「寺子屋」とは?
江戸時代、世の中全体が発展していくにつれて、農民や商人、職人たちも文字の読み書きや計算の知識が必要になってきました。
庶民たちが、近所の知識人に教えてほしいと依頼しはじめ、各地で寺子屋が自然に生まれ、増えていきました。
寺子屋は、産業の発達が著しくなった江戸時代の後期から、その数がどんどん増えていったようです。
多くの寺子屋では住宅を教室にしていました。師匠となったのは、武士、僧侶、神官など、さまざまでした。
寺子屋では、ひとりの師匠が、10人前後を教えるという例が多かったと言われています。
寺子屋に入る年齢は決まっていませんでしたが、だいたい6歳くらいに入って、5年ほど学んだそうです。
授業の時間は、1日6~8時間ぐらい。男の子も女の子も一緒。机の向きや座る場所も決まっていませんでした。
寺子屋には、現在のように入学金や授業料にあたるものがありました。
ただ、お金で支払うのは少数で、赤飯や酒・お菓子・餅(もち)などで、金銭的にはわずかなものでした。
寺小屋には、日本人の「善意」や「助け合い」の気持ちがあらわれていると思います。
以上
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?