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『パラサイト』を見た。たぶん「半地下」って僕たちが住む「ココ」では?

先日映画『パラサイト』を見た。映画を観終わってスマートフォンを開くと「アカデミー賞4部門受賞」というニュースがちょうど流れてくるという、いいのか悪いのかわからないタイミングで見たこの映画だったが、まあ、とにかくすごかった。今回は、映画素人の僕が同映画のどこにどうすごいと感じたのかを書いていく。

※注意※
これからの文はネタバレを含みます。ご注意ください。


今回僕が主張したいのは以下の5点だ。
①無駄のない3時間
②気持ちよすぎる伏線回収
③たぶん「半地下」って僕たちが住む「ココ」では?
④わからなかったところとそれに関する妄想
⑤本当の本当にちょっとした驚き

では早速。

①無駄のない3時間

最初からなに変なことを言っているんだと、この映画を見た方は思うかもしれない。あるいは、もしかすると、この題目を見て2回目で、やっと違和感を覚えた方もいるかもしれない。

何がおかしいか。それはもちろん「3時間」だ。

この映画の上映時間は132分(googleで最初に出てきたやつ調べ)、つまり、全然3時間なんてかかってないのだ。

でも、僕がなぜ「3時間」と書いたか。それは、僕が「3時間」に感じてしまったからだ。

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じゃあ、なんで3時間に感じたのだろうか。その理由は、この映画の、❶テンポがいい、❷行程が多い、❸伏線が多い、という3つの要素からのものなのかなあと感じる。

まず「❶テンポがいい」について。

この映画は序盤とか特に、めっちゃテンポがいい。社長家族周りの仕事を手に入れるまでにポンポンポンと話が進む。また、それは観客も先を想像しやすい話になっていて、自分が映画に参加できているような感覚が(序盤は)芽生える。

しかし、テンポが良かったらむしろ時間が早く溶けそうなものだが、そこでの要素が出てくる。

次に「❷行程が多い」について。これはもうそのままなのだが、一つのことを成し遂げるまでに、めちゃくちゃ細かい芸をしてくれるのだ。

例えば、「母が家政婦になる」ことは容易に想像できても、「桃」のアレルギーがあって、その「毛」がダメで、「病院」で写真をとって、「ソース」で血を演出して、めちゃくちゃ咳き込むシーンを「2回」も映すことは全然想像できなかった。

一つ一つの小話に関して、観客が想像を膨らませて、自分の予想が当たるか心を踊らせている時に、見事に焦らされる。素晴らしい。

そして「❸伏線が多い」。これは❷とも関連してくるが、いたるところに「明らかな伏線」を見せてくる。例えば「モールス信号」や「匂い」。

のちのち「あああれは伏線だったのか」というシーンも多くあったが、結構たくさんの「明らかな伏線」があることは、❷と同様に、観客を引き込むのに一躍買っているのだろう。

といった感じで、僕の脳内と眼球は並列的にフルに動かされ、めちゃくちゃ要素が多い。これはもう長く感じざるを得ない。そして、これを二時間に収めていることが僕には信じられない。本当にこの映画には一秒たりとも無駄なシーンがないんだろうなと思う。

②気持ちよすぎる伏線回収

次は、①で出した「伏線」に関してだ。「気持ちよすぎる」といったが、本当に僕は、その伏線回収のタイミングが気持ちよすぎた。

先ほども言った通り、作中には様々な伏線が出てくる。しかし、これらの伏線は、絶妙なタイミングで回収されているのだ。

先ほど「焦らされる」と僕は言ったが、同時に、この映画は観客を「焦らしすぎない」。例えば、前の家政婦が「二人分くらい食べる」ということの理由が、割とすぐ後の、「地下の夫」の存在が暴かれることで明かされる。

物語の最初の方に張った伏線が、一番最後に回収される、みたいなことがないのだ。(あるのかもしれないが、あからさまではないだろう)

伏線を張る。ちょっと焦らして、回収する。この繰り返しで恒常的にカタルシスを提供してくれるのが、この映画の「飽きない」理由だろう。

③たぶん「半地下」って僕たちが住む「ココ」では?

では、今回のnoteの、一番の主張を書いていく。

この映画の副題は「半地下の家族」。「半地下」というモチーフがとても重要になっていることは明確だ。

では、「ココ」とは。それは、この僕のnoteを読んでくれているみなさんが生きているくらいの場所だ。つまり、「平凡」であり「平均」であり「普通」

映画の中では明らかに「半地下」を低い身分として扱っていたように見えたが、では、どうして僕がこう考えているのかを述べていく。

この映画の主な構造は以下のようだと僕は思っている。

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詳しく説明していく。

この映画の中では、「兄の友人」以外に明かされる身分が「富裕層」「半地下」「地下」の三つしかない。

そして、豪雨のシーンで見られるように、この家族は、一般市民と同じように体育館に避難しているが、つまり、この映画内に見られる一般市民は「半地下」と同じような状態だと考える。つまり、「地上」というものは存在せず、「半地下」が一般的な空間であると考えても間違いではないと思う。

(当然、実際の韓国社会では「半地下」空間が大半を占めているわけではないと知っているが、今回はこのように扱う)

そして矢印についてだ。

僕は図の中で矢印を「移動」と定義づけたが、これは、「妹」が「富裕層」に移動し、「ドライバー父」が「地下」に移動したと僕が考えたため、それを図示した。

どういうことか。

「妹」は、「地下」の人に刺され殺されるが、それは「富裕層」の仲間になったということではないだろうか。現に、「地下夫」に殺されたのは「妹」だけだ。そして、「富裕層父」を殺した「ドライバー父」は、「地下」の人として刺したのではないだろうかと考えた。

「妹」は家族の中での会話で豪邸に「似合う」だのどうのこうの言われているし、洪水のシーンで「父」と「兄」が水の中でもがく中、一人トイレの「上」でタバコを吸っているが、それは、「富裕層」の仲間入りを意味していたのではないだろうか。

そして、しきりに「匂い」に関して表情を曇らせていた「ドライバー父」は、最後「富裕層父」が「地下の匂い」を揶揄することに対して堪忍袋の尾が切れるが、それも、「ドライバー父」が「地下夫」に同情し、「地下」の仲間入りを果たしたということではないだろうか。

そうすると、「半地下」は、「富裕層」に登る可能性もある一方で、「地下」に転落する可能性もあるという、一般的な「地上」と同じ役割を果たしていることになる。

しかし、ここで大事なのが、やはり一般を「半地下」と定義づけていることだ。つまり、貧富の差が拡大しているというよりは、富裕層が資産を独占していることによって、相対的に一般層の地位が押し下げられているということを示唆しているのではないだろうか。普通であっても、少し地下に沈んでいるような、そういう現実を言っているのではないだろうか。

つまり、僕たちは「半地下の家族」を自分と同じ立場の人として見届けなければならないのだ。

④わからなかったところとそれに関する妄想

といった感じで色々述べてきたが、ここで、この映画でわからなかったなあということを述べていく。

まずは、「兄」の「象徴的だなあ」発言。あの石が、何かを意味する石なのかは知らないが、象徴的だということは何かを暗示していたり示唆しているものなのだろうとは思うが、少しピンとこない。うーむ。

次に、なぜ「妹」が「富裕層」と同じ領域に達したか。「妹」は実際には何も成し遂げてはいないが、他の家族とは一線を画した。それは、「妹」が唯一家族の中で持っている「才能」ゆえかなあとも思ったが、富裕層家族を見てみても、「才能」を感じる人は「弟」くらいしかいない。ドライバーや家政婦といった従う仕事や、「兄」が「姉」と恋に落ちることで対等な立場になることに対して、「妹」は唯一「弟」に教師としてのスタンスを保ち続けたということゆえかなとも思ったが、あまり明確な理由には見えない。

僕個人的には「妹」が一番不思議な立ち位置をしていて、物語の一番のキーのような気がする。

⑤本当の本当にちょっとした驚き

最後に、お遊びコーナー。韓国語の映画を見るのは初めてだったので、色々と驚いたことがあった。

まず一つ目。韓国人も結構英語使う。シンプルとか、普通にいってて「おお」ってなった。

二つ目。たまに日本語と発音が同じ。「文法」が「ブンポー」って感じだった。おどろき。

三つ目。ハングルのモールス信号超しんどそう。ハングル文字よく知らないですが、一個一個のパーツしか一回の信号でわからないの、めっちゃ時間かかりそう。

以上です。

おわりに

2019に見た『JOKER』も「落差」をテーマにした映画だったように感じるが、この映画は、「富裕層」と「地下」を行き来することができないような構造になっているゆえに、堅実な設定とも言えるのかもしれない。

しかし、それは同時に、もう、「富裕層」と「地下」が行き来できる世界なんてとっくのとうになくなってるよというメッセージなのかもしれない。「半地下」の人間として、「富裕層」になれるように僕も頑張るぞー!

本もっとたくさん読みたいな。買いたいな。