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拙作漫画『ホビロビ』の作品解説再録(2)


本編の始まり

榎木唯一の発売された漫画作品『ホビロビ』の作品解説の再録の続きです。
漫画の成り立ちや、榎木の(客観的な)立ち位置をお読みいただいたので、ここからは漫画の「作品解説」そのものになっていきます。
もちろん漫画を読んでいただければ、倍楽しいので、ぜひw。

作品解説 3.第一部前半【いきあたりばったり編】

誕生とともに「萌え」の呪いがかかったヒロイン二人・・・。

3.作品解説 第一部前半【いきあたりばったり編】

 その都度思いつきで描かれたような印象の『ホビロビ』ではあるが(そしてそれは間違っていないが)、全体の流れには大きく分けて二部あり、そしてそれぞれが前半と後半に分かれているように思える。

 連載がはじまって二年ほど(25話あたりまで)は、【いきあたりばったり編】である。その頃は、現実に身の回りにおきた事件や、ちょっとした自虐ジョークを、毎回脈絡のない単発のネタにしたという印象である。
どういうわけか雑誌に紹介される際、常に榎「本」と誤植される問題(16話、20話)、自らの痔病持ちのカミングアウト(22~24話)などはその典型である。突然海洋堂スタッフ(ひとりは明らかに海洋堂社長の宮脇)が出てくる6話や、ワンダーフェスティバルのプロデュースなどで関わりの深い模型ライターあさのまさひこ氏が登場する10話や14話は、榎木のその時点での現実の体験を、なんの説明もなく、ストレートに描いたものといえるだろう。

 パッチワークのような印象のこの時期にも、通底した感情がそこかしこに顔を出している。それが、この時代に顕著になった、いわゆる「萌えキャラ偏重」への違和感であり、皮肉な目線だ。
 我々海洋堂は、萌えキャラを商売の道具としてきたから、そういう風潮を作った尖兵といわれても仕方がない立場ではある。だが、なんでもかんでも「オタク=萌え美少女キャラが好きなこと」でくくられる傾向---いや、自らをそうくくることに抵抗せず、またそれ以外に興味を示さない、そんなライトユーザーの増加に、ひどく違和感を持ち始めていた。
 本来、オタクってもっといろんなものが好きな生き物ではなかったのか?
 榎木はいわゆる「萌えキャラ」に興味がないわけでも、不得意なわけでもない。いや、むしろそちらでも、キャラへの深い理解とともに、圧倒的な造形力を発揮するのは、数々のフィギュア制作で実証済みである。しかし、彼は、「オタクくさい萌えキャラ」とは違う、かわいいキャラクターも大好きだし、あえてそれをオリジナルでリリースしたいという気持ちも強かった。僕もそういう気持ちには共感していた。
 ホビロビは、「なんでも萌えキャラにしちゃえ」という風潮へのアンチテーゼの意味を、ほんの少し込めて、萌えとは違う可愛さを目指してデザインされた。
 とはいっても、その時代、現実としてそんなキャラに注目が集まらないことも、彼は身に沁みてわかっていた。
 第一部では、そういうキャラを作ったことへの葛藤と逡巡が、当のキャラの口を借りて何度も何度も、自虐的に語られる。しかも、たった7話目において、「オタクくさい」萌えキャラに、キャラ自らが絵柄チェンジしてみせるのだ。
 これは、強烈な皮肉、というよりも、世間の風潮に結局流される、自らの無力さを嗤っているようにも見える。
 この迷いと、諦念にも似た感情は、この後も何度も見られるものだ。

『ホビロビ』作品解説
萌えキャラ偏重への疑義として作られた二人のキャラクター。しかし・・・

フィギュア=(イコール)萌えキャラの立体化・・・という「新常識」に対する違和感はたしかにありました。僕のアマチュア時代の造形デビューは、『ネイティブサブマリンズ』というオリジナルもので、ホビロビと同じタイプの三等身ほどのキャラクターでした。あまり売れなかったですが・・・。
(先日、このフィギュアでデビューしたWF特集のモデルグラフィックス誌で、故水玉螢之丞先生が、レポートをしてくれているのを再発見。無名の自分を最初に認めてくれたのは先生でした→詳しくはこちら

『ネイティブサブマリンズ』とデビュー作。この漫画も『ホビロビ』に掲載されてるので、ぜひ・・・

作品解説 4.第一部後半【カッパ編】

主役の二人が長い間まともな形で出てこない期間。しかもそれが延々と1年以上続きます。

4.作品解説 第一部後半【カッパ編】

 25話あたりから約1年半に渡って第一部の後半【カッパ編】が展開する。
 18話で、なんの説明もなく突然レギュラーとして登場したカッパが、ほぼ主役である。本来のヒロインたるホビロビは、落書きのような絵で登場し、まともに描かれることはほとんどない。いや、大阪ホビーなどは、ホビーロビー大阪閉店のショックで、再び灰になったままで、ほぼ登場さえしない始末だ。
 【カッパ編】は、一度灰になった彼女らを蘇らせようと、二十年かけて、カッパが造形修行する話だ。
~(中略)~
 さて、ホビロビが灰になったきっかけは、彼女らの生みの親たる榎木が、彼女らを造形することもなく、海洋堂が抱えるもう一方のマスコットキャラたる『ワンダちゃん/リセットちゃん』の限定ヴィネットを作った「裏切り」にショックを受けて・・・というメタな理由によるものだった。
~(中略)~
 つまりホビロビたちは、生みの親の榎木に、二重に裏切られたわけである。
 オタクくさくないキャラとして生まれたホビロビは、それが故に人気が出ない--という自虐は、ここで頂点に達し、暫くの間はまともな姿で描いてもらうことさえ、してもらえなくなった。
 この時代、以前は「濃くてマニアックで理論武装した」マイノリティとして差別されていたオタクは、いつの間にか「深夜アニメ観てるから、自分はオタク」というライトな自称オタク層に飲み込まれていった。そして、ライトオタクの増加は、萌えキャラ至上主義者の増加を意味していた。
 第一部の終わりで、カッパの手によって復活した東京ロビーは、しれっと「萌えキャラ風」デザインになっている。
 榎木は「萌えキャラマンセー!」の圧倒的な風潮に、ついに屈服し、開き直ることにしたのだ。

『ホビロビ』作品解説

このあたりのメタ事情については、ややこしいし、「二重に裏切られた」部分についても、くどい上にちょっと判りにくいと思うので思い切ってばっさり切りました。興味のある方はぜひ『ホビロビ』を・・・(しつこい?)。

作品解説 5.第二部前半【造形マシン編】

おそらく、本稿のメインとなる部分がここです。

5.作品解説 第二部前半【造形マシン編】
 
 20年の修行の末、カッパは東京ロビー嬢を『萌え系美少女フィギュア』として造形し、死ぬ。ここ(43話あたり)から、『ホビロビ』は、設定的にも、内容的にも、キャラクター的にも大転換する。実質「第二部のはじまり」と言えるだろう。
 その前半は【造形マシン編】であり、俯瞰したときに、この作品のコアと認識される部分となった。
 行き当たりばったりだった内容は、連続性を強め、SF的なガジェットと、造形家が滅びた後のディストピア感が、物語を引っ張っていく。カッパJr.が新キャラとして登場し、この時代に顕著になってきた、キャラクター業界の造形家軽視や、増長して無理無体を押し付ける勘違い版権元などを表現するための役割を与えられている。
~(中略)~
 このころ、ホビー業界に本格的に帰還を果たした海洋堂は『リボルテック』をメインに、業界をかきまわし、大手メーカーもインディーズも追随して、可動アクションフィギュアは、第二のブームを迎えるようになっていった。食玩ブームで、一般人のフィギュアに対する「ハードルの高さ」は消え、ライトオタクたちにとっては普通の「キャラグッズ」として認識されるようになっていった。そう。この「フィギュアのキャラグッズ化」は、重要なキーワードなので覚えておいてほしい。

 さて、物語では、20年の間に造形家は滅びていた。キャラクターの設定イラストを放り込めば、そのままそれが立体として出てくる「造形マシン」ができて、造形家がいらない時代になったからだ。
 造形マシンがある世の中で、造形家が存在する正当な理由があるのか?
 この問いが、第二部では何度も繰り返される。
 造形家の復権をもくろむ、ホビロビ(+カッパの幽霊)だが、「造形家が存在するべき理由」を掲げて、様々な試みを行っても、あまりうまくいかない。それどころか「結局、自分たちも造形マシンを使ったほうがコスパがいい」という自虐的なオチに回帰してしまう。

 造形マシンという、もともと荒唐無稽なガジェットをめぐる展開のわりには、妙に生々しいやりとりが続くと感じられる方も多いだろう。
 そうなのだ。これは、この時期の榎木の葛藤と嘆き、そのものなのだ
 多くの人は、造形マシンというガジェットを、その頃萌芽しつつあった「デジタル造形技術」のメタファであり、造形家が滅びてしまうという予言的内容を孕んでいる、と考えるかもしれない。
 だが、僕はそう思わない。
 デジタル造形の発展で、マニュアル造形「しか」出来ない人は、もちろん滅びるかもしれない。だが、デジタル造形はメソッドが異なるだけで、造形家の才能で立体作品を作りあげることに、何ら違いはない。造形家が消えるわけではなく、新たなタイプの造形家が生まれるだけなのだ。もちろん、マニュアル造形家は、その気になりさえすれば、デジタルを取り入れ、アドバンテージを活かすチャンスは、いくらでもある。
 ここに描かれているのは、そんな未来(もはや未来ではなくなったが)の技術への脅威ではない。その時代に存在した「今そこにある危機」なのだ。
 それはなにか?答えは68話にある。前後の物語にあまり関係なく、唐突にはじまるこの回のディベートは、榎木自身の中で何度も繰り返されたものであろう。ぜひ今すぐ読み返してほしい。

『ホビロビ』作品解説
『ホビロビ』68話 唐突に始まる文字ばっかりの回・・・

 ここでキャラクターフィギュアには二種類あると述べられている。設定書に似せることだけを目的に作られた「キャラグッズ」と、立体彫刻としての魅力とキャラクターの魅力を融合させた「作品」だ。
 造形家が滅び、造形マシンの生産物しか存在しなくなった世界は、即ち「キャラグッズ化したフィギュアのみ」になった世界を表している。ユーザーは設定書どおりに作られたキャラグッズだけを求め、メーカーは「設定書に似てれば、立体物としての魅力は薄い」フィギュアを提供することに、なんの疑念も抱かない世界。
 この時期、それは確実に訪れようとしていた。

 少し後の話だが、こんな象徴的な事件が、他ならぬ海洋堂内で発生したことがある。
 あるとき、量産化前の美少女フィギュアの原型の「目の部分の彫刻」が、パテで埋められてつぶされていたことがあった。これはどういうことかと、商品開発担当者を問い詰めると、「彫刻なんてしてあると、目のタンポ印刷をしにくく、コスパが悪くなるのでつぶしてくれと、中国の生産工場が言ってきた」という。目や眉のモールドのないつるつるした顔に、タンポ印刷で描くほうが、アニメのように綺麗に仕上がるし、ユーザーもそれを求めている。実際、他のメーカーはみんなそうして、評価されている。なんでそんなことに目くじらたてるのかわからない。と、こういうことらしいのだ。

 愕然とした。これまでも、中国で塗装済みフィギュアを量産化をするにあたって、様々な造形的な妥協を重ね、忸怩たる思いでいろいろな大事なものを捨ててきた。せっかく作ったディテールを、目をつぶって埋め、微妙な塗装表現を単なる塗り絵にした。だが、立体表現者のプライドとしてどうしても譲れない一線はあり、その意識は、共有されていると思っていた。
 目は立体の表情の機微を表現するのに欠かせないものであり、造形家がもっともこだわる部分である。顔の中でいちばん複雑な構造をした部分であり、本来、平らな面への印刷では、角度による表情の変化も表現できない。そんなことは常識だ。しかし、もうそうではなくなっていた。
 実際、榎木も大嶋優木もこれには猛烈に怒った。だが、どうやらそれは「造形家の傲慢」であり、現実を見ていない意固地で我儘な考えにすぎないと、商品化開発担当スタッフたちは心底思っているようであった。
 正直、これはもう駄目だと思った。これが、かつて最強(狂)造形集団と謳われた、海洋堂の成れの果てなのだ。ユーザーもメーカーも海洋堂も、「キャラグッズ以外いらない病」に罹患してしまったのだ。

 あらためて、世に溢れている、大小メーカーのフィギュア商品を見回すと、キャラグッズとして効率的に生産されたもので埋めつくされていた。
 作り手の名も記載されないのっぺらぼうの商品。目も眉もないつるつるの顔に印刷された表情。横顔のない、お面のような平たい顔を、髪型で巧みに隠す確立されたテクニック。同じ形状の輪郭の中に、唇の立体感もなく、線をひいたり穴をあけたりするだけでつくられる笑顔。塗装を避けて成型色そのままが美しいと讃えられ、シャドウや立体感を高めるための表現は「設定書と違う」と排除される。
 誰が作っても、同じような面取りとクオリティで出来上がる、厳密な「テンプレート」に則って作られた商品は、まさしく、造形マシンから出てくるそれだ。

 かつて海洋堂の啓蒙誌として発行された『ARTPLA』の創刊号には、プラモデルメーカーはそれぞれのキットの「設計者」を明記し、それぞれのキットを無個性な「製品」ではなく、「作品」として発表するべきだという一文が載っている。ガレージキットを生み出したとき、原型制作者名を明記するようになったのは、その考えに基づいた、海洋堂の主張の明確な具現化だった(誰かがいつの間にかそうするようになったんじゃないのだ)。だが、もはや海洋堂自らが、その精神を忘れる時代になりつつあった。

 68話のホビロビをよく読めばわかるように、榎木は「キャラグッズとしてのフィギュア」を否定しているわけではない。むしろそれを否定することを、否定している。彼はオールマイティな造形家であり、特に萌え系美少女フィギュアにおいては、キャラグッズ的な作り方が有効なことも知っていて、ものによってはそれを積極的に取り入れる狡さだって持っている。プロとしてユーザーが望むものを提供することの必要性も知っている。
 だが「最高のキャラグッズ=最高の立体造形という考え『だけ』では寂しくないかの」というカッパ幽霊の言葉は、その時期の榎木の悲痛な叫びであったに違いない。
 なぜ悲痛なのか?海洋堂内までも、キャラグッズ最高病が蝕んでいる以上、結局はまわりの流れに飲み込まれることが判っていたからだ。
 だから、ホビロビたちは、造形家の復権を何度試みても勝利できない。そして戦いの結末は曖昧なままだ。

『ホビロビ』作品解説

「目の問題」は本当にショックでした。
文中には「プライド」と書いてありますが、そういうチンケなものではなく、目を作らないというのは単純に、表現者たるべき者が、大事な責任を果たしていないと感じるのです。
僕のTwitterをフォローしている人はご存知かもしれませんが、いわゆる美少女フィギュアの「目」の立体的な位置や表情について、これまで人のやらない考察や実験や試みを繰り返し、こだわり続けてきました(そのことはいずれこのnoteでも詳説するつもりです)。つまり目によってそのフィギュアの価値が決まるとさえ思ってきたのです。
なのに、それを全部つぶして、モールドさえないつるつるののっぺらぼうの面にタンポやデカールで目を印刷するのが「最高」だなんて、立体表現を馬鹿にするにも程があります。

作品解説 6.第二部後半【未来編】

最終章です。

6.作品解説 第二部後半【未来編】

 87話あたりから、ホログラムフィギュアのような、より空想的な【未来編】に移る。下手くそなゆるい造形が「味がある」などと褒めそやされたり、「フィギュアは場所をとるから売れないのだ」などという、皮肉まじりの業界あるある話も扱われているが、以前ほどの切実な訴えではない。
ネットの台頭により、雑誌広告の重要度はますます薄れ、僕も途中から広告製作から離れた。榎木はより自由になって、むしろ単純に漫画で語ることを楽しんでいるようにも見える。
~(後略)~

『ホビロビ』作品解説

前章が終わって力尽きたのか、最終章は適当に流した感じで終わっています。ラストはあまり面白くないので、省略しました(読みたい方は『ホビロビ』を・・・)。

最後に

最終的に「オタク臭いデザイン」でフィギュア化された二人

長い文章を読んでいただきありがとうございます。
実は姉妹編として『ダンボー誕生の秘密』というテキストもあります。いつかお届けできるといいのですが。

PART1もよろしく
『ホビロビ』書影 裏表紙

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