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アルベルト・アインシュタイン


“真実とは、経験という試練に耐え得るもののことである”


哲学とは何かを突き詰めていけば
終点ではないにしろ、このように同じ思いに浸る。

哲学を知る大抵の人は、人生の苦楽を経験した人が
多数を占める。

悩みが多いほうが、当然ではあるが考える時間は
増える。ただ単に考えるだけでは無意味ではあるが、
言わばその過程にこそ鍵はある。

何歳で哲学に気づくかは、大抵の場合は30代が多い
と思う。私が現代で知る限りで言えば、その年齢が
一番多いからだ。

悩み、頑張り、苦悩し、挑戦を繰り返していくうちに、
頑張る事の意味を知る。

そこが哲学の最初の入口となりやすい。

しかし、そこは単なる入口に過ぎない。
そこからが初めのスタート地点となる。

アインシュタインの言葉は分かりやすい
ものが多いが、それはある程度の知識や経験が
必要となるだろう。

この言葉でもそう言える。

“真実とは、経験という試練に
耐え得るもののことである”

真実とは、本当の事を意味する。
経験とは、自分自身で行動し、知識や技術
を身についているという意味である。

体験から経験を経て行くのが多いと
言えるだろう。
体験とは、行動そのままを指している
言葉であるので、大抵の場合はそこから
経験に繋がり、知識等を身につける事に
なりやすいからだ。

経験で、知識や技術などを身につけると
言葉では簡単に言うが、それは簡単な事では
無い。体験から経験に繋げる事は容易に出来るが、
それを自分のものに出来る人は多くはない。

アインシュタインの言うように、

「経験という試練に耐え得るもののことである」
この試練に耐え得るもののことであると言う
言葉からは、苦悩しか見えない。
試練に耐え得ると言う言葉がそれを意味している。

そして偉人の言葉であっても、それが絶対に
正しいかどうかを決めるのは、それに異を唱える
理論的見解を示さなければならない。

このような言葉は哲学的な言葉になるので、
哲学の世界では、正しいとされるものもあれば、
そうではないという反論の意見を持つ人もいる
世界なので、どう解釈し、その言葉の意味を
正しいかどうか判断するには、やはり知識と
賢さが必要になる。

このアインシュタインの言葉は正しいものと
言える。

何かしらの知識や技術を身につける事は、
ハッキリ言って大変なことだ。
しかも、初心者マーク付き程度のものでは
無く、その事について多くを知る必要が
あるからだ。

いつも前向きな姿勢をしていた
アインシュタインでもこのように、
試練に耐え得ることだと言っている。

偉人の言葉は何れも、正しいものが多い。
それは彼等の経験による人生から生まれた
言葉であるからだ。

彼等が長い人生を費やして、短い言葉として
残してはいるが、その言葉を発するに至るまでは
非常に厳しい人生を経ていた。

だからこそ、重みや説得力がある。
実際に自分自身で経験したからこそ言える。

体験せずして賢くなることは出来ないと
言えるほど、体験、経験は必須と言える。

更にそれらに打ち勝ち、ようやくその言葉を
自分のものに出来る。

一読して分かったようなフリをするならば、
それは全く無意味な事と言えるだろう。

新しい事に取り組むには勇気とタイミングが
必要になる。
我々はまだまだ知らない事のほうが遥かに
多い。
その中で生きていくのは大変な事ではあるが、
彼等の言葉に耳を傾ければ、少なくとも問題
等の解決に至るヒントにはなるはずだ。

何事も経験無くして語る事は出来ない。
仮に経験せずに語ったとしても、その言葉は
偉人たちの言葉をただ真似して言っているだけ
でしかない。

それでは全く価値の無い知識となってしまう。
真の意味を理解してこそ、自分の人生を
有意義にすることが出来るようになると言えるだろう。

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