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読書log-『アルジャーノンに花束を』

読むきっかけは別の小説だった。
何か素朴な恋愛小説を読みたいなと、図書館で文庫本の背表紙を眺めていて、目にとまったのが『ぼくは愛を証明しようと思う。』だった。

ベストセラーだったらしいけど、私は全然知らなくて、恋愛小説かなぁと思いながら前情報なく、なんとなく借りてみたら・・・あらびっくり。ガチガチのモテ教本だったのである。

えげつない「女の落とし方」にはめちゃくちゃ共感した。ただヤルだけじゃなく、「人と仲良くする方法」でもある。
人と仲良くなるためには奉仕が必要で、でも一方的な奉仕は孤独に繋がる。『凪のお暇』という漫画に「ゴンさん」ってキャラが出てくるが、彼が無意識に、時には意識的に行っている他者への接し方がまさにそうだ。

『ぼくは愛を証明しようと思う。』の主人公は非モテ男子として描かれ、一人寂しい休日にカフェで『アルジャーノンに花束を』を読んでいる描写がある。文中で簡単なあらすじが紹介され、物語の重要なピースとして終盤にも再度引用され、幸せとは何かを問いかける結末になっている。ヒロインが主人公に言った「チャーリィにはならないよ」がどういう意味なのかが気になり、読んでみることにした。

1) コンマの感動

名作は裏切らない。すごいものを読んでしまったという感動がある。
知能が上がるとわかっていたので、序盤の読みづらい文章も耐えられていたが、慣れてきた頃にきたコンマの革命はそのまま人類史を追っているような感動だった。記号を発明した人類すげぇと。その後、いつの間にか「である調」になっているのに気づいた時は鳥肌がたった。
学会からの逃避行のシーンがかなり好きだ。この物語はそのまま人の一生に例えられると思う。何も知らない「幼少期」から、いろんなことを学び人間関係で失敗する「学生時代」を経て、自分のやりたいことを探しに行く「青年時代」がまさにこの逃避行シーンだ。そして妥協を覚えつつも自己顕示欲が増大する「壮年期」、認知症やボケが進行して退行していく「老年期」で終わる。
老年期は単に幼少期に戻っている訳ではない。何も知らないのではなく、できないだけだ。

2) 認知の歪み

一人称視点で進むため、人々に対する認知の歪みもわかりやすく感じた。博士や教授に勝手に失望したり、ノーマが憎かったのに話してみたらそんなことなかったり、実際にはその人の事情があるのに勝手に思い込んでいることは多い。終盤でチャーリィがパン屋に迎え入れられた時は思わず泣いてしまった。読者としてはパン屋の連中は嫌なやつばかりで自分のことしか考えていないんだろうと思ってしまっていたので、彼らにも「同じ職場で働く仲間として助け合おう」という優しさがあったことにハッとした。自分より下の人間がいることで安心したいという見下した気持ちがあったとしても、本音と建前、建前を気取ってもいいじゃないか。

3) 最後の一文の意味

「アルジャーノン」とはネズミの名前でもあり、知能を持ったあとにチャーリィの身体を動かしていた人格のことも指していると思う。いろんなことを忘れてしまった後に残った「チャーリィ」は手術前の「チャーリィ」と同一人格のようだが、そのチャーリィは過去を思い出すこともなく、未来を考えることもない。「今」しかないチャーリィだが、喪失感だけは永遠に感じていく。知能があった時にチャーリィの過去・未来・今=一生を繋げて考えられていた彼は消滅してしまった。その彼がアルジャーノンと同じように存在していたこと、そして彼は死んでしまったと暗示的に示した描写なのではと思った。
ネズミのアルジャーノンについて考えてみよう。チャーリィとの逃避行の際に言葉が通じているような描写がある。天才的なネズミとはどういう状態なのかの想像は難しいが、例えばカラスは5歳児くらいの知能があると言われることがある。5歳といえば、自我が芽生え、何が良くて何が悪いか、何がしたくて何がしたくないかを自分で考えて行動するようになる。「○○をすると○○になる」という因果関係の理解や記憶力も備わっている。他者の言葉を理解し、会話ができるようになる。
アルジャーノンに感情移入してみよう。「人間が話すこと」を難しい専門用語以外は理解できていたとする。しかし、自分の意志を伝えることはできない。どうにか意志を伝えようとしておかしい行動をとっていたのではないか。知能が高かったチャーリィは元のチャーリィのために自殺を思いとどまる描写があるが、アルジャーノンの無気力の後の死は彼による尊厳死だったのではないか。


『ぼくは愛を証明しようと思う。』の「チャーリィにはならないよ」とはどういうことか。チャーリィは知能を得て人間関係全てがうまくいかなくなり、アルジャーノンと二人きりになり、アルジャーノンも死んでしまう。しかし、知能が退行を始めた時にはアリスや博士が寄り添ってくれ、パン屋のみんなも迎え入れてくれた。
チャーリィみたいに全てに別れを告げて施設に行くことはないということだろうか。それともチャーリィみたいに天才になっても孤独にはならない(=私がいるよ)ということだろうか。機会があればまた読み返してみたい。

『ぼくは愛を証明しようと思う。』がかなり面白かったので、より理解を深めるために『アルジャーノンに花束を』を読んでみた訳ですが、謎が深まってしまいましたね。
幸せとは何か。孤独にならず、人に敬意を持って接し、その対価として愛してもらうこと、かな。

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