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嫌いな人を好きになること

最初の段階で、この人嫌いだと思うことがある。
年齢を重ねるにつれて、嫌いと決めつけることは少なくなったけど、それでも合わない人はいるし、なぜか距離を起きたくなる人もいる。

嫌いな人は嫌い、距離をおいた方がいい人もいるかもしれないという前提のもとで、僕が長く付き合っている人たちは最初嫌いだと思った人たちが意外と多いことに気づいた。

そして、大体は何かしらのきっかけがあって、自分の嫌いという感情が一気に好きに変わっている(単純なんだと思う)。

距離をおけない状況でこの人に嫌われてもいいという前提のもと、自分の思っていることを素直にぶつけて、それで言い合いになったりして、この人は自分とは別の人間なんだということに気づいてから、新しい関係性がスタートする。

こうして出会った人たちは、自分のいい面も嫌な面も知ってくれているし、その上でこの関係性があると思うと安心感がある。

もちろん、ぶつかる過程で離れていく人もいるし、今はぶつかることが関係構築の最善の方法だとは思わない。

それでも、ぶつかってくれる人に出会うと、嫌な面も含めて腹の中を全部さらけ出して、辛い時間も含めて一緒にいる時間を素直に過ごせていることに感謝と親しみを感じる。

同様に、愛を持って怒ってくれたり叱ってくれる人は、心の労力を費やしながら、人によっては痛みを感じながら、向き合ってくれていることは単純に嬉しい。

年齢関係なく、ある人に対して嫌と思う感情が自分の中で湧いて、その嫌と思う行動が相手の素直さや愛、純粋さから生じている時、僕はその人を好きになるのかもしれない。


日記 03/13/2020

僕の通っている大学院は桜の名所で、4月になると多くの人が花見に来る。

それを横目で見ながら、のんびり一人で花見をするのが好きなんだけど、今年は4月から沖縄で仕事なので、その光景を見れないと思うと寂しいし、卒業を実感する。

コロナの影響で卒業式も中止になったし、人も少ないけども、桜は変わらず春の準備をしていて、蕾をつけていたり早咲きしてしまった花も少しある。

二択で迷って最後の最後で、校内の雰囲気が好きっていう理由で今の大学院に決めたのだけど、その選択は間違ってなかったと散歩するたびに思う。

やっていることも大事だけど、どんな環境で生きるかは妥協したくないと感じた。

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