a.m2:00〜a.m6:00

今日も夢を見ました。
目を覚ますと、少しのあいだ、現実がどっちかわからない時間が続きます。
そして自分の身体の大きさや感覚を思い出して、確かに息をしていて、生きていて。
隣で眠る妻を見て、ここが現実なんだと再確認して、ああよかった、そう安心して、僕の一日は始まります。

初恋の相手は、小学校六年のときに隣の席だった子です。
当時は恋心だとは知らず、ただその子と毎日顔を合わせて話すことが楽しかっただけでした。
恋心と自覚したのは、卒業して半年ほどが経ったとき。

中学で所属していたバレー部(ほとんど幽霊部員だったものの)の連中と、(久々に練習へ参加した)学校帰りに、武蔵小山の駅のホームで話していると(なぜそこでわざわざ話していたのかは、曖昧です)、電車が来て、止まって、扉が開いて、
「なんかあいつら、こっち見て笑ってるぜ」
バレー部のひとりが、そう言って指差した方向を見ると、電車の中で、同じ制服を着た数人の女の子たちが僕たちを見て笑っていました。

たしか、小学二年生の時に、転校してきた覚えがあります。
小学校は、ふたクラスだけの小さな私立で、ひと学年も合わせて八十人くらい。
だからみんながみんな顔見知りの友だち(一部やはりいじめやら色々ありましたが)のようで、二年ごとにクラス替えもあって、クラスでの交流も盛んで、一緒に授業が行われることも頻繁で、だから大体みんなお互いのことを知っている、そんな雰囲気でした。
ただ、その子だけはなぜか、六年生になるまで、関わったことも、話したこともなく、特に記憶という記憶はひとつだけ。二年生で、その子が転校してきて、もうひとつのクラスの方に入り、「すごく明るくてやんちゃな女の子がきた」と話題になっているのを、聞いただけ。
だから、「すごく明るくてやんちゃな子なんだ」。ずっと、そんな印象だけを感じたまま、話すこともなく、三年四年も同じクラスにならず、五年生で同じクラスになっても、なぜか関わらず、六年生の最後の席替えで、偶然、隣の席になって、ほとんど初めて、ちゃんと顔を見た。そんなぐらいの、関わり合いだったと思います。
いつからか、仲良くなったきっかけも覚えてません。ただ、いつからか気付くと打ち解けていて、ずっと話していたし、ほとんどずっと一緒にいたような記憶があります。
体育の授業も、昼休みも、課外授業や学外活動なども、だいたい一緒にいて、遊んで、授業中も、こそこそ話して怒られていたり。僕がインフルエンザになって倒れかけたときは、保健委員でもないのに、保健室まで付き添ってくれたのも、覚えています。
一度だけ、泣かせてしまったのも覚えています。その子がレインコートを着て学校に来て、その姿が、たぶん、気になった(単にかわいかったのかもしれません)けれど、異性という意識が邪魔をしたのか、無意識だったからか、小学生らしい複雑さと、単純さで、レインコートを着ていることを揶揄したことがありました。
「傘じゃなくって、レインコートなんて!」
どういう理屈かはよくわからないですが、そのときの僕は、なんだか傘じゃなくてレインコートを着るなんて、ちょっと子どもっぽいよ、みたいなことを言いたかったのかもしれませんね。それで泣かせてしまいました。厳密には、泣いていたのかは、定かではないです。その日は大雨で、レインコートを着ていても、その子の髪や顔は濡れていて、その表情だけは、はっきりと覚えています。

ほとんどを笑って過ごしていました。
とても、気が合ったのかもしれません。
ただそのときのお互いの波長が合っていただけかもしれません。その子も僕も、中学校受験をしなければならない。でもふたりとも勉強が嫌なのは明確で、だから授業中だってふざけていたし、昼休みも、勉強なんてしないで当然のように遊んで、放課後も塾の時間まで一緒に過ごして。その子もその子で、ストレスやプレッシャーが辛かったのだと思います。僕も、その子の明るさとやんちゃな性格に、支えられていたのだと、思います。

最後に話したのは、卒業式の日です。
当時は携帯電話が普及し出したあたりだったか。小学生でも割と裕福な家庭の子が多い学校だったので、みんな当然のように、子どもでも、個人の携帯電話を持ってました。
その子も持っていて、僕も持っていました。
ただ、学校に持ってくることは禁止。元々は(たしか)持ってきてもよかったものの、同級生の数人の男子が、学内でアダルトなサイトを閲覧し、多額の請求が親元に来たという事案が発生してしまい、携帯電話は禁止となりました。
今思えば、ませた子どもたちです。
近年なら、小学生でもそういうものに触れるのも当然。そんな気がします。ただ二十年ほど前の、まだ小四のくせに、そんなものを見て、楽しむだなんて、なかなかだと思います。

男子たちは男子同士で、様々な刺激や影響を与え合っていました。人間はストレスを抱えすぎると、意味のないくだらない下ネタを口にしてしまうと言います。男子たちは大声で、性的な言葉を叫ぶ奴ばかりでした。僕も然りです。
言えよ、言えよ。言っちゃダメ、言っちゃダメ。そんな風潮が蔓延していて、なんだか、「叫ばなければ!」。そんな感覚だったと思います。叫んでいるのは、受験組の連中がほとんどでした。
半分は、受験で別の私立に行く。半分は、付属の男子校か、付属の女子校へと推薦で進む。だからほとんどみんな別々の道を歩む運命にいました。六年間ほとんどをともに過ごした共同体のような八十人は、必ずや別れて、違う場所で暮らしていかなきゃならない。小学校は、嫌なことや事件もあったものの、でも、みんながみんな、それなりに仲良く楽しく、過ごしていて、でも、それはもうすぐ終わってしまう。
男たちは叫びました。叫びは学年が上がるごとに増え、六年の終わり、受験が近づくにつれて、大きく、強くなっていったように感じます。推薦組の連中も、叫んでいるやつはいました。僕も叫びました。
隣で下ネタを突然叫ぶ僕を見て、どう感じていたのでしょう。

卒業式の日、その日だけは、携帯電話を持って来てもいい。そんなルールがありました。
少し前に、卒業旅行として行ったスキー合宿。八十人でバスに乗り、長野かどこかまで行って、三日間スキーをする。スキーの熟練度次第で、班分けされて滑るのですが、スキーなんて初めてだった僕は、割と下の方に分けられたはずです。家族で毎年のようにスキー旅行へ行っていたり、スキーに慣れていたり、スキーが得意な連中は、上の班になってじゃんじゃん滑っている。僕はたまに滑って、ほとんど雪合戦して遊んでいました。
その子も割と下の班に入ったらしく、だから結局、別の班なのに、自分たちの班行動からは離れて、ふたりで雪まみれになって遊んでいました。スキー合宿の記憶も、ほとんどその子と遊んでいたことだけです。
お互いのスキーウェアの背中に雪を詰め合う遊びをしていたのを覚えています。なにが面白いのか。ただ、ひたすら笑ってはしゃいで、背中がぱんぱんになるまで雪を詰めていました。お互いを転ばせては、顔に雪をかけ合って、走って逃げては雪を投げ合う。みんなは真剣にスキーをしているのに、僕らだけ、そんな遊びを三日間していたのです。そのときの、真っ白な雪と、白い頬がほんのりと赤くなった笑顔が、印象的です。
僕は後日、風邪をひきました。その子もたしか、風邪をひいたと話していたような気がします。ふたりとも、スキー合宿が明けて、久々の登校日に顔を合わせて、そんな話をして笑っていたような記憶があります。

スキー合宿でも、携帯電話は持っていってもよかったはずです。
なのに、そんな遊びにのめり込んで、そのときの、その瞬間しか、生きていなかったんだと思います。
そのときしか、そのときがないから。
もうすぐ終わることも、離れ離れになることも。わかっていたから、そのときをめいいっぱい、生きていたのだと思います。
卒業式の日、僕は携帯電話を忘れてしまいました。
みんな、連絡先を交換し合っているのに、僕だけ、連絡先を交換できずにいて。
でも、紙に書いてアドレスや番号を教えてくれる友だちもいたのです。「あとで連絡するね」僕はそれを受け取って、そんなことを言ってました。
なのに、なんで。なんでだか。僕はその子に、自分のアドレスやら番号を、紙に書いて渡せばよかったし、逆に、その子にそうしてもらえばよかったし。たとえば、友だち経由で、連絡するように約束するのも、よかったのかもしれません。
でも、お互いにそんな話にはならなくて、その子が、紙に何かを書いて渡してくれることもなくて、そもそも、そんなことを思いつかなかったのか。それとも。
ただ、卒業式の日も、もちろんのようになにか話していました。
そして、最後にその子が言ってくれた言葉を覚えています。
「また会おうね、ぜったい」

電車が閉まりかけるとき、その言葉を思い出しました。
真っ白な雪と、その中にある、赤くなった笑顔。
「どうしたんだよ!」
バレー部の連中の声が後ろからして、目の前の扉が閉まって。
「駆け込み乗車はおやめください」
目黒線の、ホームドア。またひとつ、目の前を遮って。
あの笑顔が、動き出す。何度も、何度も見た笑顔が。ずっとそばにいた笑顔が、動いて、走り出して。僕も、走って、追いかけて。
でも、その笑顔は、遠くに、見えないところまで、遠くに。

それから一年後、僕は部屋に引きこもって、毎日を過ごしていて。
卒業アルバムを開くと、その笑顔があって。
叫んでも、叫んだところで、届くはずもないし。なんて叫べばいいのかも、わからないし。
だからただ、毎日を黙って部屋で過ごすだけ。
思い出す。その子の話していたことを。なのに思い出せるのは、濡れた表情と、いつものあの笑顔と。なんでか話したことのほとんどは忘れていて、ともに過ごした日々も、忘れていて。
そんななかで、どこに住んでいるか。どの学校に行ったのか。なんとなく思い出して、でも、だからって、そんな情報じゃ、なんともできない。

卒業して、少ししたときの同窓会。
僕は遅刻して行って、ボウリング場で、みんながDSやらPSPでゲームをしていたり、携帯で遊んでいたり。僕も僕で、新しい生活に、色々と新しくなった感覚に。だから、その子がいたのかも、いなかったのかも、覚えていなくて。ただ、中学で流行っていたゲーム、そのゲームをしているという奴と、別に格段仲が良かったというわけでもないそいつと、一時間くらいゲームして、さっさと帰ってしまって。
そんなことを、後悔しても、天井も壁も、明日も変わることはなく。
そして思い出したように、紙を渡してくれた奴に、連絡して、お願いして。そしてまた他のやつに連絡して、お願いして。そうして、やっと、たどり着いたのは、僕と同じ中学に進んだひとりの男子。
そいつは学校生活にも馴染んで、成績も優秀で、順風満帆に暮らしていて。
一方、僕は。
「なにしてんの? 学校休んで」。
そんな連絡も、なんだか、馬鹿にされてるみたく感じて。でも、悔しいけれど、そいつにお願いしたら、やっと、知ることのできたアドレス。
「久しぶり。元気? 教えてもらって、メールしたんだ」
一日中、返信を待ち続けていたら、やっと帰ってきた文面は、やっぱり、相変わらず、明るくて、やんちゃで、懐かしくて。

僕は、僕は。ずっとこらえていた。なんて言えばいいかわからなかった、そんな言葉をぜんぶ、一言で言えるのは、付き合ってほしい。そんな言葉。そんな言葉だけで。
「ごめんね、いまは、彼氏とか欲しくないかな」
「そうなんだ、ごめんね、急に。ありがとう。なんかあったら、相談に乗るよ。またいつでも連絡してね」
僕のできる精一杯の強がりでした。

「お前、告ったの?」
その子のアドレスを教えてくれた、同じ中学の奴から連絡が来たのは、次の日の夕方。
「なんで知ってんの?」
「聞いたから」
「誰から?」
「だから、あいつから」
「なんで?」
「付き合ってるから」
「嘘つくなよ」
「ウソじゃないから」
「嘘だろ」
「こないだの同窓会。お前、来なかったじゃん。来れるわけないよな、学校も来てないんだし。そこで会って、付き合ってたわ」
「嘘だ」
「とりあえずもう、二度とあいつに連絡すんなよ」

深夜の一時か二時。必ず目が覚めます。
目が覚めて、もう起きてもいいかな。起きてなにかしようかな。そんなことをいつも考えます。
考えるけれど、でも、このまま起きていたら、必ずガタが来る。たぶん睡眠薬の効果が切れただけ。まだ寝れるのなら、寝た方がいい、はず。
そうしてベッドに横になると、二時から、アラームの鳴る朝六時まで。いつも見る朧げで鮮明な夢があります。

父の夢。母の夢。死んだ祖母の夢。
実家の猫の夢。昔飼ってた犬の夢。家族の夢。
サメの夢。ゾンビの夢。殺される夢。
スパイダーマンの夢。宇宙人の夢。数学の夢。
サッカーの夢。お笑いと芸人の夢。目黒線の夢。
雨の日の夢。大切に想っていた人の夢。
スキーの夢。雪の夢。
笑顔の夢。
初恋の人の夢。

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