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自転車に乗れた日

ありがたいことにライティングの仕事がちょこちょこと入ってきて、ほんのり忙しくしている。ほんのり。
まえにも書いたが、別の名義での仕事なのでここで宣伝ができない。宣伝するほど大げさな仕事でもないが、ちょっと残念だ。
今、柊佐和名義で仕事の募集をかけようと準備をしている。
かつては人づてにメディアの仕事などもいただけたが、今となっては過去のこと。どうなるかはまだ分からない。

それで。
ささやかな文章の仕事をもらってこなしている最中、生まれてはじめて自転車に乗れた時のことを思い出したりしている。

数年前まではいわゆるシティサイクルという、一般的な前カゴ付き自転車を日常的に乗り回していた。
自転車は便利だ。
乗っていて気持ちがいい。
クルマやひとの少ない道を走る時の爽快感といったらない。
なにより、食糧や日用品をたくさん積める。今でも、買い出しの時だけは、自転車が欲しくなる。
けれども、都心の路側帯や歩道を自転車で走行する勇気はわたしにはないので、今の住まいにいる限り自転車は買わないと決めている。
自転車専用レーンや路側帯を平然と逆走する自転車をよく見るし、どんなに徐行していても歩道で歩行者にぶつかるかもと心配になる。
自分が転んで怪我をするのもイヤだし、誰かにぶつかってしまうのも恐ろしい。都心の交通量を見るにつけ、つくづくそう考えるようになった。
ということで、ここ数年はもっぱら自前の足と公共交通機関が主な移動手段となっている。

自転車が生活から遠退いて久しいが、自転車に乗れるようになった時のことは鮮明に憶えている。
「それまでできなかったことが、突然できるようになる」という経験は、人生でもそう多いことではない。
自転車に乗れるようになるというのは、まさにそういう驚異とミラクルの瞬間だ。

そもそも、自転車の乗り方が分からなかった頃は、どうやって地面に足をつかずにいられるか分からない。
どうしてこんな細いタイヤ2本でバランスを取っていられるんだ?足をつけなきゃ転ぶじゃないか!?
それが、不意に身体がコツをつかむのだ。
わたしが自転車に乗れるようになったのは、たしか小学3年とか4年生くらいの頃だったと思う。
開放された小学校の校庭で、付き合いのいい友達がもう何時間も一緒にいてくれた。
それまでペダル半漕ぎ分進んでは足をつけ、それ以上行こうとしてはふらつき、さらに進もうとしては自転車ごと倒れていた。
それが本当にある瞬間、やぶれかぶれのように漕ぎ出した瞬間だ。
揺れもせず、倒れもせず、スーッと自転車が前に進んだのだ。

あ、乗れた!

驚きと興奮でハンドルが揺れ、次の瞬間には横滑りするように倒れた。
すねや顔を擦り剥いたことも気にしないであわてて立ち上がり、一瞬前の感覚が去らないうちに再度サドルにまたがる。
ペダルをグッと漕ぎ出すと、面白いほどするすると前に進んでいった。
自分の足で走る何分の一の力で、何倍も速く走った。
風を切るという感覚を、あの時はじめて味わったと思う。
2本の細いタイヤは安定していて、決して横倒しになることはなかった。
広い広い校庭を、そのあと何周したか分からない。

田舎住まいだったので、その後学生時代を通してほぼ毎日自転車に乗った。
自転車に乗るのは習慣になり、乗れて当たり前になった。
一体全体、どうバランスを保っているのか分からないままではあるけど、倒れたり転んだりすることはなくなった。


かつて、文章を書く仕事を心の底から希求していた頃のことを思い出す。
お金がなくて、時間もなくて、その両方を補うためにあたふたと働いているだけの日々が本当に苦しかった。借金もあった。
文章が好きだった。文章を書く仕事がしたかった。
友人知人から紹介されたライティングの仕事をもっと広げたくて、時間と生活費と借金返済のすべてを確保できるかもしれないと思い、性風俗で働くことを選んだ。

性風俗で時間と生活費と借金返済を賄うためには、理屈もなにもなく売れなければならなかった。
売れるためには、商品として優秀でないといけなかった。
痩せていて、可愛くて、若くて、性的感度が高くて、奉仕の精神が溢れている必要があった。
うまくやってやると思ったし、自分はうまくやれていると思った。
いずれ性風俗を辞める時は、ライティングだけでやっていく時だと、何度も自分に言い聞かせた。
でもそんなに物事は簡単ではかったし、わたしの心も身体もそんなに強靭ではなかった。
毎日毎日強いストレスに晒されながら、死なないように生き続けるだけでやっとだった。
ライティングの仕事なんて、続けられなかった。
見ず知らずの他人に裸を明け渡し、触られたくない部位を触らせて日銭を稼いでいた。
保証のないのが当たり前の業界で、10時間かかって1円も稼げない日も数えきれないほどあった。
今日も稼げないかもしれない…そう考える際の不安は計り知れず、やっとついた客からどんな暴力的なふるまいをされても、ゼロ円で帰るよりはマシだと我慢するよりなかった。

きっとうまくいく。
きっとどうにかなる。
成功してるひとはたくさんいる(と、ネットに書いてあった)。
わたしだってうまくやれるはずだ。

ペダルのない自転車を漕ごうとするような、ハンドルのない自転車を操縦しようとするような、そういう日々だった。
もしかしたら、タイヤもチェーンもない、錆びて壊れた自転車に乗ろうとしていたのかもしれない。

どうやって乗ればいいのか分からない。
でも、周りのみんなはどうにか走っているように見える。
ものすごく上手に乗りこなしているように見えるひともいる。
だからわたしもこれに乗って走るしかない。
自分でやると決めたのだから。

そう信じ込んでいた。
今にして思えば。

あの頃、わたしはストレスに強いのだと思っていたけど、そんなことは全然なかった。
ライティングに関して、どんな提案や修正も平気だと思っていたけど、自分の仕事にちっとも自信が持てなかった。
最後までやり果せる自信はもっと持てなかった。
あれだけ望んでいたライティングの仕事でも、クライアントの要望に応えられないかもしれないというプレッシャーに耐えきれず、途中で逃げ出したこともある。
そのうち、修正をもらうのも迷惑をかけるのも恐ろしくなって、ライティングの仕事をしなくなった。
わたしのストレスの受け皿はとっくに満タンになっていて、それどころかあちこちひび割れて水が漏れていた。
安全も健康も生活も保証もされていない環境に取り込まれて、ストレスにうち勝てるわけがなかったのだ。

いいんだ。
性風俗にいる間は、性風俗をしてさえいればお金は稼げる。
そのうちお金を貯めてこの業界を辞めて、それからまた再開すればいい。
いいんだ。それで。
性風俗は嫌だけど恐いけど、本当にやりたいことで否定されることほどは恐くはない。


今、ささやかな文章の仕事に向き合いながら、どうしてそれが可能だと思っていたのだと、当時の自分を思って胸が潰れそうになる。

ペダルもハンドルもない、錆びて壊れた自転車を漕ごうと必死だった日々。

生活保護を受給するようになってからの生活は、錆びて壊れて動かなくなっていた自転車を修理するような日々だ。
本格的に自転車を修理したことはないのだけど、チェーンを磨いたりタイヤに空気を入れたり、サドルの高さを調整したことはあるので、それをなんとなく思い出す。

わたしは2年かけて、それらを丁寧にこなした。
自分に必要な"整備”のために病院に通い、食事と睡眠を整え、安心して過ごせる部屋を作った。
自分を苦しめる様々なものから距離を置いて、自分の健康と安全と正直な気持ちに向き合った。
何度となく訪れる「かつての地獄に帰ろう」という誘惑を黙殺し、安全な部屋に留まり続けた。
錆びて壊れていたわたしの中の自転車は、次第に修繕され必要な部品が揃っていった。

そしてほんの2か月前、思い切って応募したプロダクションに採用されて、小さな小さな仕事をもらった。
1,000文字ほどの文章を書いて初稿を送り、タイトルに関する修正のやりとりをした。

修正対応ありがとうございます。
これで入稿いたします。
お疲れさまでした。

メッセージを受け取って肩の力が抜けた。
ちゃんと最後までできた。
くたびれていたけれど、たまらなく嬉しかった。

続けざまにそのプロダクションから仕事が入り、別の募集でも採用された。
小さな仕事をいくつか納品して、いつのまにか自分がなにも恐がっていないことに気づく。
他者からの評価に傷つくかもしれない恐怖も、傷ついた自分が責任を放棄して逃げるのではないかという恐怖も、なかった。
ただ、できる範囲で文章を書き、業務連絡をして、修正に対応しているだけだった。
いつのまにか、当たり前にそうしていた。
当たり前に、風の中で自転車を漕ぐように。

ああ、乗れた。
倒れないで、ちゃんと漕げている。

わたしの心の中の自転車は、きちんと修理されてオイルを差され、するすると滑るように走っていく。
それまで故障した重たい自転車を脇に抱えて、歩くのも苦しくもがいていたのが嘘みたいに、するすると走っている。
それはものすごく爽快で、信じられないくらい軽やかで、泣き出しそうなくらい嬉しいことだった。
それから幾ばくか気恥ずかしいことでもあった。
これくらいのことで子どもみたいに芯から感動していることが、気恥ずかしく、切ない。

でも、いいのだ。
この先、自転車がパンクすることもあるかもしれないし、自転車では進めない場所に突き当たることもあるかもしれない。
誰でもなくわたし自身が、もう自転車になど乗りたくないと思う日が来るかもしれない。
でも、いいのだ。
少なくとも今は。

もうしばらくは、やりたいことを恐がらずにいられるようになった自分が、どこまで走っていけるのか試してみたいのだ。
あの日、生まれてはじめて乗れるようになった自転車で、広い校庭を走り回っていた時みたいに。


では、また。

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