抜け落ちるうつの記憶

今日は精神科の日だった。カウンセリングに診察で前回の診療からそれほど変動なく過ごしてますと伝えておわり。今日のメインは障害者年金の申請のための診断書の依頼だった。それなりに大きい病院なので作成にあたってのヒアリングは診察の先生ではなく、相談室という部署?の方とやり取りした。

働いてますか、食事は自分で作ってますか、外に出られてますか、部屋の掃除は自分でしてますか、毎日お風呂入ってますか?

そんな感じの質問に私は、はいはいはいできますできますできます、と。そして思った。あれこのままいったら支援の必要のない健全な人間だよな…。そんな考えがよぎった時にちゃんと見逃さないのがさすがカウンセラー。質問の仕方が悪かったね、体調の悪い時はどうなの?って。

そこでハッとした。鬱が酷い時なんて何一つできてなかったじゃないか。どうしてすぐ記憶から無くそうとしてしまうのだろう。ご飯は一週間以上口にしてなかった。人目が怖すぎて家から1歩も外に出ない。人と会わないんだから風呂なんて興味もない。部屋はゴミ捨て場のよう。

心のどこかで一丁前に普通の人間の生活をしているつもりだった。そんなわけないのは誰が見ても明らかだ。そんなこと分かっていたはずなのに。そして恐怖を感じた、自分が無意識にそれらを隠していた事実に。でも仕方なかったのだろう。無意識に取り繕わないと笑えないほどにボロボロだったのだ。

まだまだ自分の現実を受け入れられていないみたいだ。客観的に自分を分析しているつもりで、どこか他人事のように今の自分とは切り離した出来事として扱っているのかもしれない。

体調の悪い時は、ということで最初から質問をやり直した。今度は正直に事実を答えていく。一瞬当時の感情が逆流してきた。少し触れただけでしんどいものが込み上げてきた。子供だったらここで素直に泣けるのにな、大人っていう自尊心は邪魔だな、と思いながら淡々と質問に答えていく自分がいた。


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