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鞄に推しの本を忍ばせて聖地を巡・・・

 鞄に推し(谷崎潤一郎)本(『文章読本』)を忍ばせて聖地を巡礼してきました。
 
 ふりかえれば、これまで『細雪』の舞台である兵庫県芦屋市に、『吉野葛』の舞台となった奈良県吉野町に、そして、晩年を過ごした熱海市西山町に、墓所のある京都市の鹿ケ谷の法然院へと気が向くまま訪ねてきました。

兵庫県芦屋市にある谷崎潤一郎記念館

 一昨日は日本橋人形町で、ここは谷崎の生誕の地です。昨年、行政書士事務所を開業してからは、なんの謂れはないものの、こころの中では、この巡礼を事務所の発展を祈念してのものと位置付けています。
 
 谷崎は、生涯をかけて文章表現の工夫に挑み続けた作家です。他愛もない話、そんな谷崎を心の拠り所に彼のゆかりの土地を巡礼することは、高い作文技術が求められる行政書士として大成すべく、自分を鼓舞するにはうってつけと思えたからです。
 
 どんな理由であれ、自分なりの拠り所となるものがあるとはいいものですね。人生の楽しみであり活力の源泉となります。

日本橋人形町にある谷崎潤一郎生誕の地のプレート

 ところで、一般にはなかなかイメージしにくい行政書士という職業ですが、行政書士会連合会のHPには、次のように解説されています。
 
 「行政書士は、行政書士法に基づく国家資格者で、他人の依頼を受け報酬を得て、官公署に提出する許認可等の申請書類の作成並びに提出手続代理、遺言書等の権利義務、事実証明及び契約書の作成、行政不服申立て手続代理等を行います」(一部抜粋)
 
 行政書士とは、その昔、代書屋と呼ばれた職業で、主に行政機関などへの提出書類を扱う、いわゆる行政手続の専門家です。よく混同される士業に司法書士というものがありますが、こちらも書士(代書屋)ではあるものの扱う書類の範疇が司法関連の書類となっていて、両者の業務の領域は明確に区分されています。
 
 代書屋という云い回しは、ともすると卑下した感じに聴こえなくもありませんが、わたしはとても気に入っています。識字率が高いと云われる日本で代書屋もないだろうとの見方もありましょうが、複雑な行政手続きを紐解き、申請を支援して差し上げ、その間の申請書類や事実証明書類等を適切・効果的に作成(代書)するところにわたしは専門性を感じています。
 
 たとえば、「知的資産経営報告書」の作成では、事実を踏まえつつ、ステークホルダーに企業活動をより魅力的に伝える必要があります。また、在留資格の取得や帰化の申請では、行政における裁量権との兼ね合いから、強く心情を訴える理由書を作成する必要があります。

 こうした文書作成行政書士の腕の振るいどころ、お客様から話を伺い、事実を説得力ある文章に仕立て上げることには職人技の様相があります。

京都法然院にある谷崎夫妻の墓

 さて、谷崎『文章読本』ですが、文章論の立て付けながら、日本語論として、また、日本人論として味わうことができます。そのため、同書は、読む人の時々の置かれた状況や立場により響いてくる箇所もさまざまで、今のわたしにとってのそれは、日本語の特質である音楽的効果と視覚的効果の大切さが述べられているところです。
 
 氏によれば、音楽的効果とは「調子」のこと視覚的効果とは「字面」のことを指します。
 
 象形文字を使用するわたしたちにとって「字面」が大切なことは容易に理解出来るところですが、「調子」を整えるため「文章を綴る場合に、まずその文句を実際に声に出して暗誦し、それがすらすらと云えるかどうかを試してみることが必要」との主張には大きく肯かされます。
 
 その「調子」については、一章が割かれています。
 
 谷崎によれば、「調子」とは、「文章道において、最も人に教え難いもの、その人の天性に依るところの多いもの」であり、氏はこれを、その人の精神の流動であって、血管のリズムだと云います。つまり「調子」は、訓練だけで極まるものではなく、才能や生き様までもが反映されるものだから人の数だけ存在し、個性がいかんなく発揮されるものと捉えていいでしょう。
 
 谷崎は、そうした「調子」を、おおまかに「流麗な調子」「簡潔な調子」「冷静な調子」の3つに、これに補足的に「飄逸な調子」「ゴツゴツした調子」の2つを加えて全部で5つに分類しています。
 
 わたしは、日本文を代表する「流麗な調子」に魅かれますが、行政書士という職業柄、やはり仕事では「簡潔な調子」「冷静な調子」を心がけるべきと考えています。
 
 その「簡潔な調子」について、 谷崎は、志賀直哉『城の崎にて』の一説を手本に、「氏の文章における最も異常な点を申しますと、それを刷ってある活字面が実に鮮やかに見えることであります」と賛嘆し、これは志賀の「言葉の選び方、文字の嵌め込み方に慎重な注意が払われていて、一字も疎かに措かれていない結果」だと述べます。
 
 なるほど、改めて志賀の文庫を拾い読むと大きく頷けます。「真実」を強く訴える場合には、動かせない一語を考え抜き、あたかもパズルのピースを嵌め込むように文字に落とし込むといった姿勢が肝要でしょう。
 
 一方の「冷静な調子」とは、「混雑を去り、音響を去って、秩序正しく、彫刻の石像のように寂然と描き出される」ような「調子」を云い、谷崎は、それを学ぶには森鴎外『阿部一族』『高瀬舟』などの再三再読を進めます。丸谷才一が云うように、文章修行は「名文を読め」に尽きるということでしょうか。
 
 いずれにせよ、「事実」を正確に書く場合には、冷静な調子でもって、余計な形容詞や持って回った表現は厳に慎み、簡易・明快を心掛けるべきということでしょう。
 
 行政書士には、事実を正確に書くだけでなく、時に、真実を強く訴えることが求められ場合があります。言葉を使う生業(なりわい)であることを常に意識して、谷崎の言葉を噛みしめながら、よき文章を書くことに気を配っていこうと思います。
 
《参考文献》 谷崎潤一郎著『陰翳礼讃・文章読本』(新潮文庫)/丸谷才一著『文章読本』(中公文庫)

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