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3.平和台球場

1996.8.17 参拝
❋この原稿は堀 治喜「球場巡礼 第1集」から抜粋し加筆したものです

ライオンの咆哮ほうこう消えて野武士もののふたちが夢のあと


 博多駅から地下鉄の構内にもぐり、自動チケット販売機の前に立って路線図見あげる。目指す平和台球場がある大濠公園駅は空港線で5つ目。そのひとつ手前の赤坂駅からが近いと聞いたが、ホテルチェックアウトして、いきなりご本尊拝むのも芸がない。公園の敷地内にある球場の、そのまわりの様子ものぞいていてみよう、と大濠公園からまわることにした。

 お盆にはあの世もかくやと思わせるほど地下鉄の構内にひとの影は少なく、エスカレーターでプラットホームにおりてみれば、さしずめお盆にしょうこんされなかった霊か、みっつ四つ、向かいの壁面に並ぶ大判の電飾広告を所在しょざいなげに眺めていた。
 すぐに車両がすべりこんで来て、広告看板を順番にみこみながら静かに停車した。無機的に開いたドアーを入ると車内はガラガラだったが、私はシートには座らず、そのまま奥のドアーに向き合って立った。
 電車が動きだすと、電飾広告がせわしげに一枚一枚後ろに流れ、それが尽きると窓の外は闇のスクリーンとなった。そこに映ったのはぶくろを肩から提げた男の影。ガラス戸一枚へだてた向こうはあの世なのか、こちらを見つめ返す私が立っていた。
 その存在を無視するように私は闇の自分から目をそむけ、ドアーの上に掲げられた路線図をぼんやりと眺める。
 博多…祇園…中洲川端…天神…赤坂…大濠公園…唐人町……。
 それらの駅名をなぞりながら、電車は目的地へと近づいて行った。

 昨夜、福岡ドームで観戦を拒まれたあと、宿をどうするか思案しながら博多駅近くの屋台でビールを一本飲み、さて駅の構内かどこかで野宿でもするかとも考えたが、そんな元気も勇気も残っておらず、観念してとびこんだのが駅前のビジネスホテル。巡礼の初夜から、「安易に宿に泊まらないこと」の約束事を破る始末とあいなった。
 ここを朝チェックアウトするときにカウンターで平和台球場の所在たずねたとき、その存在を確認して私は小躍りした。前日の福岡ドームは、チケットの手配もしないまま参拝に行って、入場すらできなかった。きょうはまた、消息調べないまま来てしまった平和台の姿を見ること叶わないのか…。そんな一抹の不安があったのだが、幸いにも球場はまだ残されてあった。

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