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映画 『正欲』 、 こりゃとんでもない

失礼ながら、原作を存じ上げてはいない状態で映画の広告を見た。
正欲 _ タイトルがあまりにもセンスが良いなという直感、
      そして新垣結衣と磯村勇斗の相性に惹かれた
      新垣結衣のシリアスめの演技に興味があった
 総じてハイハイ、こうゆうの好きです、見よ、この思考だった。

正直、生きる上で正しく生きたい。 の解釈として
・自分らしく生きる正しさ
・マジョリティーへの向き合い方
この2点を複数人視点で描き、葛藤メインとし向き合い方を結末とした作品かと鷹を括っていた。

圧巻の細部表現

この映画を語る上でセクシャリティという概念は触れざるを得ない
性別を取り巻く表現として認識していたが、この映画を通じて
”好奇心”が根源となる衝動的感覚ではないかと思うようになった。

そう感じ取れるほど、登場人物それぞれの矛先は違えど
感情の昂りや相反して安心に繋がるほどの衝動欲求、それを通じて
表情・涙の表現が変わる様子が濃く表現されていたように感じる。

演技としても題材となる水の扱いと連動させられる魅せ方がとても面白かった。そして普通に映像としてとても綺麗だった。
不穏な少し怖くなるような感覚になる程、没入感のある映像を味わったのは何だか久々な気がした。
視覚・聴覚きちんと弄られているそんな感覚
水の演出の幅が自分の意識を遥か超えた。
これはなんて表現したら良いのか分からないが、この分からないという感覚こそ自他故の欲求への理解の差に繋がるのかもしれない。
面白いと思えた、この感想こそ大事にしていきたい。

そして言葉を発してまで”死を望む”シーンが一度だけだったのが凄くリアルだった。死にたくなる時ってきっとこんな感じなんだろう、ふっと死にたくなっちゃうんだろうと思う。
何度か思ったことがある、思っただけだけど。
そうやって生きてきてしまっている現在である。
そんな程度のああ分かる、なんか分かっちゃうという感覚が落ち着くように心に馴染んだのは人生で触れてきた作品で初めてだった気がする。

何を考えるべきか考える謎謎

自認と集団の中での誤差、内に隠してしまう臆病さ、共感の恐怖、
普通という概念、自己尊重、自分の中の正常と異常、欲求の純度、
経験則的安心感、許されていたい欲求、自己暗示、愛する順位、
理解すること・されることの準備、快楽の基準、プラトニックの本質、
善悪の立体解釈、マイノリティ、芯
本当にいろいろなことがよぎる

映画自体も、最終的に何かが残されることはなかった
それこそ自由なのかもしれない。
どこまでが本当で本心で信じていいものなのか、
その不安がきちんと残ってしまう現実を叩きつけられた
分かっているが少し希望をどこかに宿してしまう、
それでもそんなもんでいいかとも思える。

結局生きたくもないが死にたくもない、そんな日々もいいのかもしれない。
でもきっとちゃんと自他認識ともに正しく生きていたいという欲望はずっと変わらすにあり続けている薄っぺらい人間である自分を好きでもいいのかもしれない。

生きるために必死だった道のりを”あり得ない”って簡単に片付けられたことありますか?

https://youtu.be/EiSlTwTYEBg


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