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アイヌ民族が暮らした北海道 樺太 北方四島 辿って来た歴史から考える

トップ写真 アイヌ民族が暮らした土地 冬の阿寒湖



戦国時代から江戸幕府成立頃の北海道


昔むかし、
まだ江戸幕府が成立する前、
戦国武将が全国各地で戦い続けている時代。
北海道は蝦夷地と呼ばれ、
アイヌ民族が暮らす土地でした。

阿寒湖畔 ボッケ

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
権力が移り、
ようやく江戸幕府が成立。
国家としての体制が築かれて行きます。

江戸幕府成立以前より、
和人は蝦夷との交流を持っていました。
アイヌの人たちは、日本各地と自由に交易。

ところが、江戸幕府成立後、
蝦夷との交易は松前藩だけに許され、
他の藩との交易は禁止となります。

唯一許された松前藩との交易。
でしたが、その条件は、
著しくアイヌの人たちに不利なもの。
逆らうと、子供や家族を人質にされる。

仕方がないので、
渋々、従っていた。

松前城
アイヌの暮らし

和人の蝦夷への進出

当時、松前藩が置かれていた場所。
函館を中心としたエリア。

また、東蝦夷一体は和人が管轄することに。
それにより、東蝦夷エリアには、
商人たちが大量に進出します。

アイヌの人たちの主要産業であった、
金の採掘や漁業。
商人たちは漁業にまで手を出し、
大きな網を使って魚を乱獲。
莫大な富を得て行きます。

自分たちの土地に入って来て、
やりたい放題の和人。

当然ながら不満が蓄積していきます。
しかし、蝦夷が一致団結して武装蜂起。
とまでは、なかなか進まず。

理由は、日本の戦国時代と比較するのはどうか。
とも思いますが、
蝦夷各地でも、アイヌ同士のいざこざがあり、
ひとつにまとまって和人に戦いを挑む。
なんてことは、現実的ではなかったのでしょう。

武力においても圧倒的な差。
戦国時代を戦ってきた和人。
既に鉄砲を使った戦いが常識。

足軽鉄砲隊

一方、アイヌ民族。
毒矢を使った戦い。

正にアリが象に挑むようなもの。

ありさん
象さん

シャクシャインの戦い


そんな中、
起こったのがシャクシャインによる武装蜂起。

内紛状態であったシャクシャインと敵側。
敵側がシャクシャインを倒すため、
松前藩に武器供与を依頼。
松前藩側はこれを断ります。

その交渉の帰り道、交渉の使者は、
死んでしまいます。

実際はどうかわかりませんが、
松前藩による毒殺だ。
そう捉えたシャクシャイン。

これまでも、
酷いことをされてきた和人に対して、
共に戦おう。
と、敵対していた相手側はもちろん、
蝦夷の広い範囲へ声をかけました。

敵の敵は味方ではないですが、
アイヌが一体となって、
和人へ戦いを挑んだのです。

シャクシャイン像

和人側で、最初に犠牲になったのは、
主に蝦夷に進出していた商工人たち。
約350人ほどが殺されました。
相手側にすれば、

自分たちの土地にやって来て、
好き放題しやがって。

みたいな恨みが募っていたのでしょう。

これに対し、松前藩は応戦。

この戦いをシャクシャインの戦いと言います。

鉄砲に弓矢で対抗するアイヌ側。
戦い当初は拮抗状態が続いてたようですが、
武力の差は歴然。

その後、和睦交渉の酒宴の席にて、
松前藩はシャクシャインを毒殺。
(気持ちよいやり方ではないが…)

リーダーを失ったアイヌは戦闘意欲が消失。
そんなわけで松前藩が勝利。

この時、幕府は、
弘前藩へも、
出兵の準備を進めるよう。
指示を出していたそうです。

本当にアリが象へ。
命を懸けて戦いを挑んだ。
また、そうせざる得なかった理由。
複雑です。

ロシアの南下から作成された北海道地図


その後、北海道における権力。
松前藩を通じて幕府が持つことに。

事実上、支配下に置いた蝦夷。
でしたが、
大国ロシアが南下を狙って頻繁にやって来ます。

ロシアと対峙していたのが、
松前藩はじめ、東北地方の藩。

会津藩校日新館にあった展示物

その当時、
幕府は北海道の地図を持っていませんでした。

樺太が島なのか、ユーラシア大陸続きなのか。
分かっていなかったそうです。

そこで、伊能忠敬や間宮林蔵へ命じ、
地図が作られました。

間宮林蔵は、
樺太とユーラシア大陸の間。
海峡があることを発見。
この海峡は間宮海峡と名付けられます。

こうした努力によって、
ようやく北海道の地図は完成。

そういえば、
アブダビのルーブル美術館で見た日本地図。
北海道は、まだ書かれていませんでした。

アブダビルーブル美術館にあった日本地図
アブダビルーブル美術館にあった世界地図 なんと適当な北海道?


武力による現状変更の繰り返し


今は日本固有の領土となった北海道。

先の大戦にて、
日ソ不可侵条約を一方的に破棄。
日本の領土であった樺太や北方4島。
侵略して事実上、
ロシアに支配されています。

知床半島先端と向こうに見えるのは国後島 こんなに近いんです

ですが、この地域一帯。
元々は、アイヌの人たちが暮らした土地。

知床国立公園とオホーツク海
知床 川を遡上するカラフトマス 写ってない(笑)

歴史の中で、
武力に優れた方が、
その力によって現状を変更。
現状変更という言葉。
聞こえはいいが、
やってることは武力による制圧支配。

時が経てば、
そもそも自分たちの領土であった。
そんな風潮になっていく。

それが歴史というものなのか。

現実として、
蝦夷人に対して私は和人。

シャクシャインの戦いはじめ、
北海道がどのような過程を経て、
日本の領土になったのか。

義務教育の授業の中、
教科書では教えられて来なかった。

よって、北海道の悲しい歴史。
多くの日本人は知らない。
太古の昔より、
北海道は日本の領土。
そう信じてる日本人。
少数ではないと思いますよ。

自分たちに都合の悪い歴史。
意図的に隠し、
いつしか無かったことにする。

これが国家というものなのか。

富良野町にある富良野神社鳥居横看板 北方領土の返還なくして日本の戦後は終わらない

争いは良くない。
平和が一番。

庶民はそう願っている。

しかしながら人類、
何千年も戦いを繰り返している。
今現在も、
やられたらやり返す。

「○○が報復攻撃。
この攻撃によって、
子ども含む一般人○○人が死亡。」

こんなニュースを耳にする度に心が痛む。
当事者ではない国の人たちは、
どこか他人事。

国家のプライドを守る。
メンツを保つ。

大切なことは理解できる。

その一方で、
国家が決めた戦争で命を落とすのは、
いつの時代も多くが一般人。
その一般人には大切な家族がいる。

どうしたら戦争が無くなるのでしょうね。

ヨルダン川 イスラエル側から 対岸パレスチナの旗 


アイヌ語は地名として残ってます


スキーリゾートに美しいラベンダー畑。
美味しい魚介類や乳製品。
北海道には魅力がいっぱい。

訪れる際、
今は平和な北海道。
悲しい歴史があり、
そこに生きた先住民族がいたこと。
各地に残された痕跡。
アイヌ語で残る地名から、
少しでも思いを巡らせてみては。

新千歳空港内 ウポポイの看板


新千歳空港内展示 アイヌ文化


違う北海道が発見できるかも。

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