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与えられたギフトと共に天命を生きる

 「ギフト」について半年以上考えてきて、何度か言葉にしようとして、最近やっとこれなのかなっていうのが分かってきた。

 ギフトについて考え始めたのは、スペシャルな人たちは、それぞれが自分に与えられたギフトを自覚し、誠実にそのギフトを活かそうとしていることに実感を持って気づかされたからだ。

 ギフトについて定義するのは難しいけど、自分が自然とできることや、そのことに触れることで心が満たされる何かなのだろうと思う。生まれつきの才能や関心をまとめたものなのかなと思っている。個人的には、ギフト=賜物という表現がしっくりくる。

 ギフトは、自覚しているかどうかにかかわらず、それを活かすこと自体が人生からの恵みであり天命を生きることに繋がるものだと思う。

 例えば、歌をギフトとして与えられている人もいるだろうし、絵を描くこと、人前で話すことなど、それをやっている間は時間を忘れ、損得を忘れ、熱中できるものがその人のギフトだ。

 僕が参加しているコミュニティは、コロナの影響もあって、世界各地から、学者や、経営者、弁護士、コンサルタント、エンジニアなど様々な道の方が参加している。そして、そういう方々の多くは情熱を持って自分のギフトと向き合い、活かしている。

 ギフトを活かしている人たちと過ごす中で感じるのは、自分のギフトはなんだろうかという焦りと希望が混じった何かだ。

 このコミュニティのリーダーは、何度か文章にしているのだけど、その中でも飛び切り成功した人で、僕の一番のメンターでもある。

 その方が、いつも語りかけてくれるのは、あなたの"motivated ability"を見つけなさいということだ。それは、そのことに触れているだけで、自分が満たされ、何時間でも没頭できること。そしてそれは、自分より大きな存在から与えられたギフトだ。

 ただ、関心があり好きだというものと、motivated abilityとは明らかに違う。そこそこ好きくらいなら、そこそこの成功しかないし、そんな人はたくさんいる。

 それをやるだけで自分が満たされること、お金を払ってでもやりたいこと、それに全てをかける。そうすることで想像できない成功が与えられ、あなたの成功を通じて多くの人が影響を受けると伝えてくれた。

 言葉だけ聞くとそうなんだろうと思う。しかし。実践するとなると、一番重要なこと以外は選ばないということで大きな痛みを伴うと感じる。

 僕は、Webエンジニアとしてキャリアを歩み始めている。しかし、エンジニアとしてのギフトとはなんだろうか。

 それが気になり、尊敬するエンジニアの方にギフトについて聞いてみた。その方は、プログラミングに向き合っている時は満たされる感覚があると言っていた。

 プログラミングの哲学的なところや、神様が物理的、生化学的な基礎的概念を組み合わせて、単純な要素から複雑な生命を作ったのと似たような設計を心がけることですごく満たされると伝えてくれた。子が親を真似て何かを作るようなことと似た喜びが湧いてくると。

 僕はその言葉にギフトを感じた。

 僕は、ギフトを受け取っているだろうか。まだまだ駆け出しのエンジニアで、まともなcodeすら全然書けない。今そのレベルにいないからと言って、そのギフトがないとは言い切れないのだけど、誠実にギフトに向き合っていきたい。

 一方で、既に気づきかけているギフトとして、人と向き合う時に、相手の言葉にしていない想いや希望、葛藤などを感じとることに自分のギフトを見出している。尊敬している大人の方や友人にもそういった言葉をもらうことももあった。

 何が自分にとってのギフトで何がそうではないのかはまだわからないのだけど、試練や課題があるたびにそれが明らかになることが多い。なので、時が来るのを楽しみにしながら、目の前のことに全力で向き合いたい。

 与えられた環境で、与えられたギフトを活かし天命を生きる。

 なんでも無い文章だけど、常に考え続けたいこととして。

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