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チャーハンと赤だしと落ちこぼれた日々と


「燃え殻」さんの「これはただの夏」に引っ張らている事が否めないのだが、ふと、ある夏の日の出来事を思い出した。

私は東北地方の田舎から、異文化の中部地方にある専門学校に進学し、初めての一人暮らしをしていた。
田舎者の私は、日々絶え間なく起きる出来事に困惑していたし、地に足が着かない生活を送る状態が続いた。体も心も疲弊していたように思う。
あの頃は若さ故、乗り切ったのだけど。

専門学校には、大卒や社会人経験者も多く、彼らは高校卒業上がり私の様な者達に比べると何事にも真面目で、必死で、熱心で、大人で優しかった。
高校上がりの同級生は華やかで頭の回転が早く、巧みな言葉達に圧倒された。

学校の雰囲気はかなり閉鎖的で、厳格で、規則正しく息苦しさがあった。

私は勉強に全くついて行けず、テストは赤点、レポートは再提出ばかりだった。自分にこの専門性は向いていないと思うようになり、どんどん落ちこぼれてしまった。

ただ、そんな落ちこぼれでも友人達には恵まれた。

ある男の子達が遠方からの通学が辛いという事で、梅雨が明けた頃に2人暮らしを始めた。
そのアパートは男女問わずに溜まり場になっていた。女友達に誘われて覗きに行った事が始まりで、私もその溜まり場で過ごすようになった。

アパートの主だった「やんちゃん」はおっとりして、優しくて、ノッポでどこか妖艶だった。「せん」は自分が大好きなtheナルシストだったが、なんとなく間抜けで憎めなかった。

2人はアパートの部屋でいつもタバコを咥え、「女の子はタバコなんて吸ったらいかんよ」とぼやくように言ったりしていた。

接点も共通の話題もなかったが、何故か私は入り浸っていた。

不思議と居心地が良かったのだ。
2人も私を空気みたいに受け入れてくれていた。

ゲームをした事がなかった私は、マリオカートをひたすら練習させて貰った。
「…下手すぎ。ひどいな、lemon soda…」と最初はかなりドン引きされた。
それなりにコントローラーを操作して走れる様になると、「おお、上手なったなぁ。」と2人とも父のように目を細めて褒めてくれた。
テストでいい点を取るより嬉しかったのを覚えている。

やんちゃんとせんと、よくチャーハンを作った。
卵と冷凍ご飯とネギと100円のチャーハンの元があればすぐ出来るチャーハンは貧乏学生の味方だった。
こちらでは、赤だしの味噌汁がみんな大好きだったが、私は苦手だった。
苦手だと言うと、「赤だしが嫌いなんて信じられん」と驚かれた。

チャーハンと赤だしの味噌汁を3人で食べる。

「やっぱ、やんが作るのが上手いわ」とせんが言う。私も「うん」と言う。


19の夏の思い出。
小さなアパートで過ごす何気ない日々。2人のタバコの匂いとマリオカート。
コスパのチャーハンと赤だしの味噌汁。

冬が近づく頃にやんちゃんが荒れ始め、学校に行かなくなった。それをキッカケにアパートからせんは去った。やんちゃんも…。

私は、結局勉強に身が入らず留年した。やんちゃんは学校を辞めた。せんは進級して、私の先輩になり、いつも心配してくれた。

なぜ、今こんな事を思い出したのだろう。

専門学校を1年留年した時は、恥ずかしくて、惨めで、悲しくて、消えてしまいたかった。隠して生きていかたった。

自分で決めた事を貫かず、頑張る意味を見いだせなかった過去。ダメだったわたし。

しかし、どんな自分も自分なのだ。

ダメだったけど、今日もなんとか生きている。

落ちこぼれていた日々…

ただ側にいてくれた優しい男友達。

一緒に食べたチャーハンと赤だしの味噌汁味が懐かしい。

あの時は、一緒にいてくれてありがとうなんて言えなかったけど、今ちょっと言いたいよ。

元気でいるだろうか。

当時の携帯の番号はもう使えない。

落ちこぼれても、芽が出たり、花が咲いたり、実までつける事があるんだよ。

だから…あの時私へ…。

優しい友達がいてくれて、良かったね。

友達と日々の思い出が側にあれば、人生なんとかなる気がするよ。

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