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七夕前夜 (1) 【短編】

自由恋愛が認められた21世紀を生きる、日本の恋人達。そんな彼らを外因的に引き離したのは、遠距離でも、死別でも、家庭や経済的理由でも無い。
――世界……“時世”だった。
苦学生の龍彦とフリーターの詩織が、交際半年を迎えた春。突然やって来た新型の感染症。
それまでの日常は一変し、触れる事も、会う事も許されなくなった、二人の葛藤と決断は……

 この時代に、僕達は生まれた。
 何のために出逢った? 恋をした?

※フィクションです。実在する人物、場所、出来事とは無関係です。
※以前別サイトに投稿した作品に加筆、改稿したものです。

あらすじ

第一夜 不要不急の逢瀬


 自由恋愛が認められた、二十一世紀の日本の恋人達が、外因的な力で引き離される理由は限られている。遠距離、死別、経済的問題……そして、 “時世”だ。

「やっぱ、今月も、会えない……?」
「……仕方ないですよ。どんな病気か、まだはっきりしてないですし」
「でも、もう半年だよ……」
「バイトで会えてるじゃないすか」
「営業時間短くなってシフト減らされたし、私は掛け持ち始めたしで、顔合わせるのでやっとじゃない……」

 苛立ちを含んだ涙声で、栗色のストレートヘアの二十代半ばの女性が、微かに鼻をすすり、呟く。
 春と呼ばれる季節が、桜と共に瞬く間に去り、汗ばむ陽気と湿度を帯びた五月雨が繰り返され、雨模様の続く梅雨が終わったばかりの、ある蒸し暑い盛夏の夜。一組の男女が、パソコンのモニター越しに深刻な面持ちで話していた。

 大学三回生の龍彦たつひことフリーターの詩織しおりが働いていたチェーン系列の本屋に、龍彦がバイトで入ってきたことで知り合った。詩織の方が先輩で、二歳年上ということもあり、彼の新人教育を任された。が、龍彦は頭が良く、書籍の知識も豊富で、研修マニュアルも、あっという間に覚えてしまった。
 間もなく、他の先輩のミスまで律儀に指摘するようになり、周りから少々敬遠される中、「立場ないなぁ」と苦笑し、詩織がフォローした程だ。推理系やミステリー小説を、今では珍しくなった紙媒体で持ち歩き、休憩時間に必ず読みふける彼に、同じく紙媒体の小説や詩集が好きな彼女は、好感と共に興味を抱いた。
 寡黙で感情表現が乏しい龍彦に、気遣いながら一生懸命話しかけ、少しずつ話すうち、愛読するジャンルは違うが、何故か一緒にいて心地よく、やがて私生活でも会うようになった。そんな二人が交際するまで至るのに、さほど時間はかからなかった。

『付き合って……くれませんか? ……俺と』

 たどたどしくも、はっきりと告白したのは、意外にも龍彦からだ。まさか彼から言ってくれるとは思わず、年上の自分から告げるべきか、自分の事をどう思っているのだろう、と悩んでいた詩織は、すぐには信じられず、驚きと歓喜で涙してしまった。そんな自分とは違う、感受性の豊かな魅力を持つ彼女に龍彦は惹かれていたのだ。
 何気ない話題も、二人でなら楽しめた。一緒にいるだけで、芯から安らげた。お互い、交際経験は一、二回あったが、こんな付き合いは初めてだ。それなのに……

「なんで、こうなったんだろうね……」

 幾度も繰り返し、口にしてきた言葉を、詩織は改めてぼやくように吐き出す。

 前触れはあったのかもしれない。だが、それは、本当に突然だった。春の嵐、竜巻のようにやってきた……いや、始まったと言うべきだろうか。新型の感染症が世界中で猛威をふるい出した。
 使い捨てマスクやハンドソープが、街中からあっという間に消え、生活の為に外出しざるを得ない二人は、なんとか手に入れた布と古着を詩織がリメイクした、数枚の手作りマスクを洗っては繰り返し使っていた。
 『こういうのも悪くないね』と、少々不恰好なお揃いのマスクを着け、なるべく暗くならないよう振るまっていた彼女が、龍彦には眩しかった。
 しかし、間もなく国から出された『生活に不要な外出は全て禁止』という要請で、外でも家でも会う事を諦めざるを得なくなり、三ヶ月が過ぎた頃には、詩織はすっかり元気を無くしてしまっていたのだ。


 付き合い出してから、一年が過ぎた。七月六日。それが、二人の記念日……龍彦が告白した日だ。

『本当は、明日、言いたかったんですけど……  都合つかなくて……すいません』

 頬を薄紅に染めながら、そんな彼が詫びた時の様子、景色、温度全てを、詩織は今でも鮮明に覚えている。
 出会った頃……『龍彦くんって、いうの? すごい偶然。私、詩織。彦星と織姫……七夕だね』なんて、話しかけるネタを作りたいのと、意識しているのを誤魔化したいのもあり、わざと冗談めかした事があった。
 そんな自分の発言を覚えて気にしてくれたという、大切な思い出の一つでもある名前が、今となっては恨めしく、悲しかった。交際一年を祝うデートも出来ないでいるうち、気温はうなぎ登りになり、今はもう、蝉がけたたましく鳴く、八月になる……

「……彦星と織姫って、付き合い出して怠けてばかりいたから、神様の罰で引き離されたんだよね?」
「何すか、突然……」

 ロマンチストで、少々空想癖のある詩織の、こういう詩的表現は珍しくなく、彼女の魅力だとも思っていたが、唐突な発言に、龍彦は戸惑う。

「私達……特にたつくんなんて、すごく真面目に生きてるのに、なんで会ったらいけないのかな……?」

 消え入りそうな声の中に、微かな怒りが含まれている。龍彦は苦学生だった。実家はさほど裕福ではなく、必死に勉強して奨学生として大学に入った。それでも仕送りだけでは足りない為、生活費の一部はバイトでまかなっている。
 そんな多忙な彼を案じ、又、尊敬の念を抱いていた為、多少、寂しくとも詩織は我慢していた。大好きな人が頑張っているのだから、自分の方が年上なのだからと、メールやビデオ通話で顔を見て話せるだけで十分、と言い聞かせていた。
 しかし、寡黙で表情も乏しい彼とコミュニケーションをとるには物足りなく、時たま不安に駆られた。どちらかともなく手を繋ぎ、初めてキスをし、去年の暮れに身体を重ねた。二人とも初めての行為だ。
 生まれて初めて感じた、あの時のどうしようもない位に苦しくなるほどの幸福感は、今でも、彼女の中で大切に生きている。直接会わないとわからない、ぼやけたモニター越しでは伝わって来ない事があった。彼の雰囲気や細やかな表情、触れ合って温もりを感じないと安心できない時だってある。それは、おかしい事なのだろうか……

たつくんは、寂しくないの? こんなに会わなくても……」
「そんなことないですよ」
「じゃ、なんでそんな平気そうなの……!?」

 いつも冷静でペースを乱さず、未だに敬語で話す、画面の向こうの恋しい人。彼は、直に会えないことを何とも思わないのだろうかと、重い不安ばかりが膨らんでいく。
 子供っぽい我が儘であることは、重々承知の上だ。しかし、只でさえ、友達や疎遠気味な地元の家族にも、何ヵ月も会えない日々を強いられている。バイトと家事で多忙な日々と、ネットやSNSでなんとか紛らわしていた孤独感が増幅し、先の見えない不安からくる悲観的な思考に負けそうだった。

「もう、かかってもいいから…… 会いたい……」
「な、に言ってるんすか…… 悪化したら死ぬかもって、言われてんすよ?」
「もう、無理。限界。寂しくて、心の方が先に、死んじゃいそう……」

 涙声で俯いた詩織の言葉に、龍彦は思わず息を飲む。“心” が死ぬ訳ない。寂しさで命は無くならない。そんな理屈めいた考えが、彼の脳裏を巡る。体を悪くして死んだら、何もかも終わりなのだ。彼女をそんな目に遭わせたくない。 

「…………」
「ねぇ、何か……言って……」

 龍彦の沈黙の中に、困惑と呆れの交じる気配があるのは、詩織も察して感じていた。こんな馬鹿な事を言って嫌われたくない。それでも、長い間、ずっと必死に抑えてきた想いが溢れ出し、自分でも止められなかった。
 今までなら読み取れていた、銀縁眼鏡の奥に秘めた、言葉の裏にある感情や考えも、デジタルで作られた壁が邪魔をする。今の彼女に必要なのは、それを打ち破る位の確かな愛の言葉か、安堵をもたらす彼の“存在感”だ。


「俺も今年の盆は、帰省もしません。ただ……」

 ずっと黙っていた龍彦は、少し声色を改め、視線をモニターの向こうに、真っ直ぐ向ける。

「今でも就活は、一応してて、今度はこんな風に、ビデオ通話で面接らしいんです」
「前と変わったんだ……大事な時に、体、悪くしたら……良くない、ね」

 画面に向き直り、少し我に返って詩織は自省した。毎日が辛く大変なのは、彼も同じだ。無自覚に自分が感染させるかもしれない。それだけは、絶対に……嫌だった。

「どれくらいかかるか、分かりませんけど…… もうしばらく、待ってくれませんか。正式に内定、その、決まるまで……」
「…………?」

 無口ではあるが、話した時は饒舌じょうぜつな龍彦が、珍しく困ったように口ごもる。先程の発言を後悔していた詩織は、恐る恐る、問いかけた。

「ごめん……嫌に、なった?」
「そんな簡単に、嫌いにならない……ですよ……」

 人付き合いを億劫おっくうに感じる龍彦が、初めて長く付き合っている女性が、詩織だった。今のような喧嘩で冷めるなら、とっくに別れている。

「ありがと……」

 少し安心した詩織は、ようやく微笑みを見せた。

「シオ」

 いつもの呼び方。いつもの口調。いつもの低く、穏やかな声。それだけは、何も変わっていない。どうか、変わらないでいて欲しい。

「……龍くん」

 様々な想いを込めて、恋しい人を呼ぶ。これからも、こんな風にずっと、この名前を口に出来たら、どんなに良いだろう……
 残り香のような気まずさが微かに漂う中、日付が変わる時刻に差し掛かり、今夜の通話は終わった。

第二夜 繋がり


 喉の渇きを感じた詩織は、結露ですっかり水浸しになったグラスをテーブルから取り、ぬるくなったアイスティーを口にした。ふと、スマホを見ると、通信アプリの新着通知を知らせるランプが瞬いているのに気づく。
 龍彦と話している間に、メッセージが届いていたらしい。差出人は、彼女の母親からだった。昨日の返信の返事かと思い、憂鬱な気分で、詩織は通知を開く。
 ……やっぱり帰省しないのか、付き合っているという男と会ったりしていないか、という以前と同じような内容だった。

 ――こんな時だからしないし、会ってないって返したばかりなのに……

 いつもの事だが、こんな風に落ち込んでいる時は、本当に嫌になる。何か不都合な事が起こると、彼女の母はいつにも増して、自分中心になる。信用していないのか、話を理解していなかったのか……


 両親が共働きということもあり、年の離れた妹は保育園に預けられていたので、小学生までは一人で過ごすか、妹の面倒を見ることが多かった。
 当時は、今よりも人見知りで大人しい性格で、友達との付き合いもあまり盛んではなかった。絵本を読むか、アニメを観てばかりいる子供だったらしい。小学生になってからは、放任主義という名の、放置主義だった。

『あなたは聞き分けのだから、信用してるの』『困った時は、ママかパパに何でも言ってね』

 しかし、具合が悪い時や友人関係や勉強の悩みがある時、両親が助けてくれたことはなかった。クラスメイトに意地悪を言われ仲間外れにされた時、思い切って母に口にした事がある。返ってきた『気にし過ぎよ』という言葉と煩わしそうな表情。あの時の裏切られたようなショックは、今でもはっきりと覚えている。
 それ以来、一切、親に心を開くことはなかった。少し成長した後は、親も仕事が大変でかまっていられなかったのだろう、と理解しようとした。が、進学や就職など、将来の重大な決断を迫られる時期になった途端、口うるさく干渉してくるようになった瞬間、全てをさとり、崩れ落ちた。

『あなたは弱いから』『何も出来ないから』『心配だから』『これ位にしておきなさい』――……

 ……自分の何を理解しているのだろう。信じていたのは結局、口先だけの思い、その場しのぎの慰め、事なかれ主義……保身故の戯れ言だったのだと、最後の何かが、砕け散った。

 そんな詩織にとって、口数は少なくとも、困っている人間を率先してフォローしようとする龍彦に会った時は、本当に驚いた。
 尚且なおかつ、偉ぶる訳でも見下すこともなく、たまに口にする言葉や行動には、誠意と思慮がこもっている。それに気づいた時、自分が彼に惹かれ、恋に落ちていることに気づいた。年は下でも、彼の側は居心地が良く、安心できたのだ。

 追加のメッセージが来た。警笛のように、着信音が鳴る。

『心配してるのよ』

 ――もう、何も聞きたくない。見たくない。中身の無い、耳障りの良い言葉だけの“思い”は……もう、いらない。

 三角座りをして、汗ばんだ膝元に顔を埋めた。目頭の熱さがぶり返し、再び、水の膜で滲む。
 ……今は、ただ――会いたい。


 同じ頃。龍彦もスマホの通知を黙々とチェックしていた。数件のメッセージが届いている。筆無精な方だったが、今年は家に居ることが多かったのもあり、友人や家族とやり取りする回数が増えたのだ。
 しばらくの間、音沙汰のなかった地元の友人からも連絡が来るようになり、就活やバイトの合間に、ちょくちょく返信している。詩織とビデオ通話している間、その友達からの返信があったようだった。
 他愛ないやり取りばかりだが、懐かしさや彼らの近況が気になっていたのもあり、今の状況下の気晴らしになっている。最近は、盆休みの帰省の話やら就活の話が多い。前回もそんな傾向だったが、今夜のメッセージに、龍彦は少し動揺した。

『付き合ってる彼女とは、どう? まだ続いてる?』
『俺の周り、会えないうちに自然消滅したり、別れる奴増えてるんだわ。大丈夫か?』

 絶妙のタイミングに、思わず息をのむ。さっき、その件でが泣いたばかりだ。少し躊躇ためらった後、返信する。

『なんとか続いてる。バイト先は同じだし』

 暫くして、メッセージが返って来た。

『なら、いいけど。お前、真面目だけど言葉足らずじゃん。不安にさせないようにな』

 内心、気にしていた事を突かれ、ぐさり、ときた。この男は、人付き合いの苦手な龍彦が、心許せる貴重な地元の友人だ。本当に心配して言ってくれているのは解っていた。今までに、大学の同級生や先輩、家族にまで、色々な言葉を言われてきたのだ。

『大事な時なんだし、別れるまではいかなくても、ちょっと距離おくとかしたら?』
『色々気になって面倒じゃねぇの?』
『別にその人じゃなくても、良くね?』
『彼女欲しいなら落ち着いてから、また作ればいいじゃん』

 ……何度、同じようなフレーズを聞いただろうか。そんな事は十分にわかっている。今の状況下に、自分の口下手さが伴って、彼女を不安にさせていることも。
 だけど、どう考えても踏み切れない。エゴだとわかっているのに、詩織を離したくない自身をもて余していた。

 ふとした時に思い出すのは……親しみやすい穏やかな笑顔。最初は『バイト先の優しい先輩』としてしか見ていなかった。慣れない年頃の女性……増してや年上。自分みたいな無口で理屈っぽい男は、友人としてでもつまらないだろうと思っていた。
 だが、少しずつ話しているうちに、彼女といるのが心地良くなっている自分に気づいたのだ。

 ――ああ、と……

 いつも一生懸命で、ひた向き。だけど、どこか不器用で、年上なのに心配で放って置けなかった。問題点はなるべく解決しないと落ち着かない性分で、何か気になると横槍を入れ、お節介を焼いてしまう。結果『あいつに任せておけばいい』というレッテルを貼られてしまいがちなのだ。
 それが、時たま苦しく、重荷になる事もあった。しかし、彼女……詩織は力足らずとも、いつも自分に協力してくれようとする。そっと、優しく寄り添ってくれたのだ。

 ――本当は、自分の方が側にいたかったのかもしれない……

 ガシガシ、と雑念を振り切るように、髪ごと頭を掻く。

 何で、こんな時に恋なんてしてるのかって? そんなの決まってる。
 自分にとって大切だから? 彼女が必要だから?
 月並みだが……、だ。
 この世には理屈で説明出来ない事もあるのだと、生まれて初めて、痛い程に思い知った。


 数日後。洋食屋のバイトの日。シフト前に、詩織は同じショッピングモールの文房具屋に来ていた。先日、本屋の店長から、『今年から更に経営が厳しくなったから、閉店になるかもしれない』と言われ、新しい勤め先を探す為、履歴書を買いに来たのだ。
 本屋は好きだが、文房具コーナーはあまり立ち寄らない。学生時代は、可愛い文具やブックカバーを求めて来店していたが、社会人になってからは慌ただしくて余裕がなかった。
 店内もフロア内も、休日にも拘らず人通りはあまり無く、深夜前のように閑散としている。いつの間にか閉店していた店もあった。以前、龍彦とデートで訪れた時とは別世界のように変わってしまった……
 親しんだ場所が消えてしまった時の哀しさ、突然置いてきぼりにされたような心もとなさが漂っている。

 ――変わる時って、ほんとあっという間で、呆気ないな……

 そのまま耽ってしまいそうな心を切り替え、履歴書コーナーで目当ての品を手に取り、レジへ向かおうとした時、グリーティングカードやレターセットが集まった売り場が目に入った。夏らしい季節の柄や可愛らしい華やかな彩りで埋まったそこは、今の世相からはかなり浮いている。だが、逆に少しほっとする空間でもあった。
 何気なく一番手前の、シンプルだが洒落たデザインの星柄のセットを取る。手紙を書くなんて、子供の頃に友達同士でやった交換や、母の日や父の日に両親に渡した時以来だ。

 ――そう言えば、手紙もらった時って、なんか嬉しかった……

 そんな風に思った瞬間、龍彦の顔が浮かんだ。気がついたら、手にしていたそのレターセットをそのまま、履歴書と共にレジに出しに行っていた。
 バッグに入ったが、大袈裟で無く一縷いちるの希望がほのかに灯っているようで……いつぶりか、心が軽くなった。


 数日後の盆休み。蒸し暑い熱帯夜だけは変わらず続く。そんな中、二人はそれぞれの家からビデオ通話をした。

「……あの後、考えたんだけど」

 詩織の改まった声色とトーンに、別れを切り出されるのではないかと、龍彦は内心、ドキリ、とする。しかし、続いた彼女の言葉は、予想外の単語だらけだった。

「手紙、書いていい?」
「……て、がみ?」

 一瞬、何を言われたか認識出来ず、ぽかん、となった。漢字変換された単語が、次々と、彼の脳裏に浮かぶ。

「一ヶ月に……一、二回でいい。で、返事、くれないかな……?」

 パソコンの傍に置いた、レターセットに目をやりながら、恐る恐る切り出した。

「……俺、そういうの下手ですよ。論文ならともかく……」

 『そうか、……』と、彼女が言いたい事を把握し、今度は狼狽うろたえる。女性が喜び、求めているような気の利いた文章……要は、ラブレターなど書ける自信は、とても無かった。

「いい。数行でも、何でも、いいの。龍くんが、じかに書いたものが……ほしい。そしたら……頑張れるかもしれない」

 モニター越しやデジタル化された言葉では得られないものがある事に気づいた。いや、思い出したと言うべきだろうか。じかに会って、話して、初めて分かる事や伝わる事がある……
 相手の気配、面影、残像……目には見えないだ。直接会う事が無理なら、せめて少しでも、それらを感じられるものが欲しいと思った。
 いつになく切実な詩織の様子に、龍彦は神妙に頷く。今後の関係のための、大切な――

「……わかりました」

 盆休みが明けた、数日後。一日中、雨が降り続いた夜。詩織の住むアパートの部屋宛に、一通の白い封筒が届いた。差出人は――龍彦だった。
 ぐっ、と早まる鼓動を抑え、ハサミを使って丁寧に封を開ける。彼らしい真っ白でシンプルな便箋に、黒のボールペンで書かれた文字が、数行並んでいた。

 ――こんな字だった……?

 彼が書いたものは、バイト先で少し見ただけだ。心なしか、その時よりも整えて書かれている気がする。

 ――初めての手紙だから、丁寧に書こうとしてくれたのかな

 暑さで火照ほてる身体の奥が、更に温まった。何とも言えない高鳴りを抱えながら、ゆっくりと文面を読み始めた。


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 #創作大賞2023  #漫画原作部門 

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