遠雷と夏の終わり
雷が今年は多い気がする。
鳴り響く遠雷の音を聴くと、何故か祖父母を想う。
今年の1月に祖母が、2月に祖父がこの世を去った。
認知症だった祖母は施設で、脳梗塞で倒れた祖父は病院での最後だった。
共働きでほとんど家に寄り付かなかった両親。
私は祖父母に育ててもらったようなものだった。
祖父母は私と妹を溺愛していたけれど、その分、幼稚園や保育園には行かせず、閉鎖的な環境下で私達を見ていてた。
「保育園と幼稚園は子どもは本来行くべきではない場所」と考えていたようだ。
成長に伴い、祖父母との距離を取るようになり、正直、鬱陶しさを感じていた私は、育てて貰った恩も忘れて、冷たく接した事もある。
祖父も祖母も幼少期から苦労の多い人生だった。
祖父は23歳で戦死した長男に代わり、10歳で家を継ぐ事が決まってしまった。祖母は10歳で病弱だった母を亡くし、すぐ上の姉と朝から晩まで野良仕事をした。
子孫に十分な教養と教育と選択できる人生を…
それが祖父母の願いだった。
努力は裏切らない。
人に負けるな。
が口癖だった祖父母。
のんびりやで闘争心のかけらもない性格の私は、その言葉に苦しんだ。
人に負けないってなんだろう…?
とずっと考えていた。
祖父は老いて忘れていく祖母の介護にクタクタだった。そして、思うように動けなくなる自分の身体を憎んでいた。祖母は日を追うごとに表情が無くなり、綺麗好きで、華やかな事に興味津々だった面影が遠くに消えて行った。
老いていく祖父母に向き合えなかった。
優しくする事も必要だったのだろうけど、今までと、変わらない祖父母との関係でいたかった。
専門的な知識があるのだから、もっと声の掛け方や認知症を予防する為の方法を提供できるはずなのに、家族というのは不思議なもので、全く上手く出来なかったし、何故かやろうとも思わなかった。
この夏は新盆だった。
娘が「ばあちゃんとじいちゃんはお空に沢山お友達作って暮らしているんだよ」と言った。
そうだね。
と私は答えた。
Do As Infinityの「遠雷」が昔から好きだった。
意味をちゃんと理解していなかったけれど、どこか懐かしい思い出が蘇る。
幼い頃…祖父母と過ごした日々。
仕事でたまにしか会えない母が恋しくて、でも祖母にどこかで遠慮して…
夕方になるときゅうりの剪定に出掛けてしまう祖父母を泣きながら探しに畑まで歩いた。遠くに聞こえる雷が怖かったんだ。
「泣かなくていいんだ、泣かなくていい」
祖母が優しく言ってくれた。
遠雷とともに蘇る夏の思い出。
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