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傷つくという事について…

「俺はね。落ち込む時は思いっきりその思いに浸るんだ。苦しいけど、そうやって少しずつ傷を癒すんだよ。」

付き合っていた頃、そんな事を夫が言っていた。

出会ったばかりの夫は、実年齢より老けた感じの紳士的な人物に見えた。
友人がダイニングバーで飲んでいた時、私は偶然呼ばれた。それが夫との出会いだった。

第一印象で恋に落ちたわけではない。

格式高い感じがして、釣り合わないなとは思った。付き合う前から、私に特別に優しい…というわけではなく、女性や年配の人にはきちんと気を配り、誰に対しても丁寧な言葉選びをし、清潔感が漂っていた。


夫は毎日日記のような簡単なメールをくれた。私はその日記のようなメールに感想みたいな返信をした。そんな事を繰り返すうち、私は夫に好意を持ち始めていた。


当時、私も夫も婚約した恋人と別れたばかりだった。

お互い自分から別れを告げていたし、吹っ切れていたように思えたが、今思えばそうではなかったのかもしれない。

何かに急かされるように、私達は出会って1ヶ月くらいで付き合って、半年で婚約し、1年後に結婚した。

私達が元の恋人と別れた理由の第一に、両親の心情があった。相手に対して好意的でない事を私達は理解していた。私の元カレは金使いが荒く、女にだらしなかったし、夫の元カノは熱心に宗教を信仰していた。
お互い、「愛があれば…」と思っていたのだが、
何かがその行く末を阻止した。それは自分の深いところで。
育って来た経過の中で作り出された小さくて大きな価値観。その核に両親の存在は紛れもなくあった。

私はアクリル絵の具で塗りつぶすように彼との思い出を消した。

「貴方はどうやって恋人を忘れたの?」
と夫に問いかけた。

夫は「忘れてはいない」と言った。
嫌いになったわけではなかった。自分自身を責めたし、深い悲しみが襲った。苦しかった。

「だから、貴方を心から大切にしたいと思ったんだ」

私はその言葉を当時はあまり純粋に受け止めていなかった。

「傷なんてすぐ消せるのに…」なんて冷ややかに思った。

私自身は、悲しみや苦しみから目を背けて来た。
いや…悲しみや苦しみを抱く事は「自分への敗北」だと何処かで感じていた。

「傷ついてなんかいない」
そう、言い聞かせてきた。

2人目の子の流産の時…
夫は深い悲しみに沈んだ。
しかし私は、「よくある事だよ。特別な事じゃない」と冷静に突き放した。

傷つく事から離れたかった。

私は手術の最中に涙を流した…。嗚咽して。助産師さんに手を握られながら。

その涙は夫と共に流すべきだったのだろう…。

当時の私は、何にも動じない強靭な精神力に憧れていた。息子に悲しむ姿を見せなくなかった。仕事にも精神的な落ち込みで支障を来たしたくなかった。

とにかく、とにかく、傷ついている暇は無かった。

傷というものは、手荒にすればするほど跡がなかなか消えない…。
それは皮膚だけでなく、心もなのだろう…。傷の大きさや深さを自分自身で注意深く観察する。そして、その傷をゆっくり適切に治療する。

傷の癒やし方はそれぞれだが、私はこれまで、傷を手荒に扱って来たようだ…。

これからは、自分が傷ついた瞬間の心情を感じてみた方がいいのかもしれない。

傷つく事は恥ずかしいことではない。

悲しみを誰かと共有することは悪いことじゃない。

その事に気づくまで少し時間がかかった。

居場所はいつだって自分で作ってゆくものなのだ。

泣いている人を見たら…

以前なら平気で「泣かないで前を向いて」と言ったかもしれない。

「気の済むまで泣いて大丈夫。貴方の気の済むまで。」
今なら自分にも誰かにもそう言うだろう。

そして…
傷つくという作業に向き合って来た夫の事をもっと深く知って行こうと思う。

傷ついた心を癒すプロセスは人それぞれで違えど、
それを知る事は、私にはきっと必要であると思うから…。

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