ゆらめく節目
↑こちらの記事に詳細を描いたが、私は「右アキレス腱断裂」の診断を受け、手術をし、自宅療養の日々だった。
怪我をしてから3ヶ月が経過。
車の運転が可能となり、お陰様で現場に復帰している。
小さい事業所は相変わらず人間関係も業務も落ち着かずバタバタで、早めの復帰をせがまれていたからだ。
デスクワークから開始し、今は送迎の相乗り、利用児の身の回りの簡単なお世話が行えるくらいで申し訳無いが、どうやら役には立っているようだ…。
保育と福祉の現場は医療よりも過酷で人の出入りも激しい。人材の確保しても育成されぬまま、あっという間にどこかに消えていく。
人とは誠に面倒な生き物である事も再認識し、それでも人とは興味深く愛すべきものだとも思うのだ。
3月は退職するものが4名。
理由はそれぞれ。
「こんな問題が絶えない事業所…泥舟じゃないですか」と言い捨てられた。
以前に記事にも書いた元ギャル看護師のBちゃんはまだいてくれるようだ。「lemon sodaさんが休んでた間マジ大変だったんですよ…あたしなんのために仕事してるかわかんなくなりました。」とこぼしていた。
※Bちゃんについて記事はこちら↓
退職予定者の「泥舟じゃないですか」との言葉から、私は映画の「タイタニック」で最後まで船に残り続けた人達を思い出していた。
船長、設計士、手を握りあう老夫婦、音楽を奏で続けた ヴァイオリン奏者など…
思春期だった私は、「なんで逃げないの?」とも思ったのだが、どこか心打たれた。
不器用ながらも使命を全うしている姿がカッコよかった。
私の中にもどうやら古き日本人的な遺伝子が残っているらしい。
苦しければ逃げてもいい。
頑張れそうなら逃げなくてもいい。
選ぶのは自分だから。
自分で決めた事第二の職場。
使命なんか全う出来るタチでもないが、揺らぎながらも芯は強くしてきたつもり。
「何やってんだろうなー、アホくさ」とも思う。
もちろん、私だって辞めたいとも思う。
「責任感」とかそんな大層なもんじゃなく、そういう星の元にいるのではなかろうか…。断れない、揉め事を丸く収めたがる性格が災いしている。
これからのことを考えはじめたら頭が混乱してゆらめきそうだが、そのゆらゆらとした未知の世界に魅力を感じたりする。
節分が過ぎて、間も無く三月を迎える。
さあ、また慌ただしい日々がやってくる。
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