読書遍歴、あるいは白鯨にいざなわれし航海の始まり
Twitterのフォロワーさんが自分の専門との出会いについて書いているのを見て自分も何か書いてみたいと思ったので、読書遍歴を振り返りながら書いてみることにした。自分について語る文章を長々と書くのは初めてなので拙いものとなってしまうかもしれないけれど、お付き合いいただければ幸いだ。
小学校時代
幼い頃に母に毎晩のように絵本を読み聞かせてもらっていたこともあり、読書は昔から好きだった。
2年ほど前から読書記録(といってもタイトルや読み終わった日付けなどだけを記した簡単なもの)をつけているのだが、これを始めたときに過去の読書歴も思い出せるものを書いていたのでそのまま載せてみる。まずは小学校時代のものから。
休み時間は校庭でサッカーをするのが好きだったけれど、学年が上がるにつれて徐々に図書室で過ごす時間が増え、果ては授業のあいまさえも読書に当てるようになったことを覚えている。
この中でも特に思い入れがあるのは『都会トム』(2003〜)と『マジック・ツリーハウス』(1992〜)だろうか。 前者は特に仲の良かった友人に勧められて読み始めた。彼と本の話がしたくて、そして何より内容が面白くて、夢中で読み進めた。今思えば、人格形成に多少なりとも影響を与えた作品と言えるかもしれない。
後者はどこから知ったのかよく覚えていないが、おそらく母が「こんなのがあるよ」と教えてくれたのだと思う。こちらは世界の様々な文化について知り、興味を拡げるきっかけとなったものかもしれない。イギリスの大作家チャールズ・ディケンズがものを書けなくなってから名作『クリスマス・キャロル』(Christmas Carol, 1843)を完成させるまでの苦悩を描いた巻は特に印象深く今でも鮮明に覚えているが、他にもグラハム・ベル、パスツール、エッフェル、北欧神話などの偉人や文学的なことがらなどに関するさまざまな知識を提供してくれた。
中学時代
さて、小学校時代のことだけでかなり長々と書いてしまった感があるが、次は中学時代に移ろう。
少ない。勉強と部活で手一杯だったこともあるがとにかく少ない。思い出せたものに限っているとはいえ、あまりの少なさに愕然としている。
『君の膵臓をたべたい』(2015)は浜辺美波主演で映画化されたことでも話題になったので、ご存知の方も多いだろうと思う。発表当時話題だったこともありタイトルだけは知っていたものの、そのあまりの不気味さのために手を出さないでいたのだが、友人に勧められて読み始めたところ大いに読み、微笑し、そして涙を流すこととなった。当時目の前に幻視した桜良の笑顔を、今でも時折思い出す。
また現在の専門との関わりで言えば、読み始めて数ページで挫折してしまったためここには挙げていないが、『ライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye, 1951)を手に取ったこともあった。物語冒頭から展開される自由闊達なホールデンくんの一人称の語りに面食らい、「これが小説なのか…?」などと子どもながらに考えていた。当時の自分に将来アメリカ文学を専攻することを伝えてみたとしても、まず信じてくれなかったに違いない。
高校時代
次は人生の転換点のひとつと言える高校時代に話を移そう。
とまぁざっとこんな感じなのだが、特筆すべきはやはり村上春樹との出会いだろう。見ていただければわかるように、1〜2年の間は中学時代に出会った住野よるの作品を継続的に読んでおり、人生で初めて特定の作家の複数の作品を意識的に読んでいたのだが、これが村上作品との出会いで一変することになる。
初めて村上の作品に触れたのは、3年の春のことだった。当時の私は望まぬ高校での学校生活に心を削られ(周囲からまず間違いなく受かるだろうと思われていた志望校に落ちた。それはとかく悲惨な体験であった)、もう少しで限界に達しようとしていた。そんなとき、突如として「村上春樹を読みたい(読まなければならない)」という、まさに天啓としか表現しようのない想いが身体を駆けめぐった。今思えばこれは中学時代に塾で出会った友人が村上春樹を愛好していたことが大きな要因だったのだと思うが、それにしても不思議な体験であることに変わりはなかった。
村上春樹は難解であるというイメージがあまりに強く、まずは何を読めば良いのかというところから全ては始まった。インターネットで検索をかけ、最も文章が平易だとされる『1Q84』(2009ー10)を読もうと決めてから、学校帰りに紀伊国屋書店に何度も通い、現物を手に取り見つめては買うか否かを悩むという日々を幾日か送ったことをよく覚えている。結局購入したのだが、それからというもの、勉強のあいまに夢中になって読み進めた。学校で分厚い単行本をさながらライナスの毛布ででもあるかのように常に持ち歩いて精神を安定させているさまは、周囲の人々にはさぞ奇怪に映っただろうと思う。
浪人時代
高校生活における心の疲労もあってか、現役時はどこにも受かることができず、あえなく浪人することになる。鬱状態であると診療所で診断されたこともあり、最終的に2年間もの間、働かず誰の役にも立てない上に学生という身分すら持てない自身の人間社会における存在意義について思いをめぐらし、自責の念を抱きつづけながら日々を過ごしていた。こんなときに読み、心に潤いを与えてくれていたのが次の作品たちである。
見たとおり、『1Q84』を皮切りに、まるで堰を切ったような勢いで、村上作品をひたすらに読みまくっていた。特に2年目の夏から秋にかけては、日本社会に未だ根強く残る学歴社会というものに嫌気が差し、より良い学歴を得るために勉強することの意義がわからなくなったこともあり、勉強を放り出して読み耽っていることもあった。我ながら困ったものである。
村上作品を読み込み、また作家自身についての情報を知っていく中で、彼がアメリカ文学に大きな影響を受けていることを知った。以前まで村上春樹を研究するためには国文科に入るより他に道は無く、苦手な古文漢文の勉強にはなんとか耐えるしかないのではないかと思っていた私にとって、これは一筋の光であった。初めのうちは英文科に入って彼の最も愛好するスコット・フィッツジェラルドについて扱い、それと比較する形で村上研究にも手を出そうと考えていた。しかし、その想いは合格発表後に出会うある作品によって、文字通り打ち砕かれることになる。
合格発表後〜5月
そんなこんなでいろいろあった末、運良く第2志望の大学に拾ってもらえた。第1志望ではなかったものの、憧れの大学のひとつではあったし、5年間渇望し続けた大学入学を果たすことができるという喜びもあって、正直胸が踊っていた。(これは後で知ることになるのだが、弊学はアメリカ文学研究において日本でトップレベルの研究力を有しており、またメルヴィル研究者を3人(当時。現在は4人)も抱えているということだった。期せずして最高の環境に飛び込むことになったわけだが、このときの私は知る由もない)
あまりに嬉しくて大学のホームページを漁るように見ていたところ、「読書の薦め」と題された専修の先生方が各々の推薦図書を紹介するページに行き着いた。ここで運命の出会いを果たしたのが、19世紀アメリカを代表する作家ハーマン・メルヴィルの手になる『白鯨』(Moby–Dick; or The Whale, 1851)である。以下に、ありがたいことに今年度から私の指導教員を務めてくださることになった古井義昭先生が書かれた紹介文を引用させていただく。
名文である。簡潔に、かつ作品の魅力を十全に伝えて余りあるこの文章に、私は心を動かされた。
『白鯨』というタイトルと、その難解さ故に読破した人の数が少ないということだけは知っていたのだが、それ以上の知識を持ち合わせていなかった私は、翌日紀伊国屋へと急いだ。
「買ってももし読めなかったらもったいない」と思って、全3巻をまとめ買いしてしまいたい衝動をなんとか抑え、上巻だけを買うことにした。
さっそく読んでみようと思ったものの、最初の数ページで、まさかの挫折。何を言っているのかまるでわからない。仕方がないので、とりあえずいつか読める時が来るまで放っておくことにした。
しかし、その「いつか」は思いのほか早くやってきた。ゴールデンウィークに帰省した時にもう一度手に取ってみようという気持ちが起こり、読んでみると、なんと湯水の如く内容が入ってくるばかりか、作品の持つ名状しがたい魅力に骨の髄まで取り憑かれてしまったではないか。かくして、ここに私の『白鯨』をめぐる航海が幕を開けることとなったのである。
6月、研究室に飛び込む
6月の初め頃だったと思うが、英米文学概論という6人の先生方が2回ずつ持ち回りでそれぞれの専門分野についての授業をしてくださるという講義で、オンライン形式ではあったが古井先生の授業を初めて受けることができた。1週目にアメリカにおける個人主義を概観した上で、2週目には待ちに待った『白鯨』講義。先生の「白鯨を読んだことがある人はいるか」との問いにチャットですかさず他の学生から「上巻まで読みました」との返答。 私は当時あと少しで上巻を読み終わるところまで来ていた。しかしすぐに送らなければならないという焦りから、つい「私も上巻まで読みました」と送ってしまった。先生は私たちに対して「上巻まで読めていれば大したものだ。素晴らしい」という旨のお言葉を返していただいたと記憶している。
先生に多少なりとも認識してもらえたこのチャンスを逃してはなるまいと、その日のうちに次のようなメールを書いた。
よくこんなメールが送れたものだと、今となっては感心してしまう。当時はまだ何も知らず、また何か挑戦してやろうという気持ちが強くあったのだろうと思う。1年生って素晴らしい。
その後ほどなくお返事をいただき、快く承諾してくださった。6月23日。忘れもしない。私は研究室の扉の前に緊張しながら立っていた。1時間ほどお話させていただき、研究のことをはじめとしたさまざまなことを教えていただいた。それだけに留まらず、なんとちょうどその日にあった大学院の授業見学にもご厚意で参加させてくださった。感激と言うよりほかなかった。
その授業では「アメリカ小説の父」と称されることもあるチャールズ・ブロックデン・ブラウンの『エドガー・ハントリー』(1799)を読んでいた。当時の私は当然のことながら何が何だかわからず、「日本語で話しているはずなのに何を言っているのかわからない」というのが正直な感想であったが、とにかくすごいということだけはわかった。自分もいつの日かこんな議論に参加できるようになりたいと強く思った。
おわりに
ここまで長々と、特にメルヴィルに関連した話は長く書いてきたが、これには親しい人たちに自分のことを知ってもらいたいということの他に、大学院進学を心に決めたいま、再びあのころの新鮮な気持ちを思い出して、今後の糧にしたいといった意味合いもあった。研究の世界のことなどまだ何もわかってはいないけれど、今の私は『白鯨』、さらにはメルヴィルという作家の輪郭をどうにか自分の力で捉えてみたいと考えている。私は、膨大な文量を誇る「文字の大海」としての『白鯨』に浸りながら、文学史に巨大なその名を残す「白鯨」としてのメルヴィルを、この先も、死の直前まで追跡し続けることをここに誓う。これは、困難に突き当たった時にしがみつき、決して航海をやめないための、舷牆(ブルワーク)としての青い誓いである。
文章が文章を呼ぶといった具合に、書き進めるにつれて書きたいことが増えていき、だいぶ長くなってしまった。最後まで読んでくれたあなたに、最大限の感謝を。
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