脳科学にはまったり物語にはまったりしたり

今日も頭が痛い。頭痛のようなずきずきするような直接的な痛みではなく、なんていうのだろう、狭い部屋に閉じ込められているような、足を縛り付けられているような、とても窮屈なのにどこにも行けない感じ。具体的に言い換えるとエナジードリンクが切れたあと、アドレナリンがぐわっと出たあとの気だるくなる感じ。一気に陳腐になった気がする。多分これをさらに、脳科学的に脳内物質があーだこーだなってこの現象は引き起こされてる、っていってしまえばとてもわかりやすいのだろう。うーんおもしろくない。

一時期、脳科学の本にハマっていた。自分がうまくいかない原因がどこかにあるはずだ、そしてそれはすべての根本にある脳に違いない、という仮説を立てた。結果からいうと、自分が正解だ、と思う答えにはたどり着けた。だけど、それがわかったからといってうまくいくかって言われたら、現在もじめじめと過ごしている。まぁそれでうまくいくなら世の中に精神科なんて必要ないし、お薬だって処方されない。でも色々読んでわかったこともある。それは本に書いてあることは最新研究の結果であって、それはつまり現時点での最良だと思われているもの、なのでまだまだ分からないことばかりであり、だとするならば未来はそう暗いものではないということ。付け足すと、実はこの先この本に書いてあることは間違ってました、ってなることもあるということ。書いてあるのは事実であって真実ではない。そのことに、あーなるほどな、と納得したので、最近はそのような本はあまり読まなくなった。読んだとしても話半分に娯楽のために読んでいる。

その代わり、最近は物語や詩やエッセイをよく読むようになった。この脳内物質を出すと幸せになるから、こういう行動を心がけよう、とか考えるより、想像の世界に浸る方がよっぽど心が軽くなることを思い出した。昔はよく物語を読んでいたけれど、いつから読まなくなったのだろう。やはり体調を崩し始めた10年ぐらい前からだ。物語を読むことで癒やされることが分かっていても、本を読む行動を取るための余裕が必要だった。ほんの少しでも読もうと気が向いて、手を伸ばせば届く距離にいつでも本棚にあったのに、焦燥感に駆られて刺激で日々を誤魔化す毎日ではパソコンの画面しか目に入らず、たとえ読もうと手に取ったとしてもゆっくりと文字を目で追うことすら罪悪感に感じ、到底心安らかに物語にはいっていくことなどできなかった。

それでいうと、本を楽しく読めるようになったのは随分と前に進んだような。しばらくはゆるゆるとこの状態が続いてくれたらいいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?