Yuki

2021年10月12日〜22年11月まで暮らしていた0円ハウスでの日々を綴る為に始めた…

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2021年10月12日〜22年11月まで暮らしていた0円ハウスでの日々を綴る為に始めたアカウント。

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へいわのうた

さあ人類滅亡間近だ 左も右も上も下も手をつなぎみんなの為にたたかおう ジョンレノンが言ったみたいに、おかねも所有も地獄も天国もない そんな世界 求めるものはユートピアじゃなかった 平和こそだ 平和こそ そうやって生きていこう

    • 仕事について

      もしかしたら以前書いたことと重複するかも知れないが、仕事について思うことを書こうと思う。 なんだかこの頃は、仕事がある内が花だ、仕事のある人が羨ましいと思う。どんな仕事でも尊いのだから、仕事してる人は皆もっと自信と誇りを持った方がいい。仕事してない人が恵まれてるわけじゃないし、妬んだり蔑む必要はない。給料が高いから偉いわけじゃないし、給料が低いから人として劣っているわけじゃない。若い頃はむやみやたらに低賃金で時間を奪われたり搾取されたくないと、労働全てを否定してただ遊んで暮

      • 1987-1989

        ガラス戸の時計みたいなマークがずっと気になっていた。 朝のテレビ番組が流れている、アナウンサーの快活なおしゃべり。窓から外を眺めると小学校に登校するために駐車場にみんな集まっている。私はただそれを眺めていた。 ある晴れた春の日、姉が隣の町へと、私を自転車の荷台に乗せて遊びに行った。ぽかぽかの陽気の中。学校からエスケープしている私たちは同志だった。姉は高校生で、私は小学生だった。 線路沿いを私たちの住む団地へと向かって、坂道を、母の運転で下っていく。姉は好きな先輩の話を熱

        • 生きていることをどうにかしなければいけない

          10代の頃雑誌のインタビューに答えた時も、生きるのって面倒だと言っていたが相変わらず鬱な自分はこの基本自分の中で流れている気分というのは変わらない様だ。朝目が覚めたらトイレに行ったりしないといけない。喉が渇いたら何か飲み物を飲まないといけない。生活の、どれ一つをとっても面倒だ。人生でやりたいことは十分やった、もう人生は十分だ、と思っていてもまだ生きている。肉体はまだあるのだ。こやつにいろいろと、元気でいてもらうためにメンテナンスしなくてはいけない。 病んでいる人間には健康的

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          1本

        記事

          あなたは強者

          に見える 私からは、でも あなたからは私が強者に見える 昔からいつも張り合っている 人間ってそんなもん ただ自分は想像くらいはできる 今まであなたにどんな辛いことがあったかという 想像くらいは あなたが私のことを今どう思っているかは わからないけど あの時助けてくれたことは一生忘れることはない 人はそれぞれ違うから 違っていくから 子どもの頃はそんなこと知りもしなかったけどね

          あなたは強者

          スマホとストリート

          子どもの頃から場、居場所のなさという困難を抱えていた。8才で完全に不登校になり、学校という場を失う流れに勝手になった。10才で引っ越した母の実家はあれこれあった家庭の事情でずっと居心地が悪く、私はそれから心地よい場を失った。そしてそんな風に自然な流れで自分は東京の街に流れ着くしかなかったのだった。仕送りをもらいながらの親公認の家出生活の始まりだ。 私が東京に住み始めた1997年、その頃の東京にはストリートがあった。場があった。リアルがリアルだった。今はどうだろう。今の現実、

          スマホとストリート

          帰省して

          主に通院のために9月末から2週間あまり実家のある九州に帰省していた。福岡市内に住んでいる姉と博多駅で合流して、一緒に実家のある熊本へと帰ることになった。姉は風邪気味だった様で私も次の日に熱っぽくなり、葛根湯をすぐに飲んだが結局島に戻る直前まで具合が悪かった。九州に居る間に原付の免許も取るつもりだったがそれも出来ずじまいで、折角しまなみ海道の地域にいるのだからと実家に置きっぱなしで全然乗っていないクロスバイクを島に送るか持っていくかしたかったがそれも出来なかった。ほんとにほんと

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          帰省して

          自分らしさ?

          5月1日から島にあるゲストハウス兼カフェでバイトを始めた。柑橘バイトも今はないし、家でごろごろスマホをいじったりしてぐだぐだひましてるより断然良いだろうと思ってやることにした。良かったのか悪かったのか面接に受かってしまい、今は試用期間中だ。 仕事内容はゲストハウスのハウスキーピング。仕事自体は悪くはないし、職場環境はとっても良いけれど、思った以上に力の要る仕事だったり、狭いところで作業しなくてはいけなかったりしてちょっと自分のキャパをオーバーしている気がする。なので試用期間

          自分らしさ?

          0円ハウスでの暮らし

          0円ハウスのコンセプトの一つとして生活圏を0円ベースにするというのがある。今日はその進捗状況について書いていきたい。 生活に必要なものとして衣食住というのが古くから言われる。今なら光熱費などのインフラも含まれるし、衣に関しては数的には有り余っているので現代なら省いてもいいのではないかというくらいだ。 まず住むところ。0円ハウスはご存じの通り固定資産税だけで無料でお借りしている。 衣服は何度か頂いた。私は大体毎日同じ服を着ている。持ってる服が最小限で、頻繁に洗濯はしている

          0円ハウスでの暮らし

          労働について

          労働に対するイメージというのは昔から悪かった。自分の親は片親で、常に忙しく、仕事というのは家族と過ごす時間を減らし子供にさみしい思いをさせるもの、というイメージがまずあった。そして年頃になりバイトなどをし始めて、その巷にある仕事自体も何か窮屈に感じさせるものが多かった。制服を着たり、マニュアル通りに言葉を発したり、自分はこんなことをするために生きているのか?という疑問符が常に頭に沸いてきた。自分は学校に行く意味もわからなかったがこういう仕事をする意味も意義もわからなかった。大

          労働について

          何かそうさせるもの/本来の自分に戻る

          ここ数年、自分は15歳以前の自分に戻りたいという気持ちが強くなっていた。その結果の一つにこの0円ハウスに住むことも含まれている。15歳、1995年までの自分はそんなにひねくれてもいなかったし、言ってみれば全てにおいて真面目で真剣だった。テレビで目にする社会悪に対して憤りを感じていたし、悪いものは良くしたいと思っていた。そして田舎生まれ田舎育ちの田舎の子どもだった。 何がきっかけだったのかはわからないが16歳位から屈折した感情を抱く様になり、それまでの真面目な自分を否定するか

          何かそうさせるもの/本来の自分に戻る

          みかんバイト

          昨日は都会と田舎について書くつもりが自分史の部分が多くなってしまった。続きで本題に戻っていこうと思う。今日は日記を書いてみることにする。 昨日朝久々にコーヒーを飲んだのと文章を書いていたのとで目が冴えて昨夜は全然眠れなかった。コーヒーはもう飲みたくない。というくらいに私にとって寝付きの良し悪しは重要だ。 今日はいつものみかんのバイトだった。早稲、いしじ、はれひめという柑橘の収穫が終わり今はせとかという柑橘にサンテという目の細かい網を被せる作業をしている。 集合はいつも大

          みかんバイト

          東京の街と、瀬戸田と

             7年というそう短くもない2度目の東京生活を止めて、かねてから実現したかった自給自足を取り入れた循環する有機的な暮らしを始めるべく、そして遅まきながらお金的にも自活する道を歩むべく、瀬戸内海の生口島、瀬戸田にある0円ハウスに2021年10月12日から住み始めた。正確に言うと日本中移住先探しをしていろいろ見て回った結果、ここ瀬戸田に流れつき落ち着いた。北海道の本別を皮切りに、岩手の花巻、福岡の糸島、熊本の阿蘇、鳥取の松崎、広島の尾道と見て回り、どこも良い所ではあったしとて

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          東京の街と、瀬戸田と

          これまでの書き言葉と話し言葉との付き合いについて

          日頃のもやもやを整理するために日記を書いてみてはどう?と0円ハウス主催の村上さんに勧められたので書いてみることにした。私は元々そんなに文章を書く方ではないし、書くのに時間がかかるし書く作業が最近は面倒に思えて更に全く書かなくなっていたのだけど、時間はあるわけだし、やってみることにした。この話の流れのまま、私が今まで書き言葉や話言葉、活字とどう付き合ってきたかを題材にして書いていくことにする。 書くことから遠ざかっていたのには他にも理由がいくつかある。自分の文章が自分で読んで

          これまでの書き言葉と話し言葉との付き合いについて