同じキャラものであっても、それまでとはまったく違う表現と価値を伴うものとして、世に問うた「新しい表現」そのものでした。
それらを生み出すために、僕と白井氏はコンビを組んでいろいろな実験と創造を行うことになったのです。

ここからが、本編です・・・

さて、プロローグ部分がいささか長くなってしまいました。
漫画についての解説(キモの部分)は次のnoteに続きます。長いけどぜひお読みください。

その2に続く!!!
ホビロビ書影(表紙)

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