和文印のみ有効

拝啓

 突然の無礼をお許し下さい。
 あなたの所にはもう何度渡っているようなお話かも分かりませんので、退屈かもしれませんが、いえ、余計な事ですね、あたしはあなたに読んで頂きたいのです。お時間お借り致します。
 単刀直入に言って、あなたのお話を読みました。だからどうしたか、今更なんて、それは、すみません。でも、人生の中で一番に大きく感じた喜びと言って間違いなかったことなのです。お伝えせずには居られなかったのです。あたしはそもそも、今も昔も読書家ではありませんし、とても恥知らずな無知でして、だから、当たり前にあなたのその口振りなんかに憧れてしまって、またあなたの御話ぶりがどうにも楽しくって、その後、あなたに会いたくて、あなたと生きている人が羨ましくて、どうにもならなくなったんです。
 ずっと探していました。けして大袈裟なんかじゃ、ないのです。あたしはやっとやっと、あなたを見つけた気持ちです。

 いよいよ苦しくなって参りました。
 あたしは、恋を、いえ、そんな火のようなゴオゴオとしたものではありません。言うのなら、焦がれるといった感じで、静かで、確かで、色に例えるならば、澄み渡る青色です。どこまでも届くような、海の色です。遠い青です。
 生まれてきて初めて、あたしは嫉妬をしたんです。それはもう、全てに。
あなたのもとに弟子入りして、沢山のものを奪って、いよいよあなたは私を嫌悪してゆき、そのあとはわからない。けれど、そんなふうに人生を進めたかった。と、どうしてもそう思ってしまうのです。ただ、それほど近くに居られたとしても、あたしはあなたなど知らないでしょうし、知り合ったとしても、あたしはもっと可愛らしく態とらしく、もしかしたら若さ故の背伸びな包容力を駆使したりしてあなたと関わったでしょう。己の皮一枚、剥がしたりはせずに。本当の事など一切伝えずに。

 今、あなたと会うためには、こうして、書き連ねるしかないように思えます。
 これを書いている一昨日くらいまで、あなたの短篇集みたいなのを読んでいたんですけれども、たまたま近所にできた真新しい本屋に立ち寄ったら、あなたの御話を読むならこの話から、なんていう入門本みたいのがあったから、ぺらっと開いたら、どの頁も大きく印象的な一文だけが抜き出されているだけで、どうもそのテンションが、話は知らないけれどちょっと心惹かれる一小節を自分の座右の銘にして、それをノートの裏に書き写したような、そんな風に見えて、嫌になってすぐ閉じてしまいました。でも、何となく、その本のせいなのか、またあなたの短篇集を買ったんですよ。まだ先に買った短篇集も読みきっていないのに。ああ、あたし、何かを嫌う事のできる程度には、軽薄な女なんです。否定する為に態と取り入ってみるんです。でも、そんな気持ち、お分かりになりますでしょ?
 事を戻します。とにかく、それまでは、どこかでお会いできはしないか、一度でいいからお話してみたいって、そんな気持ちでいっぱいでした。それなのに、新しく短篇集を読み始めてしまったら、もう、あたしの書きたいようなこと、というか、あたしがこれから一番に言いたいことなんかを、一頁も満たさずにぺろりと済まされちゃっていて。もちろん、あたしの稚拙な言葉なんかよりふわりと粋なにおいのするわけだし。バコンと、打ちのめされました。ショック。悔しい。負けた。憧れる。どれも、違うのです。もっと、届くはずのない、追いつかない感情でした。
 だからつまり、人生ではじめての嫉妬でした。
 しかし、今思い返してみますと、ああやっぱり、という感じだったのかもしれません。だって、最初にあなたの御話を読んだ時にはもうわかっていたのですから。あたしの考えなど、全部と言ってもいいくらいに、隅々まで言ってしまってくれているだろうって。いえ、そもそも、自分の考えが世の中で初めてでないということくらい、あたしだって承知しています。どんな感情だって、思考や哲学だって、なんども触れられ捏ね繰り回され、何千何億、何兆も言葉にされ、文章に、音楽に、絵画に、あらわされてきたのでしょう。それを今更、自分のもののように、さもウマイことを言ったと、どやしているつもりはありませんし、あたしは自分のために喋ります。誰かに先を越されてしまったなら、自分はやらない、そんなふうに逃げたりはしないのです。沢山の物や人がありふれて使いまわされ、誰よりも先に感じるもの、誰も言っていないこと、そんなものがどこに、どこかにあるのでしょうか。いまは、もう、歴史だけが大事になりました。

 そうは言いましたが、ありふれた人や物にも気付かないで居る人間も沢山います、知らずに平気な顔をしている事は罪、大罪に間違いないけれども、仕方がない、とも思えますから、なんと言いましょうか、あたしはあたしのまま逃げもしないし、だからと言って誰かに食って掛かったりもしない、そういうふうに書いてゆくのだと決めました。でもそうしたら今度はどうしたらいいものかなんて思い始めてしまって、なんだか、全然、ちっともだめでして。文学ってものが本当にわからないんです。美しくって遠くって仕方ないんです。学もなく、芸術の才能もないのです。誰かを楽しませるなんてこと、まず難しいんです。あたしは自分のことしか書けないように思えます。それでは嫌なのです。あたしでは誰も楽しませることは出来ないでしょう。
 才などありません。尖った感性だとか世界を歪めて見る視覚を持ちあわせていたらどんなによかったでしょう。それでいて、わざと狂ってみせることだってできないんです。狂ってしまえたらどんなにいいでしょう。もちろん、その人達が狂気にまで持って行ってしまうほどの、苦しみだとか、痛みは、あたしの感じるそれとは比べ物にならないのでしょうね。でも、それをあたしがわからないのと一緒のように、あたしはこの自分の平々凡々な感情がどうにも憎らしくて、あたし自身の普遍的なにおいにどうしても苦しめられていて、それはやっぱり、わかってもらえないような気がしているんです。

 どんなに寂しく、辛く、厳しく、苦しく、嫌に思っても、あたしの感情はどこまでいっても、いかにも俗っぽいままで、だから、素直にのめり込めずに居ます。あたしの苦痛なんて、きっと苦痛じゃないんでしょう。あたしの程度で何か弱音を、例えばつらいなんて、つい零してしまったらどうでしょう、狂っている人、好きでそうなっている訳でないのは承知なのですが、そういった人たちからしてみたら反吐が出て仕方ないんでしょうと思うと、どうしても、そんな事は思ってはいけないような気がして、じゃあこの胸の内をどう言えばよいのか、何も言えなくなってしまうのです。兎にも角にも学がありませんから正しい言葉もわからないんです。黙るしかありません。
 だから、狂っているひとを見ると、ああ、決まってるなあと思うのです。あたしだって、分かっているんです。わざとでも狂ってみればよいということくらいは重々に承知しているんです。何でも、やってみなければいけません。でも、どうしても、あたしはあたしを捨てきれず、狂うことができないのです。もし、あたしが態と狂ってみせても、滑稽にすらならないでしょう。馬鹿にもなりません。気違いにだってなれない。あたしがどんなに狂気ぶってみせても、きっと笑いも呆れも起きません。ただただ、大丈夫かと言われて終わるでしょう。あたしは、心配だとか、悲しまれたりだとか、そんなのは受け付けないんです。いやなのです。唾を吐きつけられて、蔑まれて、嘲られて、踏み付けられた方が、よほどましなのです。

 とうとう自分でも何を書いて居るのか分からなくなって参りました。後も先もぐっちゃです。書き直せないほどです。
 このような雑な着こなしでは芸術の匂いや文学のうまさなどわかりっこないのでしょうね。あなたが何と返してくださるか大体予想はついております。文筆が好きな様ですが、それが芸術になる日は来ない、文学はできないでしょう、と仰るに違いありません。それでも、あたしは書きたく思うのです。若しかしたらそんな事を言われた日には、よけいに書きたくなるかもしれません。もしあたしが向いていない人間ならば、向いていないあたしが書く事だけを書けばよいのです。端ないとお思いになりますでしょうか。文学とはなんでしょうか。
 なんやかんや言っても、あたしはあなたにどうしても会いたいのです。あたしに才能がなくたって、構わないじゃない。あなたはきっとあたしのような女は嫌いでしょう、こういう卑下な態度が益々嫌われる要素のひとつに成り得ることも承知して居りますけれども、冷たくあしらわれてしまったっていいんです。とにかくあなたに会いたい。
 だからあたしは書かなくてはなりません。毎日、一行、いえ、一文字だって。
 つまらないと、ぱあっと捨てられてしまったとしても、構わないのです。あたしには、どうにもつまらないことだって、今は書くしかないんです。例えどんな言葉になってしまっても。
 少しでも、ほんの一摘みでも、分かっていただけませんか。
 あなたの生き苦しく死んでいった人生だけが、あたしに生きるつもりを持たせて居ます。
 ああ、書きます。今から書きますから、待っていて下さい。

敬具


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 昏夫

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