見出し画像

「最澄と天台宗」「空海と真言宗」について



平安仏教の基礎を築いたのは、奈良時代後期から平安時代初期にかけて活躍した二人の僧侶、天台宗の最澄と真言宗の空海です。

今回は、「最澄と天台宗」、「空海と真言宗」について概要レベルになりますが、ご説明したいと思います。


〈目次〉
1.最澄と天台宗について
2.空海と真言宗について
3.天台宗と真言宗の違い


1.最澄と天台宗について
最澄は、766年に比叡山の麓である滋賀県大津市坂本本町のあたりで生まれました。、12歳の頃に滋賀県にあった国分寺に入門し14歳で出家して僧になりました。
そして、19歳の時に奈良の東大寺で戒律を受けて国家に正式に認められた僧となりました。

しかし、奈良仏教の腐敗に絶望した最澄は、鑑真が広めた「人々を苦しみから救う仏の教え」とは程遠い現実を知って、わずか3カ月後に比叡山で籠こもり修行を始めたのです。

政治介入していた僧侶や貴族に危機感を持っていた桓武天皇は、そんな最澄のうわさを聞いて、天皇に直接仕える内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)に任命し、804年に仏教を学ぶ留学生として遣唐使として送り出しました。


最澄は1年間、唐で天台教学、大乗菩薩戒、密教、禅を学びました。日本へ帰国し、比叡山の延暦寺で天台宗を開宗しました。

貴賤も生まれも関係なく、全ての人々を救うことを基礎とした最澄の教えは、弟子たちによって受け継がれ、そして、多くの宗派の開宗の祖たちが学びました。

そのことから、延暦寺は日本仏教の母山と言われ、天台宗だけでなくここで学んだ多くの宗祖の像がまつわれたお堂が現在も存在します。

このことから、天台宗は「全ての仏教の教えを包括する」宗派ともいわれています。


2.空海と真言宗について
空海は、774年に香川県の豪族の家に生まれました。788年に奈良の平城京へ上京し大学寮という官僚の育成機関へ入りました。いわゆる当時の仏教のエリートコースでした。

そして、804年に遣唐使として唐に渡ることになりました。

最澄が様々な仏教の勉強をしたのに対して、空海は密教を集中して学び、それを日本へ持ち帰り、発展させて、高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)で真言宗を開宗しました。

現在、金剛峯寺のある高野山には、100か所以上の寺院が点在しています。

3.天台宗と真言宗の違い
密教は、空海と最澄によって中国から伝えられた仏教の一流派です。大日如来を本尊として深遠な秘密の教えを持ち、加持や祈祷を重んじます。

天台宗と真言宗は日本に密教の教えをもたらしました。

両宗派の大きな違いは、天台宗は「顕教一致=顕教と密教は根本的に同じである」という考え方が基本にあります。

※顕教(けんぎょう)とは、仏教の中で、秘密にせず、公然に(明らかに)説かれた教えのこと。

一方、真言宗で「顕教よりも密教がすぐれており、真言密教は宗派を超えた究極の境地である」と説いています。

そのため、この両宗派を比べると真言宗のほうが、より密教的色彩が強くなっています。


以上


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?