【超短編小説】 留守録
「悲しいこともあるわ、生きていたらね」
母さんはそう言った。
「だってそうでしょ。今日も誰かが誰かを思う。涙が溢れることも。どうすることも出来ないことも、仕方がないことも」
「悔しいことも、不甲斐ないこともあるわ」
「そうやって何かを感じながら、また明日が来るのを待つしかないのよ。すぐには消え去らないことでも、誰もがどうにかやり過ごしているのよ」
「私はね、日常にあるそういう言い表せない何かと揺れ動きながら生きていたいと思っているの」
「誰かのために何かを犠牲にすることが出来るとしたら、それは立派よ」
「でも、私に出来ることはたぶん限られているし、あなたに出来ることもそれほど多くはないわ」
「そういうものじゃないかしら。誰かを思えるだけで幸せなのかもしれないわね」
「お母さんはあなたに何をしてあげられたかは分からないけれど、少なくともあなたよりは長く生きただけのことを伝えてきたつもりよ」
「人生は長いんだから、泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑えばいいわ」
「もし、私があなたの前から居なくなったとしても、きっとこれでよかったと思えると思うの」
「そう。だから、これからもよろしくね。そして、これまでにありがとう」
「たまには、帰ってらっしゃい。待ってるから」(完)