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生きていることをどうにかしなければいけない


10代の頃雑誌のインタビューに答えた時も、生きるのって面倒だと言っていたが相変わらず鬱な自分はこの基本自分の中で流れている気分というのは変わらない様だ。朝目が覚めたらトイレに行ったりしないといけない。喉が渇いたら何か飲み物を飲まないといけない。生活の、どれ一つをとっても面倒だ。人生でやりたいことは十分やった、もう人生は十分だ、と思っていてもまだ生きている。肉体はまだあるのだ。こやつにいろいろと、元気でいてもらうためにメンテナンスしなくてはいけない。

病んでいる人間には健康的な人々はひどく眩しく見える。良くも悪くも彼らは鈍く、世の中にそれなりに適応している。生きるというのは、生きるというそれ自体が自分には大変に感じる。まったく人間というものに向いてない。早くやめたいともしばしば思うが自殺したいわけでもない。人生が長すぎる。無為な人生というより人生そのものが無為だ。そこに意味づけをしたりしなかったりで時間というのは経過していくのだろうが、例えばその、喉が渇いたら水を飲むという機械的動きに虚しさを感じてしまう様では生きていても生きられない。

あなたは今鬱だからそんな気分でそんなことを思うのよ、と人は言うだろうけれど、鬱だって人生の時の流れの一つなんであって、例外ではない。健康や健常がスタンダードの世界というのは私には酷くいびつに見える。健康、病気、全てを含めて世界なのだということを取り戻す必要を感じる。


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