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シーラ・ジェフリーズ 「クィア政治とは何か」

クィア理論・クィア政治の源流はどこにあるのか。それはどのような経緯で、トランスジェンダリズムというかたちをとってレズビアンおよび身体的女性の権利を脅かすに至ったのか。日本のジェンダー学の世界ではクィア理論が隆盛を誇り、今のところそれを批判する論考等が公表されることはありません。ですが海外には、勇気をもってトランスジェンダリズムの源流に切り込んでいくフェミニストたちがいます。
以下はフェミニスト理論家シーラ・ジェフリーズさんの、2020年6月6日の「女性人権キャンペーン(WHRC)」の国際ウェビナーにおける発言を翻訳したものです。


                  WHRC Webinar 6 June 2020

 本日、私が論じたいのは、クィア理論とクィア政治(クィア・ポリティクス)が、ゲイ男性の政治・文化・性的関心から構成されているということだ。どちらも、1970年代と1980年代に男性の性的権利に対する強力な挑戦を発展させたレズビアン・フェミニズムに直接対抗するものとして形成された。クィアはフェミニズムの敵であり、レズビアン・フェミニズムの敵だ。それが私たちを排除しているからというだけでなく、全体の考え方と実践が女性の貶めと「ジェンダー」――すなわち女性抑圧を創出し維持する性役割と性的ステレオタイプとしてのそれ――の受容に基づいているからだ。


はじめに――クィア政治はどこから来たか?

 今日、クィアという言葉は、1990年代初頭に発明されたときとは非常に異なる意味を持っている。クィア政治とクィア理論は大学では正統派になっており、そこではクィア理論がフェミニズムとセクシュアリティの研究を支配している。何世代にもわたる学生たちが、こうした思想のくびきの下で教育されるに至っている。クィア政治は、若いレズビアンたちが入ろうとしているコミュニティを完全に支配している。それは文化と娯楽において途方もない影響力を持っている。かつてクィア政治が先端的で慣習に逆らうものと見なされていたとは、およそ想像しがたいことだ! 
 今日、それは同性愛者だけでなく、冒険したがる異性愛者やトランスヴェスタイト(異性装者)だったり、さらにはさまざまな形のフェティッシュで有害なセックス、その他多くのアイデンティティを意味する。それは同性愛者にとっての婉曲表現になっているので、とりわけレズビアンの中には、自分たちをレズビアンではなくクィアと呼んで喜んでいる人たちが大勢いる。レズビアンと称することはちょっとあからさまで、あまりに対立的で、女性中心的にすぎるし、ここにおいては男性を愛することは義務であるのに、レズビアンと称してしまえば男性を愛さないということを意味してしまいかねないから。
 他方、バイセクシュアル(両性愛)やノンバイナリーなら、どちらも男性を拒否することを意味しないので、受け入れ可能な用語である。そしてクィアならまったく無害で安全だ。したがってクィアの文化と政治とは、当初から常にフェミニズムに真っ向から対立するものであったし、そこには、レズビアンがゲイ男性のスタイルを真似てそれに同化されるのでないかぎり、レズビアンは含まれてはいなかった。

 クィアという概念は昔からあったわけではない。1950年代、同性に惹かれる人々を指す言葉は同性愛(ホモセクシュアル)であり、これは性科学の教科書に由来する用語である。1960年代になると、ゲイという用語が採用されたが、それは、医療専門家によって定義されるのを拒否する一手段であって、また陽気で革命的に聞こえたからである。
 ゲイ男性を指すその用法は、19世紀後半の高級娼婦すなわち売春業界に由来する。それは「ゲイワールド」と呼ばれていた。当時、同性愛男性と売春婦はどちらも「のけ者」であったため、しばしば社会的に交流しあっていた。1960年代後半、「ゲイ」という言葉は、新しいゲイ解放運動によって同性愛者(ホモセクシュアル)の正しい用語として宣伝された。ホモセクシュアルという用語もゲイという用語も、レズビアンに由来するものでも、レズビアンを表すものでもなかった。これらの総称的な用語〔同性愛者とゲイ〕は男性を指示するものであったし、女性を指示する場合には形容詞をつける必要があったため、レズビアンは女性同性愛者(female homosexuals)またはゲイ女性だった。

 1970年代初頭にウーマンリブ運動とレズビアン・フェミニズムが始まったとき、「ゲイ」という用語は、特殊に男性を指すものであって女性の経験とは関係がないとして拒否された。他の女性を愛する女性として、私たちは自分たちをレズビアンと呼んだ。私たちは公然とそう名乗り、誇りを感じていた。

レズビアン・フェミニズムとは何か?

 レズビアン・フェミニズムは、レズビアン女性とゲイ男性との間の大きな政治的相違を認識することに基づいていた。レズビアンとゲイ男性とのあいだに何か共通点があったとしても、ほとんどないと私たちは考えていた。
 レズビアンは女性であり、抑圧された性階級のメンバーだが、ゲイ男性は抑圧者の性階級のメンバーであり、したがって私たち女性の利益と対立する。しかし、女性に対するゲイ男性の関係は、異性愛者の男性とは異なるものだった。ゲイ男性は、男性優位主義文化において、他の男たちと同じく男らしさを崇拝し、女性を軽蔑するよう教えられている。しかし、ゲイ男性は女性を性交の対象としないため、男らしさを欠いているように見られている。 
 したがって、ゲイ男性の文化は、従属的で卑屈な女々しい男という初期設定を受け入れている。すべてのゲイ男性がこの文化に従っていると言いたいわけではない。それどころか、1969年のストーンウォール反乱後の数年間のゲイ解放運動の時期、ゲイの男性活動家たちは、ゲイの仲間たちがこの性役割と女々しさを受け入れていることに対して厳しく批判的だった。そういう活動家たちもまだ残っている。しかし、ほとんどの場合、ゲイ文化を象徴すると今なお思われているし、それどころかますますそう見られている文化的形態は、キャンプ〔男性同性愛者が誇張された女性的なしゃべり方や仕草をすること〕やドラァグに見られるように、女性を嘲笑と軽蔑の対象とするものだ。女性に対する抑圧のないクィア文化やクィア政治は想像できない。

 1994年に私は、クィア政治の発展に対する怒りと絶望から一本のジャーナル記事を書いた。クィア政治は、レズビアン・フェミニストがつくり出した理論と文化を破壊することを企図したものに思えたからだ。その記事は、「レズビアンの奇妙な(クィアな)消失」と題されている。その中で私は、レズビアン・フェミニストはゲイ男性の政治に同化することを拒否すると書いた。私たちが拒否したのは、レズビアンがゲイ男性に関連していると見なされること、しかもゲイ男性より興味深くもなければ冒険的でもない存在と見なされることだった。
 ゲイ男性歴史家のジェフリーズ・ウィークスは、19世紀末のレズビアン文化を「男の劣化版」と表現した。しかし私たちは自分たちを男の劣化版とは考えていなかったし、それがどんな種類の男性であれ同じことだった。
 私は「レズビアンの解放には……女性に対する男性の権力を破壊することが必要だ」と述べた。私たちは、クィア政治が体現するようになったいっさいに挑戦した。レズビアン・フェミニストは1970年代初頭にゲイ男性の政治から分離した。私たちには、女性を愛すること、女性のための場所を作ること、女性の自由を求めるキャンペーンを行うことに焦点を当てた、独自の組織、ディスコ、劇場があった。私たちは、レズビアン理論家のジュリア・ペネロペがレズビアン・パースペクティブ(レズビアンの視点)と呼んだ、男性の世界観に対する深い批判を展開した。
 私たちは、女性とレズビアンにふさわしい世界をつくり出すことに基づいた、独自の倫理と哲学を持っていた。

 マリリン・フライの『現実的なものの政治学(The Politics of Reality)』と私の『クィア政治を解体する(Unpacking Queer Politics)』で明らかなように、レズビアン・フェミニストは、ゲイ男性の政治とゲイ男性の野心に対する深い批判を展開した。レズビアン・フェミニストがゲイ男性政治を批判したのは、一連の非常に重要な根拠に基づいてのことだ。
 ゲイ男性は、女性ではなく他の男性を性的対象にしているとはいえ、異性愛男性のセクシュアリティと非常によく似たセクシュアリティを持っていると私たちは考えた。男性のセクシュアリティは、男性による支配という権力関係から構築されたものであり、性的支配階級のセクシュアリティである。それは、女性を性的に従属させることを通じた「男の絆」から形成されており、男たちが持つ「男の性的権利(male sex right)」、すなわち女性と子供への性的アクセスの権利から形成されていると私たちは主張した。それはペニスと挿入を中心にしており、サドマゾヒズム(SM)というエロティック化された権力格差によって形成され、性産業による女性の売買春とポルノ化によって力を得ている。

 さて、ゲイ男性のセクシュアリティの基礎にあるのも、実はこのモデルに他ならない。ゲイ男性は、まさに自分たちのアイデンティティを、1970年代と80年代にゲイ男性文化の中で発展した、エロティック化された権力格差の実行と大いに儲かるSM産業に結びついているとみなした。すなわち、クラブとバスハウス〔ゲイ男性の出会いの場となっていた特殊浴場〕、革製品と拷問器具、ポルノと売買春、等々。これらはすべて、権力格差のエロティック化に基づいている。ゲイ男性は、女性のように、力強い男らしさをエロティック化する傾向にあった。ほとんどのゲイのSM愛好家は「攻め」ではなく「受け」だった。

 男性のセクシュアリティのうちにクィア政治の基礎が存在することを示す良い例は、公衆トイレでのセックスを礼賛していることだ。これは、英国では「コテージング」と呼ばれ、米国では「クルージング」に含まれる行為だ。これは、学術文献、詩、小説などの中でクィア理論家たちによって賞賛されている。これはもっぱら男性的な行為であり、他人に見つかる可能性があることで男たちは性的興奮が高まる。
 また、糞や尿の臭いがする場所であえてセックスすることの貶め感に興奮するという人もいる。それらはレズビアンならまずやらない客体化の行為だ。1980年代に、何でもかんでもゲイ男性の真似をしようと躍起になっていた一部のレズビアンは、公衆トイレでセックスしようとしたが、それは一時のはやりだった。
 総じてレズビアンは、匿名の相手との性行為のために多くのパートナーを漁ることに興味がない。このような実践は歴史的に男性同性愛の大きな一部をなしていたが、レズビアンにとってはけっしてそうではなかった。
 不特定多数とのセックスを礼賛することは、クィア文化の中で継続している。2018年のある記事は、「尊厳を持ってファックする――パブリック・セックス、クィアな性的親密関係」と題されている。レズビアンは、路地や公園で見知らぬ人と性的関係を持つことに躍起になることはない。どんな種類のパブリック・セックスもけっして渇望の対象ではなかった。

 レズビアンは、政治的、性的、社会的にゲイ男性とはあまりに異なるので、総称的な用語ではまったく不十分だった。私たち自身のためのレズビアンという言葉がなければ、レズビアン・フェミニズムは不可能だったろう。自分自身を定義できない集団の解放運動を生み出すことはできない。
 ゲイ男性の政治は、レズビアンの存在を認めよというレズビアン・フェミニストの要求に応えることを余儀なくされた。その結果、レズビアンという言葉は通常、イベント、ジャーナル、会議、組織のタイトルの中にゲイという言葉と並んで入るようになった。
 1980年代には、イベントが開催されるとき、たとえば「レズビアン・ゲイ映画祭」というように、レズビアンという言葉が最初に来る形で宣伝されるようになった。LGBというフレーズでさえ、最初にレズビアンという言葉が来ている。依然として中身はレズビアン的なものはほとんどなかったのだが、言葉の上では少なくともレズビアンが考慮されていることを示唆するものとなった。

 「クィア」という用語が使われるようになったのは、1990年代初頭にエイズ運動から発展した政治を表わすためだった。 エイズの流行に伴う反ゲイ・ヘイトの波に抗議するために街頭に出た男性のゲイ活動家たちは、「クィア」という用語を用い、「ゲイ」という用語を使用した古い世代の活動家たちと自らを区別した。彼らは、新しい活動家である自分たちが直面しているとみなした厳しい状況において、古い世代はあまりにも寛容的で、対決姿勢が不十分だとみなしたのだ。

 私たちレズビアン・フェミニストは恐怖を感じた。というのも、それは明らかにレズビアンを再び抹消するものだったからだ。レズビアンはゲイ男性のもとに包摂されており、このことは、レズビアンが自分たちを表現するために特別な言葉をただちに必要とした事実から明らかだった。クィアとは男性を意味し、レズビアンはクィア女性または女性クィアということになり、修飾語なしのクィア政治の男性的性格をいくぶん修正するために形容詞が必要だった。

 クィアの意味については、1993年に創刊された新しい学術雑誌『GLQ』すなわち『Gay, Lesbian, Queer』の社説で説明されている。雑誌タイトルにある「Q」には2つの意味があった。「クオータリー(季刊)」という意味と、「手に負えない、破壊的、イライラさせる、性急、悪びれない、ビッチ的、キャンプ、クィア」という意味だ。これらの形容詞はすべてゲイ男性の伝統的文化を表わしている。
 「キャンプ」と「ドラァグ」は、女性の典型的な仕草と服装とみなされているものを模倣する振る舞いのことだ。キャンプな振る舞いというのは、1970年代までは男性同性愛者のしるしのようなものだったが、現在ではあまり一般的ではない。それは、男性が手を小さく振ったり、「手首をくねらせ」、いかにもわざとらしい感じで「あーら、ダーリン」と話したりといったことだ。甲高い声と手をくねらせる仕草は「女らしさ」に関連していた。 
 それは、ゲイ男性が過度に女性化された異性愛女性、特にジュディ・ガーランド〔ハリウッド女優で『オズの魔法使い』で人気女優として歩み始めたが、深刻な薬物依存のせいで49歳の若さで死亡〕のような悲劇的物語を持つ女性を偶像化するという悪趣味な美的スタイルになった。「キャンプ」は女らしさを大げさに真似することに基づいている。
 「ドラァグ」は、みなさんもすでに知っているように、娯楽のために、そして他の男性を興奮させるために、女らしさの非常に誇張されたバージョンとしてけばけばしく女装するゲイ男性にもとづいている。クィアの文化と理論は、女性の従属とゲイ男性によるその搾取に依拠している。

セックス戦争における起源

 クィア政治は、1980年代のいわゆるフェミニストのセックス戦争から生まれた。「セックス戦争」とは、男性の支配下でセクシュアリティが構築されるあり方(男性の権力と女性の従属のエロティック化)を変革するためにラディカル・フェミニストとレズビアン・フェミニストが展開した強力なキャンペーンと、それに対する性的リバタリアン、SM愛好者、ポルノ業者による反撃によって構成されていた。
 私が所属していたグループには、1977年に設立された「ロンドン反ポルノグループthe London anti-pornography group)」、1980年に設立された「女性に対する暴力に反対するロンドン女性(London Women Against Violence Against Women)」、1983年に設立された「ポルノに反対するレズビアン(Lesbians against Pornography)」、1984年に設立された「サドマゾヒズムに反対するレズビアン(Lesbians against Sadomasochism)」などがあるが、これらの団体は、男性の暴力と性暴力、ポルノと売買春に反対し、さらに、サドマゾヒズムと「ブッチ(男役)/フェム(女役)」のロールプレイングの両方におけるレズビアン内の権力格差のエロティック化に反対するキャンペーンを展開した。

 私のようなレズビアン・フェミニストは、クィア政治の到来に恐怖を感じたが、私たちの敵である、支配と服従のセックスを推進していた性的リバタリアン派のレズビアンは喜んでいた。
 彼女らはその種のセックスに基づいたクィア政治に夢中になっていた。
 彼女たちはリバタリアンのゲイ男性アライに忠誠を誓えることを喜んでいた。
 彼女たちはレズビアン・フェミニストがセックスの男性モデルに対してあまりにも非妥協的に抵抗していると依然として非難していたが、今では新しい武器を手にしていた。
 こうして新しいクィア時代が始まり、退屈で反セックスで男嫌いのレズビアンたち(クィア派の意見によればレズビアニズムの評判を落とすことに寄与した)から、できるだけきっぱりと分離することを正当化した。これらのレズビアンたちは、クィア内の独立した存在としてのレズビアン政治を速やかに一掃し、急速に拡大しつつあったレインボー・アライアンスを推進した。

クィア理論

 クィア政治は、1970年代と80年代のフェミニズムとレズビアン・フェミニズムが覆そうとした男性支配下の性的自由という目標を擁護した。クィア理論は、クィア政治とその運動に伴って発展していき、この目標を支えるようなセックス観をつくり出した。それは、ポストモダン理論、フーコー主義、そしてゲイル・ルービンの作品から生まれた。クィア理論とクィア政治は最初から、サドマゾヒズム、ペドフィリア(小児性愛)、トランスジェンダリズムなど、フェミニストの批判家たちが最も問題があるとみなしたゲイ男性の性的実践を取り入れ、推進した。
 クィア理論とクィア政治は、アメリカのSM愛好者であるゲイル・ルービン(レズビアン、人類学者、サドマゾヒズムの支持者、そしてセクシュアリティの理論家)の研究を含んでいた。ルービンは1984年の非常に影響力ある論文で、性的倒錯が法律の制裁や宗教と医学の偏見から解放される歴史的な瞬間が到来したと主張した。
 これらの実践には、「フェティシズム、サディズム、マゾヒズム、トランスセクシュアリティ、トランスヴェスタイト、露出症、盗撮、ペドフィリア」が含まれていると彼女は述べた。これらの行為を行なうのは(すべてではないにせよ)圧倒的に男性であり、そして女性と子どもには有害だった。

 ルービンの思想は、クィア理論のもう一つの大きなインスピレーション源であるフランスのゲイのSM愛好家ミシェル・フーコーの著作から生まれた。ルービンとフーコーはどちらも、成人男性による子どもの性的使用を推進した。公開された対話の一つで、フーコーは、13歳の女児に対する薬物使用とレイプで起訴されたロマン・ポランスキーについて他の参加者と語り合っている。
 フーコーは「彼女は同意した当事者だったようだ」と自信ありげに述べている。
「10歳で大人に身を任せる子供たちだっているでしょ。同意して喜んでいる子どもたちもいるよね」。
 彼は1970年代後半に、子どもを性的に使用した男たちを起訴から保護するためのキャンペーンを行なったフランス知識人の大集団の1人だった。これらの連中こそクィア政治の先駆者である。彼らは、ゲイ男性によるあらゆる形態の問題ある行為――売買春、ポルノグラフィ、ペドフィリア、トランスジェンダリズムなど、女性の抑圧から形成され女性と子どもにきわめて有害な諸実践――の保護と推進にまい進したのである。

 クィア理論は、その名が示すように、自らを挑発的で、古臭い道徳から男性の性的異端者たちを守るものとみなした。クィア政治は、性的な境界侵犯(transgression)は革命的であるとの考えに基づいている。
 これは、ゲイ男性の投獄をもたらした古臭い性的慣習を侵犯することを意味したが、同時に、ルービンとフーコーが擁護したすべての反逆者と革命家が含まれていた。
 クィア政治はアウトサイダーであることを賛美している。だがこれはレズビアンには役立たなかった。なぜならレズビアンは、女性として、逸脱した性的実践のためのキャンペーンなんかよりも、はるかに多くのなすべきことがあったからである。
 たとえば、レズビアンは1980年代と90年代に、自分の子どもの親権を主張するのに苦労していた。レズビアニズムは倒錯だとみなされたため、男性パートナーに自動的に親権が与えられていたからだ。女性の基本的諸権利のための私たちのキャンペーンは、クィア理論やクィア政治に適合しなかった。
 1991年頃、ロンドンで発せられた非常に初期の「クィアパワー宣言」はこのような対立をはっきりと示している。
 「クィアとはジェンダーと戯れることを意味する。私たちのこの冷淡な国のすべてのストリートには、ストレート・クィア、バイ・クィア、トランス・クィア、レズ・クィア、ファグ〔ホモ〕・クィア、SMクィア、フィスティング・クィアがいる」。
 「フィスティング」とは男性ゲイのSMでポピュラーな行為であり、男性は不幸なパートナーの肛門に拳と前腕を挿入する。それは、深刻な感染症につながる裂傷をもたらすリスクがあった〔実際、フーコーは自分がHIVに感染してからも、この行為を好んで行ない、感染を広げた〕。
 私自身を含むレズビアン・フェミニストは、そのような「宣言」が法廷に持ち込まれた場合、親権を求めるレズビアンの母親にとって間違いなく不利になるだろうと考えた。私たちは自分たちを革命的な性行為に従事する永遠のアウトサイダーなどとはみなしていなかった。むしろ私たちは自分たちを、男性支配から解放されたすべての女性のモデルであると考えた。
 私たちが望んでいたこと、そして期待していたことは、すべての女性がレズビアンになることを可能にすることだった。私たちは、すべての女性はレズビアンになりうると宣言し、そう訴えた。私たちは逸脱者ではなく先駆者だった。クィアはこのことを内包する用語ではない。

ジェンダーの復権

 現在、「ジェンダー・アイデンティティ」の政治に抵抗している私たちのようなフェミニストの観点から見て、クィア政治の最も問題ある部分は、クィア政治とクィア理論が性のステレオタイプに、すなわち「ジェンダー」に基づいていることだった。フェミニスト理論におけるジェンダーとは、誰が支配的な性階級のメンバーであり、誰が従属的な性階級のメンバーであるかを表示するのに必要な分類システムである。
 このシステムはセクシュアル化されていて、性的興奮を掻き立てると広く理解されているもの、すなわち、ジェンダー化された性役割を通じた支配と従属のエロティック化をつくり出す。それは日常的サドマゾヒズムの一形態である。
 それは、女性への抑圧を生み出し維持する性役割と性的ステレオタイプによって構成されている。フェミニストはジェンダーを廃絶しようとする。
 ところがクィア理論では、「ジェンダー」は個人的な表現ないしパフォーマンスの一形態に還元され、男性支配の物質的な権力構造を雲散霧消させる。このクィア的解釈では、ジェンダーは、一方の生物学的性別に属する人が他方の性別に通常期待されているようなジェンダー的特徴を誇示した場合、「境界侵犯的(transgressive)」だとみなされる。
 しかし、その場合、ジェンダーから抜け出すことはまったくできていない。
 それは交換されただけであり、廃絶されたのではない。この点で、クィア理論は1990年代の社会的に保守的な時代に適していた。この時期、社会変革の思想は忘れ去られ、既存システムに沿って戯れることが楽しくかつ反逆的なのだと再ラベル化されたのである。
 ここで私が主張したいのは、ジェンダーに関するクィア理論とは、けっして進歩的なものではなく、男にこびを売り、男性支配といちゃつき、そのゆがみを再生産するものだということだ。それは、より進歩的な諸運動たるゲイ解放運動とレズビアン・フェミニズムが破壊しようとしたまさにあの古い異性愛的家父長制の諸形態の中に、レズビアンとゲイ男性を再び閉じ込めようとする。

 クィア理論は、ジェンダーは社会的に構築されているという考えを受け入れたが、ジェンダーを根絶するのではなくそれをいじくり回すリベラルなアプローチを取った。このようにジェンダーをレズビアンにとってもよいことで必要でさえあるとして復権させることは、ジュディス・バトラーのようなクィア理論の著名人の考えを使って正当化された。
 バトラーは、ジェンダーが社会的構築物である(これ自体は一般にフェミニスト理論の正統な考えだが)だけでなく、生物学的にある性別(sex)に属する人々が、他の性別に属する人々に通常結びついた「ジェンダー」的諸実践を「遂行(perform)」することで、境界侵犯的な仕方で行動することになるのだと主張した(『ジェンダー・トラブル』、1990年)。このような「パフォーマンス」は、ジェンダーが社会的構築物であることを実地に示すことになり、したがって、男性支配が依拠している「セックス/ジェンダー・システム」に攪乱的効果を与えることができるのだと主張した。

 クィア理論とクィア政治は、性的興奮を目的としてジェンダーの救出ミッションをつくり出した。男性支配下におけるほとんどの女性と男性にとって、性的欲望はまさに両性間の権力格差をエロティックにすることから構築されている。平等はセクシーではなく、ジェンダーの解体という考えそのものが萎えさせる。それに対してジェンダーはセックスに一種の活性剤(pzazz)を注入するのだと彼らは言う。
 ジュディス・バトラーは、性的欲望はジェンダー格差から構築されており、自分にとってもそうだと説明する。2000年のあるインタビューの中で、彼女は20代前半に「ブッチ〔レズビアンの男役〕側に『自分自身』を位置づけ」、「おそらくほぼ20年間、ブッチ/フェム言説とS/Mの言説の両方と活発で複雑な関係を持っていた」と述べている。
 『Undoing Gender』(2004年)で、彼女は「女性を愛する女性の中には」、「女性というカテゴリーを通じてはそうすることができない人もいる」と説明し、「彼ら/私たち」は「女らしさに深く…惹かれている」と説明している。彼女は「どうして男らしさ(マスキュリティ)が女性の中に現われることがあるという事実から目を背けるのか」と尋ねる。
 レズビアン・フェミニストは、セックスに対する良心的拒否者としてのスタンスゆえに、退屈でセックスレスであると非難されてきた。男らしさ(マスキュリティ)なるものは、フェミニストの理解では、女性の中に「現われる」ことはありえない。なぜならそれは男性権力の振る舞いであり、女性はそのような権力を有していないからだ。
 彼女らは権力者である男性の振る舞いを真似ることはできるが、現実の権力にアクセスすることはできない。今日の堕落した反フェミニスト的クィア文化では、多くのレズビアンは自分たちのことを「ブッチ(男役)」と呼んでいるが、この用語の歴史を、そしてそれが1970年代のフェミニストたち――その多くは、それ自身、すぐれたレズビアン・フェミニスト哲学者ジュリア・ペネロペのように、まさに「ブッチ」であった――によって拒絶された理由をまったく理解していない。

 レズビアン・フェミニストが主張するように、クィア理論は、レズビアン・フェミニズムとゲイ解放運動の急進政治が非現実的であると拒絶されるようになった1990年代の保守的な時代から生じている。社会変革を想像することのできた激動の時代が過ぎ去り、それに代わって、システムそのものを変革するよりも、位置変化、つまり役割を交換することがより良い戦略であると主張する理論と政治が発展した。クィア政治は、セックスを含む生活の多くの分野の市場化と軌を一にしており、クィアな消費者が誕生した。ドラァグショーやストリップショーなど、ますます多くの性産業的諸実践がレズビアンとゲイの社会生活に組み込まれるようになった。

トランスジェンダリズムを支えるクィア理論

 クィア政治は、トランスジェンダリズムを全面的に支持したし、今もしている。いかにクィア理論が保守的なジェンダー観に基づいているかを考えるなら、これは驚くべきことではない。トランスしているレズビアンやゲイ男性は、クィア理論を用いて自分たちの実践を正当化している。
 ホリー(現在はアーロン)・デヴォーは、クィア政治が、「トランスセクシュアル・レズビアン、トランス・ファグ〔ゲイの蔑称〕とそれを愛する男たち、一緒にセックスを楽しむレズビアンとゲイ男性、そしてSMゲイ男性のファンタジーを体現するダイク〔レズビアンの蔑称〕ダディ」の出現を可能にしたと説明している。
 トランスヴェスタイト(異性装者)のスーザン・ストライカーは、トランスジェンダーが「あらゆる形態のジェンダー的反規範性の想像上の政治的同盟」という形態においてクィアと「接合」されたと説明している。これらのレズビアンやゲイ男性は、ジェンダーなしにやっていくことはできないと言っている。また別のレズビアンであり男性名を名乗るジェイムソン・グリーンは、ジェンダーは人間の相互作用の必要な基盤であるため、ジェンダーの必要性に疑問をさしはさむことはできないと言う。
 「誰もがジェンダーを使ってコミュニケーションをとる」。明らかに、このような理解の枠内では、出口はない。ジェンダーに対する良心的拒否者としてジェンダーを拒絶する私のようなレズビアンは、いかに自分たちも必然的かつ根本的にジェンダー化されているかを認識していないほら吹きとみなされている。

 ジュディス・バトラーは、最も有名で影響力のあるクィア理論家であり、その思想は何十年にもわたってセクシュアリティとジェンダー研究の正統理論でありつづけたが、彼女はトランスジェンダリズムを全面的に支持している。2015年に彼女は、トランスジェンダー手術はそれを望む人々にとって必要不可欠なものだと述べている。
「私たちは皆、自分に合った方法で生き、呼吸することを可能にする必需品を守る必要がある。外科的介入は、まさにトランスジェンダーの人が必要とするものでありうる……。人は自分のジェンダー化された生活のコースを自由に決定することができるべきだ」。
 彼女は、トランスジェンダリズムに対する私のフェミニスト的批判を嫌悪し、私についてこう言っている――「彼女は自分を審判者の地位に任命し、トランスの生活とトランスの選択をいわばフェミニスト的に取り締まっている。私はこの種の規範主義に反対する。それは一種のフェミニスト的専制を熱望しているように思える」。
 つまり、私はフェミニストの専制君主のような存在だというわけだ。しかし、私は専制政治を敷くのにあまり効果的ではなかったようだ。何世代にもわたってジェンダー研究の学生たちがあたかもバイブルのごとく教えられてきたのは、私の著作ではなくバトラーの著作だからだ。

さいごに

 今日、若いレズビアンたちが入っていくクィア文化の中では、レズビアンという言葉とレズビアンであるという概念がほとんどなくなってしまっているという事態に至っている。彼女たちが遭遇する文化は完全にクィア化されていて、レズビアニズムの歴史的記憶もなくなり、その痕跡さえ追えなくなっている可能性がある。男性支配に対する抵抗の一形態としてのレズビアニズムのモデルがなくなってしまっているのだ。今日、それを復活させる必要がある。


訳:mi-yon、TB


原文  https://www.womensdeclaration.com/documents/70/SJ_talk_June_2020.pdf

※原文の置かれているウェブサイトはこちら ↓

https://www.womensdeclaration.com/en/resources/ 
Articles, Presentations & Blog postsより 
”Queer Politics - text of talk by Sheila Jeffreys at WHRC webinar 6 June 2020”



参考動画 
Video 1 

Video 2 


Video 3