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春の陽気と善意のはやにえ

東京、昨日と今日は4月上旬並みの陽気だったそう。
日中は20度くらいまで気温が上がって、天気も良かった。
春…きた…!
という感じ。
入学、卒業、引っ越しなどのイベントがあるわけでもないというのに、暖かくなってきただけで妙にソワソワしてしまうからおもしろい。

これくらいの気温になった時期、街ゆくひとの装いを眺めるのが好きだ。
分厚いウールコートにマフラーにブーツというひと(まだ気温の低い早朝に家を出たのかもしれない)もいれば、軽やかなスプリングコートにくるぶしがむき出しのモカシンを履いてるひと(足の甲に靴下のレースが覗いていたりする)もいる。
さっき駅前に停まったクルマから降りてきた男のひとは、サングラスに半袖のポロシャツ姿だった。
さすがに半袖は早いだろう。
と、思いつつ、いまや懐かしく待ち遠しい夏の気配を漂わせる装いに、見かけたこちらまで心が浮き立ってしまった。

今日は朝から図書館に本を返しに行ったり、ゆうちょのATMに行ったり、ずっと気になっていた紅茶専門店を覗きに行ったりと、春の陽気に誘われて歩き回っていた。
その間に、4つ、落とし物を見かけた。
手袋のかたっぽをふたつと、マフラーと、ジャケットだ。
手袋ひとつは多分小さな子どものもので、もうひとつは大人用だった。
マフラーは小ぶりなサイズのアラン編みっぽいものだった。
落とし物は、いずれも道端ではなく、ガードレールの出っ張った部分や駐車場のチェーンポールの上に引っかけてあった。

こういう、他人の落とし物が踏まれないよう見つけやすいよう、ちょっと目立つ場所に移動しておいてあげる行為を「善意のはやにえ」というらしい。
捕った獲物を木の枝に刺しておく「モズのはやにえ」をもじった言葉だ。

ああ、春だなあとしみじみした。

うんと寒い真冬より、今日みたいに暖かい日のほうが、手袋やマフラーを落っことしても、たしかにすぐには気づかないだろう。
手袋やマフラーを身につけて出たものの、あんまり暖かったので歩きながら外し、カバンに入れたつもりが…という感じだろうか。
わたしも、外したマフラーを知らないうちに落っことし、見知らぬ女のひとに拾ってもらったことがあるから、なんとなく想像できる。
そういった事情があるからか、春先には冬用小物が「善意のはやにえ」になっている姿を、とてもよく見かける気がする。個人的な体感にすぎないが。

「善意のはやにえ」は、交番に届けるのは手間で無理だけどできるだけ見つけやすいように…と、誰ともしれないひとが実行しているわけだ。
チェーンポールに挙手の形でかぶせられた手袋は、ややホラーテイストでいかにも獲物っぽいが、誰かの優しさがあった証拠でもある。

とはいえ、「はやにえ」になった落とし物はよく目にするが、それが実践されるシーンは見たことがなかった。

さて、4つめの落とし物であったジャケットは茶色い革のやつで、道の真ん中に落ちていた。
バスが通る大きな街道沿いの歩道で、わたしのすぐ前を歩いていた年配の女性が拾うところに出くわした。
「上着を落とすなんて、ねえ。暖かいからねえ」
女性はすぐ後ろから歩いてきたわたしに話しかけるように大きな声でそう驚きを表明し、すぐ横にあったパーキングメーターにジャケットをひょいっと引っかけた。

おお、はやにえの瞬間。

話しかけられたのをいいことに、立ち止まって一部始終を見守ったわたしは、心の中で小さく喝采をあげた。
これがかの、善意のはやにえ。

「自転車がね、通るから。こうしておけばね」
相変わらず目の前の見知らぬ女(わたし)に言って聞かせるように語ると、「はやにえ」を実践した女性はすぐ先の路地を曲がっていった。
そのうしろ姿を見送ってから、わたしも自分の目的地へと再度歩き出した。

いやあ。いいな、はやにえ。いいものを見た。

颯爽と歩き去った女性に拍手を送りたいような、ナゾの感動に満たされたワンシーンだった。

落とし物なんてしないにこしたことはないし、落としたひとが目の前にいたら駆けていって渡すだろう。
でも、1回でいいから自分もやってみたい。「善意のはやにえ」。

とにもかくにも、落とし物達が無事に落とし主に見つけてもらえるといいと思うし、春先は冬小物の落とし物に注意したいところだ。


では、また。

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